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エッセイとこれはひどいに関するkana321のブックマーク (2)

  • 適当に生きられなくてしんどい

    旧帝大3年、文系、女 就活が憂だ。 自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。 就活は茶番だと啖呵を切ってみても、就活に反抗して自分で起業するだけの気概もなければ、反抗心をむき出しにして面接の場で音を語るだけの勇気もない。けれど反抗心をなかったことにして適当に茶番にのっかる自分を許すことも出来ず、中途半端な人間が出来上がり、そんな風しか生きられない自分が、しんどい。 私は仕事を通した自己実現なんて求めていないし、社会を良くするというような使命感も持ち合わせていない。仕事に求めるのは、自分一人の生計が立てられて、1ヶ月に1回ぐらいお寿司とか焼肉とかおいしいものがべられて、1年に1回ぐらい国内旅行(18きっぷでかまわない)に行けるぐらいのお金を稼げて、休日には家でゆっくり読書とネットサーフィンができる時間があって、こころと身体の健康を損なわないこと、である

    適当に生きられなくてしんどい
  • 何をやっても劣等感がすごいんだ。

    暇な時に「メシ行かない?」って連絡をとるぐらいの友達はいるんだ。 人生相談だってたまにはしたりするぐらいの仲良しでもあるんだ。 恋人だって、自慢じゃないけどけっこう出来たりするんだ。 ノリで夜いきなり会いに行く、とかやっちゃうし、それなりに告白されたりするし、はたから見たらリア充ではあると思うんだ。 はたから見たら、それ以上何を贅沢言えんの?って思えるぐらい楽しい生活ではあると思うんだ。 でもダメなんだ。何をしてても、すごい劣等感がある。 なんていうか、自分は来はこんな幸せな境遇にいられる人間ではない、みたいな考えが常にある。 自分以外の人々は皆基的に他者と繋がることを許さされていて、それが当然である。 自分はそうではない。来は何の価値もない根的に劣った人間で他者と繋がりを持つことなんて許されていないけど、今だけ何故かイレギュラーにそれが許されてしまっている、という漠然とした感じ。

    何をやっても劣等感がすごいんだ。
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