「いろんな切り口で聴き直す要素があるのがカンだと思うんですね」と坂本慎太郎はいう。その言葉を裏づけるように、カンはこれまでも何度もよみがえっている。あるときはナゾめいたクラウトロックの大看板として、またあるときはダンスミュージックにも親和的なグルーヴの供給源として。そのたびに私たちはカンの多層性と多面性に思いをあらたにする。シュトックハウゼンの門下生をメンバーにふくむ異能の音楽集団らしく抽象的な電子音響を展開したかと思えば、即興的な創発性を失わず、声と打楽器の絡み合いで原始的な風景をかいまみせる他方で旋律や和声に刺激的な隠し味をひそませる、多層的にして多面的な作品の数々はときに聴き手を煙に巻き、巻かれる愉しみもまた彼らを聴く醍醐味であるような、不思議な潜性力を放ちつづけるバンドはカンをおいてほかになし。 カンのなにがかくも私たちを惹きつけるのか。出会いはゆらゆら帝国の結成以前にさかのぼり、