理工系のもっと低レベルの私大だったけど、コピペさせてくれる友達もいなくて、 毎週のレポートで徹夜が続き、3年の後期に過労から鬱になって留年した。 留年だと学費が普通にかかるので、2単位のために百万円以上かかったことになる。 日付と名前と学籍番号だけ変えてさっさと提出し、就職活動で早々に内定をもらった同級生が羨ましかった。 一年遅れで配属された研究室は、自然エネルギーの看板を掲げていたが、 研究よりも学会行事や企業との共同研究、新聞への記事提供などに興味があるようで、 与えられたテーマは原子力関連で、後日提出された教授の論文の一章が自分の卒論の内容と一致した。 思えば講義内容が古いノートの板書のみ、テストが当該分野の教科書のコピペだった時点で気付くべきだった。 地下の実験室には高価な機材が並んでいたが、教官が実験室に現れることは滅多になく、 聞くところによれば、設備の多くが原子力関連企業から