事例作成日 2010年01月08日 登録日時 2010/01/08 09:18 更新日時 2018/03/07 17:01 所蔵資料を調査したところ、後醍醐天皇やその皇子に関する伝説、伝承に次のようなものがあった。 1 後醍醐天皇に関係して ・『古高松郷土誌』(古高松郷土誌編集委員会/編 高松東部農業協同組合古高松支所 1977年) 〔当館請求記号:K2310 F1〕 第一編郷土の移り変り 第六章県政時代 第六節皇室及び皇族と古高松 四、後醍醐天皇(388頁)には、 「『六万寺縁起』に、「鎮守愛宕権現社 本社は後醍醐天皇の御建立 高松左近大夫頼重奉行す といい伝う。 元徳元年高松三郎頼重、本地堂を建立あり」と記している。 2 後醍醐天皇の皇子宗良親王(むねながしんのう)に関係して ・『香川県大百科事典』(四国新聞社出版委員会/編 四国新聞社 1984年) 〔当館請求記号:K0310 S1〕
平素より株式会社長野日報社のホームページをご利用いただき、誠にありがとうございます。 このたび、弊社ホームページを2024年4月15日(月)にリニューアルいたしました。 より使いやすいホームページを目指して、デザインとページの構成を見直しました。 これからもコンテンツの拡充を図りつつ、お客様に有益な情報を発信してまいります。 今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
元弘3年(1333)、後醍醐天皇はついに鎌倉幕府を倒し、朝廷の権威を回復すべく建武政権を樹立します。 この時、斎王に定められたのが後醍醐天皇の皇女・祥子(さちこ)内親王でした。しかし後醍醐天皇の理想と現実の社会が求めるものとの落差は激しく、頻発する反乱により建武政権は短期間で崩壊します。建武政権以後は、斎王が定められることは二度となく、祥子内親王は最後の斎王となりました。 ここに飛鳥時代以来約660年続いた伊勢斎宮は、ついに終焉をむかえることとなったのです。 この特別展は、激動する後醍醐天皇の時代を、終末期の斎王や伊勢斎宮の姿もまじえて紹介します。 概要
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く