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ブックマーク / umiurimasu.exblog.jp (9)

  • Yahoo! 剣豪知名度ランキング | 族長の初夏

    「やる夫で学ぶ柳生一族」シリーズの作者、神無月久音さんによる興味深い調査結果。日の有名な剣豪の知名度を検索エンジンのヒット数で比較してみようという試みです。これは壮観だー。【ヤフー検索でのヒット数ランキング (1位~63位)】 1: ”宮武蔵”     約2,980,000件(”新免武蔵” 約18,800件) 2: ”土方歳三”     約2,330,000件(”内藤隼人” 約11,100件) 3: ”斎藤一”       約1,960,000件(”藤田五郎” 約48,000件) 4: ”沖田総司”     約1,480,000件 5: ”近藤勇”       約1,320,000件(”大久保大和” 約12,900件) 6: ”柳生十兵衛”     約929,000件(”柳生三厳”  約 5,630件) 7: ”佐々木小次郎”   約685,000件(”佐々木巌流” 約 2,420件)

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  • 日本はいつから「未来」であることをやめたのか?(サイバーパンク的な意味で) : 族長の初夏

    「ブレードランナーやニューロマンサーの頃って未来の日がやたら流行ってたけど、あれってなんで廃れたの?バブルがはじけたから?」「いや、アニメやマンガがあたりまえになりすぎて目立たなくなっただけだろ」みたいなことをアメリカSF好きな人たちが言っています。日SFファンにとっても面白い話題なのではないでしょうか。で、少し訳したりしながら僕も考えてみました。米国のサイエンスフィクションはかつて、ブレードランナーからニューロマンサーまで、日に魅了されていた。 日のものはすべて、アメリカの小汚い美意識よりもクールで洒落ていて輝かしく見え、日は支配者となるべく運命づけられた存在だった。(中略) ウィリアム・ギブスンが「ニューロマンサー」の執筆中にブレードランナーを見に行ったというエピソードの中で、彼は、映画が描く未来のヴィジョンと彼の小説のそれがあまりにも似すぎていたことにショックを受け、も

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  • SFと廃墟、外挿の未来風景 | 族長の初夏

    古来、SFが得意とする手法のひとつに「外挿」というのがあります。既得のデータからデータの範囲外の数値を予測する方法のことなんですが、SFでは主に未来予想とかそういう意味合いで使われることが多いようです。そして、現実世界においてこれ以上確実なものはないってほど確実な、過去から未来へ時間を「外挿」した風景とは何かといえば、廃墟こそがまさにそうではないかと、ふと思ったわけで。どんな人工物であれ、人の手を加えずに100年ほど雨ざらしにしておけば、間違いなく必ず廃墟になるわけですから。 以前から廃墟の写真にもやもやと「SFっぽい」なにかが感じられるのをいつも不思議に思ってたんですが、擬似的な未来の風景が時間を飛びこえたような錯覚をよびおこすのだと考えれば、一応納得がいくのではないだろうかなあと。 ただし、そうした風景に対するもののあわれ的な感情がSF特有の感動にまで高まるためには、「未来なのに過去」

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  • わずか6語の超短編SFいろいろ | 族長の初夏

    Wired: Very Short Stories ヘミングウェイにならって著名なSF・ファンタジー作家たちが「6語」という制限つきで書いた小説集がありました。クラーク、ル=グウィン、ギブスン、カード、ブリン他、メンバー豪華すぎです。いくつか選んで訳してみました。 【アラン・ムーア】 マシンを。偶然にも私は発明していた、タイム Machine. Unexpectedly, I’d invented a time 【デイヴィッド・ブリン】 真空衝突。 軌道分岐。 さらば、愛。 Vacuum collision. Orbits diverge. Farewell, love. 【ケン・マクラウド】 太陽光発電に切り替えた。太陽が新星化した。 We went solar; sun went nova. 【オースン・スコット・カード】 赤ん坊の血液型?人類さ、ほぼね。 The baby’s blo

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    kanimaster
    kanimaster 2009/03/04
    ムーアのやつ、すごいね。
  • 「ニューロマンサー」に出てくる謎の武器の正体 | 族長の初夏

    なにげなくギブスンスレに行ってみたら長年の疑問があっさり解かれてた。女はそれを差し出して見せた。鈍色の鋼鉄の筒で、一端に革紐、もう一方の端にはブロンズ色の小さなピラミッドがある。女は片手で筒を握り、もう一方の手の親指と人差し指とでピラミッドをつかんで、引いた。固く巻きこんだコイルばねが三、油まみれに伸び出して、噛みあった。 (「ニューロマンサー」より)刊行以来多くのギブスン読者をまごつかせてきたであろう、この「コブラ」という武器についての描写ですが。2chのウィリアム・ギブスンスレッド Part5によると、実際的な護身用品としてはこういうものではないかというのです。確かにこれは、いわれてみればまさにぴったりな描写ではある。僕は今までずっと、バネのついた爪とかが三同時にびよ~んって飛び出すびっくり拷問具みたいなものを想像してました。もちろん冷静に考えればそんなのは不条理だし、第一それじゃ

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  • ファンタジーとマジックリアリズムの類似点 | 族長の初夏

    ガルシア=マルケスの「エレンディラ」を読み返していたら、あとがきに面白いことが。「2メートルのミミズにせよ、無数の蝶にすっぽり包まれた女性にせよ、われわれにとっては驚きであっても、そこに住んでいる人たちにとっては、ごくあたりまえの日常的なことでしかない。それを驚異と感じるためには、見慣れてしまって何の驚きも感じなくなっている魂を目覚めさせ、あらためてそれが驚異であることを発見しなければならない。」 (「エレンディラ」訳者あとがき 木村榮一)ここで僕が「あれ?なんか近いこと言ってそうだな」と思ったのが、トールキンの言葉、「馬や犬や羊に目をひらくためにはセントールや竜にであう必要がある」でした。これは「ファンタジーには見なれた現実からいったん距離をおくことによって、来驚異にみちている現実の姿を再発見させる力がある」というトールキンの考え方を端的にあらわした一言。らしいです。 南米マジックリア

    ファンタジーとマジックリアリズムの類似点 | 族長の初夏
  • 現代社会を予言していた!? 江戸時代のSF小説 | 族長の初夏

    杉浦日向子「一日江戸人」が超絶面白い。江戸時代の文化風俗に関する小ネタを紹介したいわゆるトリビアなんですが、「身近度」の高さが尋常じゃないのです。このがあまりにも面白かったので、元ネタの引きうつしそのまんまっていうのはちょっとどうかなあと思いつつも、そのうちのひとつを紹介させてもらいます。興味のある人はぜひ元を読んでみてください。むちゃくちゃ面白いんで。 さて、このによれば、江戸時代中期の大衆小説に「未来記もの」という流行ジャンルがあったそうです。何年後に何が実現するとかいうカタイものではなく、とにかくはるか遠い未来のとっぴょうしもない話をして、んなバカなハハハと読み手の笑いを誘う呑気なものであったらしい。ところがその内容が凄いんですね。 1 季節感がなくなる(旬の時期がベラボーに早まる) 2 諸事、高級志向となり、贅をきわめたあとはマニアックな趣味に走るようになる 3 各界での女

  • 車椅子の歴史と中世ファンタジーのテクノロジー | 族長の初夏

    ジョージ・R・R・マーティンの「乱鴉の饗宴」の冒頭あたりを読んでいて、地味ながらちょっと印象に残ったガジェットがあります。ドラン・マーテル公が乗っている車椅子です。車椅子。 騎士たちが剣をふるって戦う中世風の世界では、これはやや珍しい道具のように僕には思えました。なんとなく近代的な機械っぽいイメージをもっていたので。ところが調べてみると、車椅子の歴史というのは思いのほか古く、いわゆる中世の時代ならばあってもなんら不思議ではなかったということがわかってきました。〈氷と炎の歌〉の舞台である七王国も中世ヨーロッパをベースにしており、高貴な身分の子女たちのポピュラーな乗りものとして馬車などが普通に使われています。そこに車輪がある以上、車輪を利用した大抵の道具もまた存在するということは十分にありうるのでした。 以下に、歴史上の古い車椅子に関する画像を何点か、時代順に載せておきます。僕自身が〈氷と炎の

  • 族長の初夏 : 筒井康隆が「ライトノベル」を書くそうです

    講談社のファウストだかメフィストだかで、来年一月から筒井康隆の新連載ライトノベル「ビアンカ・オーバースタディ」がはじまるというアナウンスが出ています。筒井康隆公式サイトより。 まあ小説に関してはほとんどなんでもできちゃう万能の人なので、やるといったらそれなりのことをやるのでしょう。しかし御年とって74 73歳、ほんとに呆れるほどアクティブな人だなあと感心してしまいます。これで筒井康隆は、みずから「ライトノベル」と銘打って(つまり自覚的に)ライトノベルを書いた史上最高齢のラノベ作家という前例のない存在になってしまうわけですが。いったいどんなのを書く気なんでしょうかね。最近のラノベといえばアニメ風の挿絵がつきもので、そのあたりもどうするつもりなのか気になります。批評精神旺盛な筒井康隆のこと、ガチでオタ系の人気イラストレーターを起用したりする可能性もまるでないとは言い切れません。面白そうなのでし

    族長の初夏 : 筒井康隆が「ライトノベル」を書くそうです
    kanimaster
    kanimaster 2007/11/09
    『イリヤ・ムウロメツ』はライトノベルじゃないの?
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