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2011年3月25日のブックマーク (4件)

  • 特集 津波災害は繰り返す

    今から3500年前、エーゲ海で巨大な津波が発生し、これによる災害はクレタ文化圏に 大きな衝撃を与えたとされています。いくつもの文明が興亡した後の現在でも、それが土地 の言い伝えとなって残されています。我が国でも、各地に津波災害が伝承され、惨禍は教訓 として語り継がれています。陸奥国府に津波が襲来したとする9世紀後葉の記録が残されて おり、この歴史上の津波を、最先端の地球科学により解明することにしましょう。 陸奥国府を襲った貞観年津波(じょうがん) 3代実録(日紀略、類聚国史171)の貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)の記録に、 次の注目すべき災害の発生が記されています。「陸奥国地大震動。流光如晝隠映。 頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。 城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其数。海嘯哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。 泝徊漲長。忽至城下。去海数千百里

    kasedac
    kasedac 2011/03/25
    東北大学 まなびの杜 2001 夏 No.16 "仙台平野の海岸で最大で9mに達する到達波が…襲来したと推定…貞観津波の襲来から既に1100年余の時が経ており…仙台湾沖で巨大な津波が発生する可能性が懸念"
  • 産総研 TODAY 2009.11 VOL.9-11

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    kasedac 2011/03/25
    "東北地方を襲った平安時代の巨大津波 - 年代測定の結果から、似たような大きさの津波は500−1300年間隔で仙台・石巻平野を襲っていたこともわかりました。"
  • 地殻変動で地盤が東へ移動…山田町28センチ : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日巨大地震直後から続く地殻変動で、東北から関東にいたる地盤が東側に動き続けていることが、国土地理院による全地球測位システム(GPS)の観測結果から分かった。 地震発生から11日がたった22日現在で岩手県山田町が28センチ、千葉県銚子市が19センチ動いている。 国土地理院によると、今回の地震時には、震源に近い宮城県石巻市の牡鹿半島が東南東方向に約5・3メートル移動したが、その後は震源域の周辺部で変動が大きい。地震が起きたプレート境界の深い部分で、海のプレートがゆっくりと滑り続け、その上に列島がのった陸のプレートがのし上がる「余効変動」が起きているためだ。 余効変動は地震による大規模な地殻変動の後、長期間にわたって継続する。2003年の十勝沖地震では、北海道えりも町は地震から1週間で4センチ、2年間で20センチ南東方向に移動した。国土地理院の矢来(やらい)博司・地震調査官は「今回は地震の規

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    kasedac 2011/03/25
    "地震が起きたプレート境界の深い部分で、海のプレートがゆっくりと滑り続け、その上に列島がのった陸のプレートがのし上がる「余効変動」が起きているためだ。"
  • 地殻の破壊、茨城県沖で止まった…その理由は? : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日巨大地震を引き起こした地殻の破壊が茨城県沖で止まったのは、フィリピン海プレート(岩板)によるものであることが、海洋研究開発機構の調査でわかった。 地殻の破壊は、宮城県沖から北と南へそれぞれ進んでいったが、南下していった破壊は、茨城県沖と房総沖の境にある同プレートの北東端でちょうど止まったとしている。 一般に、余震の発生領域は、地震を引き起こした地殻の破壊が起きた領域とほぼ同じであると考えられている。同機構がこれまでの探査で分かっていた茨城県沖の地下構造と、余震の発生領域を比較した結果、余震の発生領域の南限がフィリピン海プレートの北東端に一致していることが判明。同プレートの北東端が、地殻破壊の房総半島沖への南下をい止めたとみている。 日列島の太平洋沖合では、東日をのせた北米プレートに太平洋プレートが沈み込む一方、西日をのせたユーラシアプレートにフィリピン海プレートが沈み込んでい

    kasedac
    kasedac 2011/03/25
    "地殻の破壊は、宮城県沖から北と南へそれぞれ進んでいったが、南下していった破壊は、茨城県沖と房総沖の境にある同プレートの北東端でちょうど止まったとしている" 鹿島神宮の要石が効いたのか?