ブックマーク / kofunmeguri.hatenablog.com (341)

  • ブラタモリ「埼玉・行田〜埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?〜」 - 週末は古墳巡り

    土曜日のNHK総合で放送されたブラタモリ#242「埼玉・行田〜埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?〜」を視聴した。最初に訪れたのは前玉神社で、その後は丸墓山古墳、酒巻古墳群と古墳マニアも十分楽しめた。 www.nhk.jp 今夜のブラタモリは行田編!😎 タモリさんが埼玉の原点(古墳、忍城)を歩きます!#ブラタモリ #行田 #忍城https://t.co/SYCZLyUDlG — ブラタモリ (@buratamori2018) 2023年7月15日 今日のブラタモリは埼玉の行田なので、行田の埼玉を貼っておきます。 pic.twitter.com/waTzT8uxhC — 地理Bの旅 (@chiri_b_geo) 2023年7月15日 酒巻古墳群は埋もれていた為 埴輪や土器は当時の位置で 良好な状態だったという。 14号古墳から出土された 馬形埴輪やふんどしをした力士の埴輪も 忍城址に併設さ

    ブラタモリ「埼玉・行田〜埼玉はじまりの地 行田ってどんな所?〜」 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2023/07/18
  • 日比谷公園 千代田区日比谷公園 - 週末は古墳巡り

    この日(5月24日)も日比谷公園を訪れた。日比谷公園は日初の西洋風公園として明治36年に開園した。 アーク灯 アーク灯 この元アークライト灯は、開園当時の公園灯で、園内には10基設置され、1200カンデラの明るさがあったといわれます。これ以外はガス灯70基が設置されていました。 三笠山の裾にある水飲みと同じ鋳鉄製で統一されたデザインとなっており、両方とも明治の記念物として1基づつ園内に残っています。 水飲み 水飲み この水飲みは、日比谷公園開設当時(明治36年/1903年)のものです。鋳鉄製で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。 石枡 石枡(いします) 石をくり抜いたこの水槽は江戸時代の上水施設です。江戸城へ向かう途中に水汲み用として設置され、大名邸などに導

    日比谷公園 千代田区日比谷公園 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2023/07/17
  • 法務省旧本館 千代田区霞が関 - 週末は古墳巡り

    5月に、国会議事堂前で日水準原点の一般公開を見学した後で、法務省館を見学した。 重要文化法務省館 この建物は、明治政府が招聘したドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンの設計により、実施設計・工事監理には河合浩蔵が参画し、1895年(明治28年)に旧司法省庁舎として完成した。 その後、1923年(大正12年)の関東大震災では、 れんが壁が鉄材で補強されていたため、ほとんど被害を受けなかったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲により、れんが壁を残して焼失した。そのため、屋根を天然スレートから瓦にするなどの改修工事が行われ、1950年 (昭和25年)法務省館として再び利用されるようになった。 中央合同庁舎第6号館の整備に伴い、村松貞次郎、堀内正昭両氏の監修のもと建設大臣官房官庁営繕部により、1994年(平成6年)外観が創建時の姿に復原され、法務総合研究所及び

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    k10no3 2023/07/16
  • ラジオパークin日比谷 2023 - 週末は古墳巡り

    この日(4月23日)は、渋谷の國學院大学博物館から、六木、赤坂を経由して日比谷公園まで歩いた。日比谷公園ではニッポン放送のラジオパークin日比谷 2023の「佐久間宣行オールナイトニッポン0(ZERO) スペシャルトークショー」を観覧した。 ⋱⋱#ラジオパーク⋰⋰ 始まりました✨ 日比谷公園でお待ちしてます! U-NETでライブ配信🔻https://t.co/k1XkhlOkfD pic.twitter.com/E08rdaxHTa — ニッポン放送 (@1242_PR) 2023年4月21日 いよいよ明日は #ラジオパーク 📻 日行ったラフ×ラフYouTubeの収録、MCの東京ホテイソンさんがラジオパーク出演直後だったということでイベントの様子をお聞きしちゃいました! 佐久間Pと東京ホテイソンさんからの言葉に緊張が膨らむメンバーたち… みなさまぜひお楽しみに🎤🌼#ラフラフ p

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    k10no3 2023/07/15
  • 歩兵第一聯隊跡 港区赤坂 - 週末は古墳巡り

    木のお隣の赤坂の檜町公園を訪れた。檜町公園は、毛利家の藩邸跡で、歩兵第一聯隊「歩一の跡」の碑が建つ。 檜坂(ひのきざか) 檜坂 ひのきざか 江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であった。 赤坂氷川神社 勝海舟・坂龍馬の師弟像 「明日に向かって」 勝海舟坂龍馬の師弟像 この地は、 勝海舟が1872年(明治5年)から1899年(同32年) 77歳で亡くなるまで27年間住んだ屋敷のあった場所です。海舟は、明治維新後、旧幕臣の代表格として維新政府の要職に在り協力していました。坂龍馬との係りは海舟が幕府の要職に付いていた頃(海舟37歳〜46歳)で、龍馬(26歳〜31歳)は海舟を師と仰いで慕い緊密な交流があったようです。 この交流の始まりは、海舟が咸臨丸での渡米、帰国後、幕府軍艦奉行就任の1862年(文久2年)海舟39歳のとき、龍馬が海舟を斬ろうと

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    k10no3 2023/07/14
  • ガンタ積みの擁壁 港区六本木 - 週末は古墳巡り

    木まで歩いて、煉瓦のガンタ積みの擁壁を見学。 志賀直哉居住の跡 にほんブログ村

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    k10no3 2023/07/13
  • 御太刀坂の擁壁 港区西麻布 - 週末は古墳巡り

    4月に、國學院大學博物館の春の特別列品「土御門家がみた宇宙ー江戸時代の天文観測ー」を鑑賞した後で、天気が良かったので、ぷらりと散歩。西麻布の御太刀坂の煉瓦造りの擁壁を見物。 牛坂 牛坂 うしざか 源義経や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。 港区ホームページ/牛坂 鉄砲坂 鉄砲坂 てっぽうざか 江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。 港区ホームページ/鉄砲坂 にほんブログ村

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    k10no3 2023/07/12
  • 中三谷遺跡 鴻巣市鴻巣 - 週末は古墳巡り

    鴻巣市の箕田古墳群、宮前遺跡見学会のつづき。 この日(5月28日)の最後に訪れたのは、埼玉県警察 運転免許センター内の中三谷(なかさんや)遺跡と、鴻巣市文化センター(クレアこうのす)。 中三谷遺跡 新しい警察施設を今、ここに この地に、埼玉県警察運転免許センターを建設するに当たり、地域の一部から縄文・古 墳・中世の三代にわたる多くの住居跡や溝、井戸跡などが発掘され、この地が古くから人々の生活基盤として利用されていたことが分かりました。 当センターが、この地域の歴史とともに歩む縁(よすが)とするため、埼玉県埋蔵文化財調査事業団の協力を得て、発掘された代表的な竪穴住居を大地に刻まれた先人の歴史の一部として現代に復元してみました。 昭和62年1月1日 埼玉県警察部長 福井與明 埼玉県警察 運転免許センター建設地 中三谷遺跡のあらまし 「中三谷遺跡」は、運転免許センター建設工事の際検出された遺跡

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    k10no3 2023/07/11
  • 東洋一の夢 帝国図書館展 国際子ども図書館 - 週末は古墳巡り

    トーハクの隣の国際子ども図書館で開催中の「東洋一の夢 帝国図書館展」を鑑賞した。 国際子ども図書館は、1906年に帝国図書館として開館した建物にリノベーションを施して活用している。帝国図書館は「東洋一」の図書館を目指して建設された。展示会は、建築を軸として国際子ども図書館歴史を紹介する。帝国図書館時代に開催された展示会の展示品から、その一部をパネルで紹介、また、1929年に増築された時の設計図(写し原)を展示。普段は撮影不可としているのミュージアム内も展示会期間中、自由に撮影できる。会期は7月16日まで。 レンガ棟1階 階段 レンガ棟2階 レンガ棟3階 扉 エディキュールと赤煉瓦 柱 天井とシャンデリア 窓 ホール天井 張り出し窓 メダリオン \展示会情報/#国際子ども図書館 では、3月28日(火)から展示会「「東洋一」の夢 帝国図書館展」を開催予定です。昨年開催した、国際子ども図

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    k10no3 2023/07/10
  • ウルティモ・ドラゴン スペシャルトークショー 東京国立博物館 - 週末は古墳巡り

    トーハクの特別展「古代メキシコ」の関連イベント「メキシコウィーク」(6月30日から7月9日まで)のイベントとして開催された「ウルティモ・ドラゴン スペシャルトークショー」に参加した。ウルティモ・ドラゴンは、メキシコを拠点として米国、欧州のマットで活躍するルチャドール。日のDRAGON GATEの最高顧問及び特別契約選手。 【 #ウルティモドラゴン 選手イベント出演情報】#東京国立博物館 にて開催中の「特別展 古代メキシコ」にて実施される #メキシコウィーク にてトークショーに出演致します。 日時 7月8日(土) 11:00~ 会場 東京国立博物館 前庭 ▼イベント詳細はこちらhttps://t.co/zYODUBUBmn #DRAGONGATE pic.twitter.com/4TuHSPRdJE — DRAGONGATE (@dragongate_pro) 2023年6月17日 🌵

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    k10no3 2023/07/09
  • 箕田9号墳(宮登古墳) (再訪) 鴻巣市宮前 - 週末は古墳巡り

    5年ぶりに箕田古墳群を再訪。 箕田9号墳(宮登古墳)。 宮登神社 御由緒 鴻巣市宮前七九 御縁起 (歴史) 宮前村の村名は、村の西端に鎮座する聖権現(ひじりごんげん)社の前に開けた村であったことに由来する。この聖権現社が江戸期の当社の社号であった。 聖権現社の由緒は、『風土記稿』宮前村の神社の頃に「聖権現社 村の鎮守なり、天長年間(824-34)紀州高野山の僧当所光徳寺を開基せしゆへ彼聖を崇てかく祀ると云、光徳寺持、末社に弁天庚申の二社あり」と ある。この光徳寺は、真言宗聖山不動院と号し、開山の高野聖の僧源楽は、天長2年(825)10月2日の示寂(じじゃく)とされる。高野聖とは、高野山を拠として、阿弥陀の真言を唱え、高野山の因縁を語って勧進をしながら回国する下級の僧侶をいうが、その聖を祭神として祀った理由として、当社 『明細帳』に「淳和天皇ノ皇子源楽上人ヲ祭リ」とあり、源楽上人の貴種流寓

    箕田9号墳(宮登古墳) (再訪) 鴻巣市宮前 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2023/07/08
  • 箕田8号墳 (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

    5年ぶりに箕田古墳群を再訪。 箕田8号墳。5年前と環境がだいぶ変わっていた。 鴻巣市指定史跡 昭和45年3月10日指定 箕田古墳群:箕田八号墳 この箕田八号墳は、台地の斜面上に造られているため、斜面下側からと上側からとでは見る位置の違いで規模が異なるように感じられる。 現状は長径16.7メートル、短径10.5メートルの長楕円形で、西側の墳裾からの高さは3.1メートルである。 来は直径20メートル以上の規模となる円墳だったと推察される。また、周囲の状況から墳丘を巡る周溝が存在するものと思われる。 これまで正式な発掘調査が行われていないため、埋葬部の形状・出土遺物等は明らかになっていない。墳裾付近から採集された円筒埴輪の特徴から、築造年代は古墳時代後期(六世紀代)と推定される。 古墳時代後期になると、一定の地域内に小規模な古墳が群集するように造られるようになった。箕田古墳群もそうした古墳群の

    箕田8号墳 (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り
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    k10no3 2023/07/07
  • 箕田7号墳 (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

    5年ぶりに箕田古墳群を再訪。 箕田7号墳。 鴻巣市指定史跡 昭和45年3月10日指定 箕田古墳群:箕田七号墳 この箕田七号墳は、箕田台地の鞍部から荒川沖積地に向かう傾斜面の変換点に位置する。古墳の裾の標高は約18メートルで、南西方向へかなり強く傾斜している。現状から直径10メートル強、高さ2メートル弱の小円墳と見られる。戦前に発掘調査が行われたが、正式な報 告はなされていない。しかし、『箕田郷土誌』と『埼玉県史』によると、昭和初期に古墳の裾部分を開墾中、石室の一 部が発見され、円墳の中央部よりやや南に偏って三味線胴形の石室が現れたとある。墳の築造年代は、切石切組積の胴張り式石室をもち、埴輪を伴うことから、六世紀末葉と推定される。 古墳時代後期になると、一定の地域内に小規模な古墳が群集するように造られるようになった。箕田古墳群もそうした古墳群のひとつで、この箕田七号墳は、箕田古墳群の中の富

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    k10no3 2023/07/06
  • 箕田6号墳 (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

    5年ぶりに箕田古墳群を再訪。 箕田6号墳。 鴻巣市指定史跡 箕田古墳群・箕田6号墳 昭和45年3月10日指定 箕田6号墳は箕田古墳群中の一基で、冨士山支群に属している。冨士山支群には墳の北西250mに5号墳、南東180mに7・8号墳が存在し、合計四基の古墳が残っている。 墳は現状では長径17m、短径10m、高さ2mを測る円墳と思われるが、かつて前方後円墳であったという伝承もある。現在、墳丘は南側を大きく削られて墳形が著しく変わっており、前方後円墳であるかは確認できない。わずかに北側で周溝の名残りと思われる痕跡が窺われるのみである。 墳はこれまで正式な発掘調査が行なわれておらず、埋葬部(死者を葬る所)の形状出土遺物は明らかになっていない。しかし、墳丘から埴輪片が認められることから、古墳時代後期(六世紀)の後半頃に築造され たものと考えられている。 箕田地区は10世紀以後に活躍した箕田源

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    k10no3 2023/07/05
  • 箕田5号墳 (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

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    k10no3 2023/07/04
  • 箕田4号墳 (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

    5年ぶりに箕田古墳群を再訪。 箕田4号墳。5年前と環境がだいぶ変わっていた。 鴻巣市指定史跡 昭和45年3月10日指定 箕田古墳群:箕田四号墳 この箕田四号墳は、沖積地からやや離れた標高約18メートルの台地の平坦面に造られている。現状の規模は、長径約16メートル、短径約12メートル、高さ約1.7メートルの円墳であるが、来はもっと大きかったであろう。正式な発掘調査が行われていないため、埋葬部の形状や出遺物等は明らかになっていない。また、造られた年代は不明であるが、円筒埴輪片が周辺から採集されていないことから古墳時代後期、それも七世紀代と推定される。 なお、墳丘には周辺から出土した板石塔婆が立てられている。古墳時代後期になると、一定の地域内に小規模な古墳が群集するように造られるようになった。箕田古墳群もそうした古墳群のひとつで、この箕田四号墳は箕田古墳群の中の龍泉群に属している。 しかし、現

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    k10no3 2023/07/03
  • 箕田2号墳(三士塚) (再訪) 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

    宮前遺跡見学会の予約した時間まで、まだあったので5年ぶりに箕田古墳群を再訪した。 箕田2号墳 鴻巣市指定文化財(史跡) 箕田古墳群 (みだこふんぐん) 昭和45年3月10日指定 箕田古墳群は大宮台地の北端部、通称箕田台地と呼ばれる台地上にある。 古墳群は、標高16〜18メートルの地点に、幅約600メートル、長さ1000メートルの広い範囲に亘って散在している。 古墳の分布から、宮前支群、富士山支群、龍泉寺支群、稲荷腰支群、追分支群の五つに分けられる。 これまでに9基の古墳の所在が知られているものの、現在は1、3号墳が消滅しているため、わずかに7基の古墳が残っているのみである。 周辺付近一帯から埴輪片が採集される事実からすると往時は相当数の古墳が存在していたものと思われ、鴻巣市では生出塚古墳群と並んで最も多くの古墳が密集していた地域である。 『新編武蔵風土記稿』の記述が古墳群に関する最古のもの

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    k10no3 2023/07/02
  • 箕田氷川八幡神社 鴻巣市箕田 - 週末は古墳巡り

    古笊田堰の次に訪れたのは、箕田氷川八幡神社。 箕田氷川八幡神社御由緒 鴻巣市箕田二〇四一 □御縁起(歴史) 氷川八幡神社は、明治六年、当時箕田郷内に祀られていた氷川社、八幡社など二十余社のお社を併合して、箕田郷の郷社として八幡社のあった現在地に祀られたものである。 氷川社は、承平八年(西暦938年)清和天皇の孫である源経基(つねもと)が武蔵の国の国介(くにのすけ)になってこの地に赴任して統治した際、大宮の氷川神社から勧請(分けて祀ること)したと伝えられており、中宿地内に祀られていた。 八幡社は、源経基の臣下であった源 仕(つかう)が経基と相談して、天慶四年(西暦941年) 現在地に京都の石清水八幡宮から勧請したもので、仕の孫の渡辺綱(つな)によって神田(しんでん、八幡田の地名あり)が寄進され再興されたものである。 仕は、嵯峨(さが)天皇のひ孫にあたり、平将門の乱や藤原純友の乱の平定に武功を

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    k10no3 2023/07/01
  • 古笊田堰 久喜市北中曽根・菖蒲町三箇・清久町 - 週末は古墳巡り

    皿田樋管の次に訪れたのは、備前堀川の古笊田堰(こざるたぜき)。明治41年12月1日起工、明治42年3月20日竣工。 古笊田堰/第6回 埼玉県の煉瓦水門/きまぐれ旅写真館 久喜市:古笊田堰/埼玉交通情報 煉瓦構造物 古笊田堰(歩鉄の達人) 埼玉県河川図 令和4年度 重要水防箇所図 文献 [1] 土木学会土木史研究委員会 2006「日の近代土木遺産 - 現存する重要な土木構造物2800選」 [2] 大西正修 2008「白寿の施設 古笊田堰」『水と土』155号 農業土木技術研究会 ブログを更新しました。 古笊田堰 久喜市菖蒲町三箇所 - 週末は古墳巡りhttps://t.co/IN7v1mPQ7f pic.twitter.com/5kz2eeHafr — ぶじん(かんれき) (@kufunmeguri9) 2023年6月29日 フォレオ菖蒲、キンシバイ にほんブログ村

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    k10no3 2023/06/30
  • 皿田樋管 蓮田市根金 - 週末は古墳巡り

    星川と隼人堀川の立体交差の次に訪れたのは、元荒川の皿田樋管。 皿田樋管/第6回 埼玉県の煉瓦水門/きまぐれ旅写真館 蓮田市:皿田樋管/埼玉交通情報 煉瓦構造物 皿田樋管(歩鉄の達人) 埼玉県河川図 令和4年度 重要水防箇所図 皿田樋管 白岡市新井新田 - 週末は古墳巡りhttps://t.co/eawT9oG3zD pic.twitter.com/jWJO5zeoFY — ぶじん(かんれき) (@kufunmeguri9) 2023年6月28日 文献 [1] 土木学会土木史研究委員会 2005「日の近代土木遺産 - 現存する重要な土木構造物2800選」 にほんブログ村

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    k10no3 2023/06/29