タグ

ブックマーク / matsuo-tadasu.ptu.jp (3)

  • 市民派リベラルのどこが越えられるべきか

    松尾匡のページ 07年12月25日 市民派リベラルのどこが越えられるべきか 【濱口先生のブログで】 前回のエッセーをアップロードしたら、間もなく、政策研究大学院大学の濱口先生がご自身のブログで取り上げて下さった。ありがたいことである。釈明みたいなものは、コメント欄でさせていただいているのでご覧いただきたいのだが、少し言い足りないところが残っていた。 そうするうちに、濱口先生のブログでは、次の二回のエントリーで、赤木智弘氏の新著『若者を見殺しにする国』へのご論評が掲載された(こことここ)。そうあの「希望は、戦争」と言った赤木氏である。濱口先生は彼のを実に明解に批評している。これを読んでとても考えさせられ、しかもそれが前のエントリーのコメント欄で言い足りなかったことと大きく関係しているので、よく考えを整理してこのコーナーに公表しなければならないと思った。 しかしいざ考え出すと議論がかなり大き

  • 左翼による個人主義批判は争点間違い - 松尾匡のページ

    松尾匡のページ 05年1月25日 左翼による個人主義批判は争点間違い 最近、イラク戦争以降の反米的時流のせいだろうか、左翼世界の中で反個人主義的な言説が流行りだしているように感じる。そのことが、ただでさえ憂なご時勢をますます憂にしている。 同じ反福祉主義の主張でも、アメリカ型保守の発想と日型保守の発想とは違うのだが、みなさんどれほどそのことを認識しておられるだろうか。 アメリカ型保守の発想は、「大草原の小さな家」である。未墾地を自分の力で耕し、自分の労働で収穫を得た。だからこれはオレのもの。どう使おうがオレの自由だから口出し無用。税金なんて出さないよ。たしかに個人主義なのだ。 しかし日型保守の発想は違う。福祉に金を出したくありませんという結論は同じなのだが、発想は正反対とも言える。つまり、「共同体のために貢献した者だけが報酬を受けることができる」という集団主義の発想なのである。だか

  • 社会新報の円高評

    松尾匡のページ 08年12月7日 社会新報の円高評 (追記:ご指摘が入る前に気づいてよかったが、「なべ底不況」という言葉は、50年代、神武景気後の不況を指すのであった。その後一般名詞化したのか高校時代そう言われていた記憶はある。固有名詞的使い方はおわびして訂正しておく。──12月8日) の原稿などが切羽詰まっていて、ほんとはこんなこと書いている余裕はないのだが、ここしばらく、どうしても一言書かないと気がすまないと思っていたネタがある。今を逃すとしばらくまた書くチャンスがないので急いで書いておこう。 社会民主党の機関紙、『社会新報』の11月5日号の「宇野雄」名の経済コラム「世界は日を評価=円高が意味するもの=」についてである。まだ社民党のホームページにはあがっていないようなので、まずここに全文を晒しておこう。 世界的な金融危機の中で「円」が独歩高となっている。これで輸出産業主導の日経済

  • 1