豊臣秀吉に仕えた戦国武将、石田三成の家臣として、関ヶ原の戦いで活躍したとされる嶋左近の直筆とみられる書状が初めて見つかり、謎の多い人物像に迫る貴重な史料として注目されています。 見つかった書状は2通で、いずれも最後に嶋左近の「清興」という署名と「花押」と呼ばれるしるしが書かれています。 東京大学と滋賀県の長浜城歴史博物館が、大阪府内の民家に残されていた戦国時代のころの文書の中から2通を見つけ、本文と署名の筆跡が一致することなどから、嶋左近が自分で書いた可能性が高いと判断したということです。 2通はいずれも、秀吉が関東地方に攻め入って天下統一を成し遂げた時期に当たる天正18年7月に書かれ、常陸の大名、佐竹氏とその家老に宛てられていました。 このうちの1通は、秀吉に従わないほかの勢力について「指示に従ったほうがいいと思うが、どう思うか」などと問いかける内容が記され、左近が外交交渉にも当たってい