宮本恒靖は、バーンアウトと表現する。 2006年、ドイツワールドカップ。ベスト16まで進んだ日韓大会以上の結果を期待されたものの、惨敗に終わった。キャプテンとしてすべてを注ぎ込んできただけに、その代償は思った以上に大きかった。 もう12年も前の出来事になる。宮本は古巣ガンバ大阪に戻って指導者となり、U-23監督とトップチームのコーチを務めている。ビターな記憶は、今なお新鮮なままである。 「ショックはありましたね。いい結果をもたらすことができず、モヤモヤしたままでガンバ大阪の練習に復帰して、そこでヒデ(中田英寿)の引退表明もありました。自分に置き換えてみても、キャリアの終わりが近づいていると感じさせられました。ドイツから帰国してJリーグの試合がめぐってくるなかで、集中力を保とうとはしていたつもりです。しかし気持ちとパフォーマンスにズレが生じていて、プレー自体あまり良くなかったかなって思います