「数千冊のマンガ捨てろと言われた。私の宝物なのに…」 36歳女(無職・両親と同居)、2ちゃんねるで両親殺害依頼…東京
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■[メモ]キャラとかうるせえこといってんじゃねえよ 「キャラを立てる」ことと「キャラ設定を作りこむ」ことはまったく別のはなしだと思うんだけど、そこを混同して、作りこんだ設定さえ用意すれば簡単に話や世界が作れると勘違いしている作品がけっこう多い気がしてならないのであった。いくら設定があったって行動やエピソードで描かれなかったら意味ねえよ。そして作品のテーマや物語の構造に関係ない設定がいくらあったところで、それは何ら作品の面白さに寄与しない。 ふと思ったのは、アニメのムックとかってキャラ設定とキャラ紹介が一緒にのってたりするじゃないすか。そのこと自体はかまわないんだけど、でもそれで誤解しちゃってる「作り手」の人もいるんじゃないのかなもしかして。本来、キャラ設定とキャラ紹介って、実はまったく別のものだと思うんだよね。キャラ設定ってのは作り手が最初に決めた約束ごとで、キャラ紹介ってのは作品中のその
歌舞伎における黒子(くろこ)といえば「実際にはそこに居るのだが、観客・演者たちの“暗黙の了解”として劇中では『居ないもの』として扱われる存在(Wikipediaより)」。観客と演者の間にそういうお約束が成立しているからこそ安心して舞台を楽しむことができるわけです。自分の意思にかかわらず存在してしまうもの、どうしたって逃れられないもの、たとえば感情とか欲望とか関係とかを、自分の都合でないことにしようとする人っていうのは、そういうものを勝手に黒子化させて、自分主演の舞台を演じているようなものだなあと思う。でも歌舞伎のようにそのお約束について見ている人とコンセンサスが取れているわけじゃないから、接する側としてはどうにも違和感をおぼえる。会話自体は成立したとしても、どことなくディスコミュニケーション感が拭いされない、ってのは、そういうことなんだろうな。うっかり黒子についてふれるとすっとぼけられたり
うーんうーんと考えて続けていることは、まあだいたい2年もたてばそれなりの答えが見つかるようだ。自分の時計を止めていなければ。他人に一番迷惑をかけない方法は、他人とかかわらないことじゃなくて、正しく他人を必要とすることでした。自意識過剰ってのは他人の目線を勝手にリハーサルしているわけで、けっきょくは自分の思ったとおりに他人をコントロールしようとしている傲慢な態度のことをいうんだな。だから「今」を見ることができなくて、相手のランゲージを読み取れないし、時間の流れを無視しているから、一度の失敗ですべてがダメになったと思い込むし、他人に対する評価も断定的で、持ち上げるかけなすかすんごい極端なのな。自分も、人も、タイミング次第でいいときもあれば悪いときもある、ただそれだけの話で、そういう時間とかタイミングに対する想像力をちょこっと働かせるだけでずいぶん違うんだけどナー。こないだDOROMIちゃんと話
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