一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。
夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術 作者: 花輪陽子出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2010/06/16メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 10人 クリック: 394回この商品を含むブログ (23件) を見る 上記の本を読んでみて、ああ、「おひとりさま」の時代はもう終わるんだなと改めて感じた。少なくともトレンドではあり得ないんだろうな、と。 そもそも、人生を独りでやっていこうというスタイルが無理すぎる。たぶん、ファイナルファンタジー11のようなネットゲームをソロプレイでやるより厳しかろう。「おひとりさま」で生きていくということ=“家事も金銭も情緒もスタンドアロンにやっていく”って事なのだから。色々しんどかったり非効率的になったりするのは避けられない。 ごく最近まで、ホモ・サピエンスは独りで生きるのが著しく困難だった。狩猟採集社
2008年03月04日02:15 カテゴリ書評/画評/品評Art それでも私は屠り続ける +書評+ いのちの食べかた 以下のentryを読んで思い出したのが本書。 いのちの食べかた 森達也 「選択の自由」が排除する人々 - 過ぎ去ろうとしない過去もちろん、安楽死と解雇は違う。子飼弾[原文ママ]は、雇用の流動性とベーシック・インカムの必要性を説く。同様の未来像がhttp://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438491で示されている。あなたが解雇されたとしても、あなたが競争に参加する意欲があり、自分の能力を磨いて「生産性の高い」人間になる限り、また仕事に復帰できる。そのような社会が望ましいと。 ここまではとにかくとして、 では、競争に参加する意欲の無い、あるいは意欲があっても「生産性が低い」人間はどうなるか?確かにベーシック・インカムが
この時期になると、日本のスポーツファンも週末に開催される第42回スーパーボウル(米プロフットボールリーグNFLの優勝決定戦)の行方が気になる人も多いことでしょう。この米国で最も人気のあるスポーツイベントは、日本で考えるスポーツの概念を超えています。代表的なファクトを並べてみると、以下のようになります。 * 2007年の平均視聴者数は約9700万人と、全世界最大の生中継スポーツイベント * 米テレビ番組史上、視聴者数ランキングでトップ10を独占 * 多チャンネル化が進む米国にあって、視聴率は17年連続で40パーセント超 * 30秒の広告枠(2007年)の平均額は約260万ドル(約2億8600万円) * 「スーパーボウルのチケットが当選したから取りに来るように」といった類のおとり捜査が度々行われ、指名手配犯が逮捕される * 「スーパーボウル開催日を国民の祝日にしよう」(スーパーボウル・ホリデー
偶然だったと記憶しているが、2006年のちばぎんカップを取材した。千葉だったか、柏だったか。それともその両方だったか、のサポーターにシーズンを占ってもらうというような依頼をもらったんじゃないかと思っているが、あまりよく覚えてない。 スタジアムの入り口付近からコンコースまで動いて話を聞いて、写真を撮らせてもらって体裁を整えて、大方依頼された素材ができた事もあって、改めてフクアリをじっくりと見て回ることにした。そこでたまたま柏サポーターの試合前のミーティングの場面に遭遇することとなった。 気合いを入れるために?殴られて血を流す、という演出をユーモアあるものに変えて笑いを取って結束を促し、新しいコールをお披露目してテンションを上げる彼らだったが、その中で印象に残る言葉があった。それは「今年は大変な一年になるけど、応援しよう」というようなものだった。 J2に降格した柏というクラブに対し、サポータ
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 「NO BORDER」ってフレーズ、ご存じですか。そう、カップラーメンの宣伝に出てくるフレーズですね。何年か前には宇宙ステーション内で宇宙飛行士がカップラーメンを食べるコマーシャルがありました。最後には青くて美しい地球に「NO BORDER」って言葉が重なる。若い頃、壁にはアイドルではなく土星の天文写真のポスターを貼っていたクチですから、あのシーンには深くうなずきました。そうだ、ぼくたちは今、境界がなくなる時代に生きているのだって。ぼくの世代にとっては、東西の壁(ベルリンの壁)が崩壊した記憶が今も新しく、近年では、なによりもインターネットが人と人との距離を縮めた実感があります。 ただ、その一方で、いつかの手紙で「不寛容」という言葉で表したよう
前書いた、web進化論の妄想的感想にTBをもらった。 Bellog:Web2.0=共産主義? にゃるほど共産主義的かあと思ってたら、 ちょうどはてブにもそんな共通性を説いたエントリが上がっていた(むずかちい)。 池田信夫 blog:マルクスとロングテール web無しで共産主義やろうとすると、 どうしても、富や情報を一度掌握するための「中央」が要る。 富も情報も人々の未来も、中央から再配分されるしかないわけだ。 上から平等を与えてもらうかんじ。 でもweb2.0の場合は、別に中央は要らない。 突出したえらい人やえらい組織の代わりに、 偏在する神(システム)を使うことによって個人が立ち上げた無数のハブがある。 下から格差を埋めていくかんじ。 中央統制の垂直的共産主義では そういう制度で果たして自分の人生が幸せでお得なのか、人民にはさっぱり実感がないし、 中央が全人民の特性を見極めて各人の人生を
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