赤松啓介の夜這いの話を続けます。 明治42年(1909年)播州(兵庫県西部)の農村に生まれた赤松は、大正の終わりから昭和の初めにかけて大阪で丁稚奉公をするのですが、 当時、大阪の商店で丁稚や女中として働いていた若者や娘はみんな地方の農村出身で、彼らは田舎の夜這いの習慣をそのまま都会に持ち込んだといいます。 当時の商家では丁稚や女中は住み込みで働くのが普通で、主人一家と同じ屋根の下に寝起きしていて、店の主人はあたり前のように女中に手を出したそうです。 おかみさんの方も丁稚とよろしくやっていたそうで、また丁稚が女中に夜這いをかけることも日常茶飯事だったといいます。 赤松が最初に丁稚奉公した大阪九条の果物屋では、店のオヤジがバクチ好きでしょっちゅう家を空けるので、先輩の丁稚がおかみさんのところに夜這いに行って慰めていたそうです。 その店には女中もいたそうですが、先輩の丁稚は女中とヤルとおかみさん