世の中には2種類の人間がいる。「批判する人」と「批判される人」だ。イラストや映像、あるいはパフォーマンス――手法は問わず、「自己表現」の得意な人がいる。そういう人はファンとアンチを獲得しながら、どんどん有名になっていく。「嫌い」は「好き」の次に強い感情であり、愛に近い。それゆえに、有名な人には口さがない批判が浴びせられる。自己表現の苦手な人は、誰かを批判することでしか自分を語ることができない。 純文学の世界で頑張っている友人と飲んで、そんなことを教えられた。 いつものアイリッシュパブで、純文学の創作をしている友人と飲んだ。ネットを介してお互いの動向は知っていたけれど、会話をするのはおよそ一年ぶり。私は以前、こんな記事を書いたこともあるため、一発ぐらい殴られるのを覚悟していた。が、ネタをネタとして笑ってくれた。ううむ、実力のある人ってどうしてこうも心が広いのだろう。 スタウトを舐めながら、話
※この記事はブンガクのことなんてぜんぜん分からない素人の思いつきをメモしたものです。失笑されてしまう部分も多いかと思いますが、どうか優しくご教授ください。 ※というわけで、すべての文章の頭に「これはRootportの私見だが」という注釈を加えつつお読みください。 ※ど、どうか石を投げないで……。 神は妄想である―宗教との決別 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/05/25メディア: 単行本購入: 14人 クリック: 257回この商品を含むブログ (177件) を見る ここ数日、現在の日本での「神話の不在」について考えていた。 2011年はストーリー復権の年だったと私は書いた。私たちの嗜好が『かもめ食堂』や『けいおん!』などの日常系から、骨太な「物語」のある作品へと移行している。将来の見えない時代だからこそ、私たちは人生の指針・規範となるよ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く