2015年6月26日のブックマーク (1件)

  • 徳川義直 - Wikipedia

    慶長8年(1603年)1月28日、4歳のとき、甲斐国において25万石(24万石とも)を拝領する[2][3][1](甲府藩)。甲府城城代・平岩親吉は、このとき傅役を命じられた[3][1]。五郎太丸自身は甲斐に入国せず、家康や生母・於亀とともに駿府城に居住した[3]。親吉は、近臣の佐枝種長らを五郎太丸に近侍させている[3]。実際の領国経営は、親吉と甲斐国奉行・大久保長安によって行われた[4]。 慶長9年(1604年)1月、正五位下に叙せられる[1]。同11年(1606年)8月11日、7歳で元服し、従四位下右兵衛督に叙任され[1]、徳川右兵衛督義利と称する[2][5][注 2]。 慶長12年(1607年)閏4月26日、兄・松平忠吉の遺領を継いで、甲斐国から尾張国清洲城47万2344石に転封する[5][2][1](清洲藩)。このとき、平岩親吉も尾張国犬山城城主12万3000石となり、後見役を続ける

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    keishi7 2015/06/26