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ブックマーク / murashit.hateblo.jp (9)

  • 東京日記(その1) - 青色3号

    正月のうちに書こうと思ってたんだけどなんやかんやで抵抗があったのかもしれない、でもなんか、Twitterで書くと言っておいて書かないのも癪なので書きますけど、たぶん機が熟してきているはずだと思っていたのにそうでもなかったのあなという感じで思い直しつつもあることを書きますけど、そうです、大学院を辞めたときの話です。 ずいぶん記憶が薄れていますから、ひとまず順を追って話すのがよいのかもしれません。そうだ、書きながらまとめていくスタイルだ! 遡ること6年前、僕は意気揚々と……とはいかない、むしろ不安をもってこの地東京にやってまいりました。都会に出てきたいんだと思った末に京都を選んで、イヤーコリャ都会ジャと思ったのも束の間、やっぱり東京というものに行ってみなければ日における都会のことはわからんぜよという気持ちが、今になって思えばいちばん強かったのでしょう。大学院生になるというのが名目だった──そ

    東京日記(その1) - 青色3号
    joruri
    joruri 2015/01/18
  • 自転車で帰省した話(8日目) - 青色2号

    10月24日。 八時半にホテルを出発。今日は京都まで一気に行く。相変わらず膝が痛く、前日にいろいろルートを考えてみたものの、正攻法である国道1号での鈴鹿峠越えの他だと、163号で伊賀を経由するか大回りに回って関ヶ原経由で行くかくらいしか選択肢はない。前者は鈴鹿峠を行くよりもよっぽど厳しい上りがありそうだし、後者はさすがに距離がありすぎるということで結局国道1号で京都へ向かうということに決めた。まずはここ伊勢から国道1号へ復帰しなければならない。 というわけで旧国道23号にあたる三重県道37号から松坂を経由し国道23号で津まで走る。つまりこれ、おおまかに言って東海道から分岐し伊勢へ参る道を逆に進む形になる*1。とりあえずのところ膝の痛みはまだ大丈夫、それなりに快調に進む。ちなみに、快調に進んでたら進んでたで「これ、こんな自転車走らせてて何になるんだ……家ででも読んでたほうがよっぽど実になっ

    自転車で帰省した話(8日目) - 青色2号
    joruri
    joruri 2011/11/26
    自転車で帰省した話(8日目)
  • 自転車で帰省した話(6日目) - 青色3号

    ※今回もほとんど自転車に乗りません。 *** 10月21日夜。 伊勢市駅でずぶ濡れになりなにもかもが萎えてしまい、もうなんでもいいからちゃんとしたところに泊まってすっかり休もうと考えた。しかし当然のことながら宿泊の手配などしているわけもなく、とりあえず適当にインターネットで検索し適当に電話をかけることにする。どうやら23日いっぱい雨が降りそうだという予報だったのもあり、まあいいや、明日明後日は伊勢にいようと決める。金がかかるけどもう知らん……もうなんでもええ……疲れた……一番安そうなところ……一番安そうなところでしかも駅から近いところ……どっかあんだろ……。……とかなんとか言いつつも、特に苦もなく見つかった。一件目に電話したところがいきなり大丈夫そうだったのでそこに決めた。正直もうなんでもええねん。さっさと行こうってんで着いてフロントへ。フロントっていうかこれなんだろ、病院の窓口みたいやね

    自転車で帰省した話(6日目) - 青色3号
    joruri
    joruri 2011/11/22
    自転車で帰省した話(6日目)
  • 自転車で帰省した話(5日目) - 青色2号

    10月21日。 名古屋駅ちかくの素泊り2500円(トイレ・浴室共同)を出てマクドかなにかで飯をう。出発時刻を記録していないので分からないのだけどたしか朝飯って9時半くらいだったはず。まずは知多半島の先っちょまで行く、そしてフェリーを乗り継ぎ鳥羽へという計画。膝の痛みは大丈夫そう?しかし名古屋駅からまっすぐ南下しようととったルートがいきなりマズかった。素直に19号を下ればもうすこしマシだったんだろうけれど、その一西の通り(名前が分からん)、高速高架の下の道を走った。ずっと左車線が工事中であった。そして港が近く工業地帯が近くなってくると(築地口駅あたりの交差点で左折したその先あたり)先ほどまでの信号機地獄から一転、大型のトラックが俄かに増え、また交差点には横断歩道がないため直進するにも苦労する*1、橋を渡るにも路肩が狭くて苦労する。 さらに悪いことに知多半島の根あたりでそのまま産業道路

    自転車で帰省した話(5日目) - 青色2号
    joruri
    joruri 2011/11/19
    自転車で帰省した話(5日目)
  • 自転車で帰省した話(4日目) - 青色2号

    10月19日夜。 例の会合に行くということでまずは無免許さんとこの事務所(カフェができそうなくらい綺麗だったというかここでカフェみたいなことするらしいという話を前日聞いていたがほんとにその通り快適だった)に集合し、すこしだけ紹介などされ、飲み会のお店に参ります。最近開店したらしい飲み屋さん、もちろん小さな街(失礼かしら)ですから参加者皆さんと知り合いどうしというか、そういうお店でした。「こうこうこういうことがあって飯田にやってきたんですよ」という説明をするわけですが、こと「インターネットで知り合った」という事実は若輩者の僕にはどうにも恥ずかしいことのように思えてしまうわけです。しかし無免許さんはまったく頓着なさらぬ(かっこいい)。そんなこんなで参加者のおじさまがた(僕を除いた平均年齢はたぶん僕の年齢よりも10以上上なんじゃないかっちゅう)も続々いらっしゃいまして、じゃあはじめましょうってな

    自転車で帰省した話(4日目) - 青色2号
    joruri
    joruri 2011/11/18
    自転車で帰省した話(4日目)
  • 自転車で帰省した話(3日目) 2011-11-10 - 青色2号

    ※今回は自転車にほぼ乗りません。 *** 前回の終わりに「諸事情によりこの後車で長野県へ行くことになる」と書きました。いったいどういうことか。説明するためには時間をすこしだけ遡らなければなりません。帰省するちょっと前のこと。 ある日、無免許さん(id:llena)からtwitterのダイレクトメッセージが届きました。「おいちょっと仲良くしようぜ」とかだいたいそんな旨。仲良くしたい僕は「仲良くしたいのですがこんど実家帰る予定なのです、どうしましょう」という旨返事をすると、「じゃあその途中でうち寄りなよ」いやしかし「寄りたいのですが自転車なんですよ……電車賃もあんまりなくて……」「じゃあ車で自転車ごと迎えに行くよ」……なんだと……「では浜松までお願いいたします」。大まかに言ってこんなやりとりがありまして、僕はこの日長野県に向かうことになりました。回想おしまい。ええと、意味がよく分からないと思い

    自転車で帰省した話(3日目) 2011-11-10 - 青色2号
    joruri
    joruri 2011/11/12
    更新を楽しみにしている俺がいる…
  • 自転車で帰省した話(2日目) - 青色2号

    10月18日。 8時半に起床。沼津駅前で朝飯を適当にって9時過ぎくらいに出発。静岡県内の国道1号はほとんど自動車専用のバイパスらしく、どういうルートをとったらいいのか悩んだけれど、とりあえず380号線沿いを進むことにする。信号も少なく交通量もそれほど多くないのでしばらくは快調に進めたのだけど……富士市に入ってからはそうでもない、というか、どうやって富士川を越えたらいいのかしばしGoogleMapsを見ながら悩んだ。今回の帰省のために(貧弱すぎてまともにGoogleMapsも使えない)iPhone3Gを4Sに新調したのだった。それがここでようやく功を奏した。ありがとう。 でもって、富士山がすぐ近くに見えるということに気がついたのは富士川を渡る直前。そういえば昨日だって見えていたはずなのにぜんぜん気がつかなかった。けっきょくこの日通して、富士山をじっと見つめたのはそのときだけ、富士川を渡る橋

    自転車で帰省した話(2日目) - 青色2号
    joruri
    joruri 2011/11/08
    二日目。テキストだけなのにドキドキする。夜の歩道は怖いねー。
  • 自転車で帰省した話(1日目) - 青色2号

    写真もなにも撮っていないのでブログのエントリとしては何も面白くないのですがとりあえず日記だけ。東京から岡山までのうち、とりあえず1日目。東京から沼津まで。 *** 10月17日。 下宿を出たのは深夜3時半。当は5時くらいに起きて準備してから出ようと計画していたはずなのに。前日は早く眠らなければ早く眠らなければとそればかり考えていたけれど、けっきょく一睡もできなかった。元気な17日のうちに箱根を越えようという予定だった。はじめてのことだからどのくらい時間がかかるか分からない。分からないから不安になる。不安になって眠れなくて、それじゃあ「元気な一日目のうちに」なんてできるのかとさらに不安になる。くよくよするのはやめよう、とりあえず早く出れば早くには着くのだろうということでとりあえずもとりあえず、家を出たのが3時半。 東海道を行くならとりあえず日橋から出ねばなるまいと日橋。深夜というか早朝

    自転車で帰省した話(1日目) - 青色2号
    joruri
    joruri 2011/11/06
    東京〜岡山だと…
  • 中二階の神さま - 青色3号

    私の生まれ育った町には奇妙な風習があった。家を新しく建てるとき、必ず中二階を造らなくてはならない、というものだ。町に団地なんてものはなかったから、従って殆どの家に中二階があったということになる。そしてこの中二階(の小さな部屋)が何に使われるのかといえば、「おっさんを泊めるため」としか言いようがない。そう、あの町には奇妙な風習とともに、奇妙なおっさんが住んでいたのである。 さて、いま私は「おっさん」と言ったけれど、町の人々はみな彼のことを「神さま」と呼んでいた。もちろん私も、かの地に住んでいるころは、やはり彼のことを「神さま」と呼んでいたのだ。したがって、ここからは彼のことを「神さま」と呼ぶことにしたい。 記憶のかぎりでは、私がはじめて神さまを見たとき、彼はだいたい五十歳くらいで禿頭、夏だったからステテコにランニング、そんないかにもおっさん然とした姿だったと思う。それは神さまが我が家の中二階

    中二階の神さま - 青色3号
    joruri
    joruri 2011/08/09
    「中二階の神さま」
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