“死” にフタをする現代の日本社会 人に死に触れる機会って、そうそうありませんよね。 特に、命が消えていく様子を目の当たりにするようなことは稀です。 病気の場合は病院で亡くなるのが一般的ということもあって、葬式で遺体に対面する程度でしょう。 これが戦中戦後では、大家族で兄弟が多く、栄養状態が悪いケースも多々。 医療技術も制度も未発達。 しかも死ぬのは自宅が一般的である時代でしたから、バタバタと身の回りで人が死んだといいます。 私の家族は目の前で、スコンスコンと何人も死んだ。昔は皆、病人は家で死んだ。 三歳の時、生まれて三十三日目の弟が、鼻からコーヒー豆のかすのようなものを二本流して、死んだ。あんまり小さかったので顔も覚えていない。 (中略) それから私の下の下の弟が大連から引き揚げて三ヶ月目に、またコロリと死んだ。 名をタダシと言った。その時、家は子供が五人もいて、八歳の私は四歳のタダシの