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ブックマーク / note.com/onoholiday (5)

  • 「お母さん食堂」のどこが問題なのか|小野ほりでい

    政府見通しによれば、2020年の出生数は5年連続で過去最少を更新しての84万人台にまで落ち込む。社会が継続するための最低条件である出生数の漸減は、そのまま私たちの社会が緩やかだが確実に破滅へと向かっていることを示している。 しかし、この傾向は日に限らずほとんどの先進国が共通して抱えている問題であり、環境問題とならんで後期資主義国が直面する大きな矛盾のひとつである。 恐れ多くも私見を述べさせてもらえば、そしていきなり結論から述べてしまえば、この問題の根は市場原理―――生産的か非生産的か―――が社会全体を覆い尽くしてしまったことにある。 つまり、生産的<価値を生み出す>か非生産的<価値を生まない>の軸で考えれば、生産的な人間とは何らかの形で金銭を発生させる人間のことであり、価値をうまない「子ども」とは非生産的であるばかりか過大な金銭・時間的負担を要求するものでしかない。20年近くを費やし

    「お母さん食堂」のどこが問題なのか|小野ほりでい
    kisaragiakagi
    kisaragiakagi 2021/01/08
    "たとえば病人や老人たちを「非人間」とする価値観の表れである。"老人をジジババとかほざいてた子育て世帯()の皆さんご機嫌いかがですか?
  • 「私がモテないのではなく、恋愛が流行ってない」という可能性|小野ほりでい

    せっかくのクリスマスなので恋愛の話をしてみよう。 「普通」の人は誰でも―――生殖をゴールとした異性愛としての―――恋愛結婚をするものだという価値観は、文化・社会的な環境の変化によって実質的にそれが「普通」でなくなってからも根強い。 そして、この前時代的な価値観は、満足のいく恋愛状態にない場合、当然のことながら「普通」の人なら誰でもできることを自分はできていない、という劣等感を伴うことになるので、結果的には自らを追い込み呪うものに他ならない。 であれば、このような「普通」という概念は崩しておくのに越したことはないという話になるが、一方でこの「普通の恋愛」への信念は長い間自我の安定の役に立ってきたもので、おいそれと捨てるわけにはいかないものであることも確かだ。 しかし、それでも断言できることがあるとすれば、「普通の恋愛」なるものがあるとすれば、それができないからといって傷つくような時代はとっ

    「私がモテないのではなく、恋愛が流行ってない」という可能性|小野ほりでい
    kisaragiakagi
    kisaragiakagi 2020/12/25
    "(略)恋愛観が見落としているのは、この形式での「恋愛」そのものの競技人口が減っている点であり、ここにあるのはゲームの勝ち負け以前に対戦そのものが困難になっていくという変化なのである。"ざまあみやがれ
  • 政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう|小野ほりでい

    cakesという媒体がこの2ヶ月で立て続けの炎上を経験している。3回目になる今回は、ざっくり言えば声優・文筆家のあさのますみさんが以前からcakesでの掲載に向けて準備していた友人の死にまつわる連載が、cakes1回目の炎上(DV被害を虚偽と決めつけた人生相談)、そして2回目の炎上ホームレス取材記事)を受けて「センシティブな内容だから」という理由で反故にされ、掲載を拒否されてしまったというものだ。(詳しくは人の記事を参照。) 言うまでもなく、この掲載拒否の動機は内容に関する倫理的な吟味によってではなく「炎上するかもしれないから、もう炎上したくないから」という消極的な理由によるもので、その判断が裏目に出てかえって炎上してしまった格好になる。 しかし、今回の件についてのcakes側の粗末な対応は、cakesが抱えている特別な問題ではなく、断言してもいいが、ほとんど全てのメディアで日常茶飯事

    政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう|小野ほりでい
    kisaragiakagi
    kisaragiakagi 2020/12/11
    じゃあ育児漫画でも燃やすか(それが本質でないことは知りつつ)
  • 不安はなぜ尽きないのか|小野ほりでい

    人は誰しも、自分がかくかくしかじかの工程を経て幸福になるという物語を携えているが、この物語はそれぞれにおいてばらばらである。それは、ある人にとっては途方も無い額の金銭を得ることかもしれないし、またある人にとっては誰かに愛されることかもしれないし、またある人にとっては信仰かもしれないし、夢をかなえることや、自分の生業を意地でも成立させることかもしれない。 これらの物語は、将来的な幸福への漠然とした期待を抱かせると同時に表裏一体の不幸を定義する。たとえば私が長年、運命の恋人と結ばれれば幸せになれるだろうという淡い期待を抱いていたが、実際にはそうならなかった場合、このロジックは反転して「私が不幸なのは運命の恋人が訪れなかったからだ」とむしろ不幸を説明する理由になるだろう。このときの私は、運命の恋など最初から信じていなかった場合と比べて明らかに不幸だといえる。自分の不幸を合理的に説明できるためであ

    不安はなぜ尽きないのか|小野ほりでい
    kisaragiakagi
    kisaragiakagi 2020/12/08
    "これは言ってみれば弱く、負け続けている贔屓のスポーツチームのファンをやめて常勝軍団を応援したほうが合理的だというのと同じで" ホークスは嫌いじゃないし広島ファンはなんでカープが好きなのかよくわからない
  • 非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい

    人間ははじめ無能の役立たずとして産声をあげ、そして遅かれ早かれ無能の役立たずになって死んでいくものである。人間の質を有用さと無能さのどちらに置くかで迷ったら、まず後者と考えて間違いないだろう。したがって、私たち人間は大なり小なり自分の無能さを受け容れなければ立ち行かなくなる時がやってくる―――無能な自分に対する否定的感情は、自分自身に対してか、それを転嫁された他人に対する攻撃として結末するだろう。相模原障害者施設殺傷事件などはその結末の一例である。 無能で役立たずな自分に対する愛情を私は自己肯定感と呼んでいる。しかし、無能で役立たずな人間に対する愛情のまなざしを示すもっと普遍的な名前がある。人権である。人権は、どのような人にも変わらない条件で一様に存在している。私が人権を、ほかの何を差し置いても最も偉大な発明だと感じざるを得ないのは、それが存在するという主張なしには存在し得なかったものだ

    非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい
    kisaragiakagi
    kisaragiakagi 2020/10/04
    やはり性愛は人を幸福にしない
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