タグ

2007年10月28日のブックマーク (3件)

  • さよなら飲むヨーグルト - ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

    この日記を読めば分かるように、おれは基的に感傷的な人間で、過去の思い出に耽溺してノスタルセンチな気分になるのが大好きな「思い出中毒者」なんだけれども、実際のところ、今までの人生に、中毒するほど美しい思い出があるか、といえば、そんなものがあるわけもない。じゃあ、全然無いのかよ、と言われれば、それはそれでまた違うのだ。さすがのおれでも、在りもしない思い出に浸ることは難しい。大体は実際の思い出を再編集して愉しむことが多い。思い出を切ったり貼ったりする。ささやかな美化を行う。意味を置き換える。 そんなことを続けていくと、編集前の記憶は段々と曖昧になってゆく。「現実と虚構の区別がつかない」なんて、いかにも三文小説に出てきそうな文章だけど、しかしそれは実際に起こってしまうことなのだ。もちろん、記憶として残っているからには、実際にそのようなエピソードがあったことは事実なのだろう。事実関係を改竄するよう

    さよなら飲むヨーグルト - ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ナミビアの砂漠 冒頭カナ(河合優実)が「どうしたの、元気ないね、べてないじゃん」と女友達のドリンクを一口すくって差し出すのは自分もやりそうだと思う、何となく。「ぼく?」「すぐに?」とハヤシ(金子大地)の言葉をそのまま繰り返すのも自分がやりそうだと思う、分かってい…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • Webマガジンen : 危ない奴は本当に危ないのか?(澤野雅樹)

    様々な分野で「安全」や「安心」が語られることが多くなっています。それは、わたしたちがいろいろなモノやコトを「危ない」と感じているということでしょう。自由、メディア、少子化、科学・・・・さまざまな「危ない」について、各界気鋭の研究者にご寄稿いただきます。 澤野雅樹 さわの・まさき − 1960年埼玉県生まれ。明治学院大学助教授等を経て、現在は同大学教授。専攻は社会思想史。 著書に『癩者の生』『ロックする哲学』『記憶と反復』『数の怪物、記号の魔』『死と自由』『不毛論』ほか 稿のタイトルは編集部から私に与えられたテーマ(もしくはご質問)である。色々と悩んでみたが、結論(回答)は一つである。危ない奴と呼ばれるくらいの人物であるなら、やはり危ないに違いないだろう。もしも危ない奴と言われながら当はちっとも危なくなく、しかも周りの誰もがそのことを知っているとすれば、彼はきっと「危なそうに見えるけ