1981年にドラフト1位で入団。 ルーキーイヤーから2桁勝利をマークし新人王に輝くものの、翌年以降はルーズショルダーに悩まされ不調。 プロ入り4年目に名前を恒美から恒実に改名し(ついでに背番号も15から14になる)、翌年には抑え投手として復活、カムバック賞を獲得する。 1986年9月24日の対巨人戦で津田と対戦した原辰徳はストレートをファウルした際に左手の有鉤骨を骨折し、残りシーズン全て欠場した。原は「あの時の津田との勝負に悔いはない」と、当時から現在に至るまで繰り返し語っている。 7年目の1988年はリリーフ失敗を繰り返し、2007年の永川的ポジションに置かれてしまう。 しかし、1989年には最優秀救援投手に輝き、見事に復活を遂げ炎のストッパーと呼ばれた。このとき野球板があれば土下座スレが乱立していたことであろう。 1990年シーズン終了後から頭痛をはじめとする体の変調が現れ