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ブックマーク / medium.com/@kuranuki (3)

  • 自分のことを棚に上げる仕事

    たまに、何らかの審査委員であったり、有識者としての意見を求められる仕事を受けることがある。 そこで、期待される役割は、正論を述べることだ。 もちろん、表現はオブラートに包んだりして気を使うが、それでもロジカルに正しいとされることを言うのが仕事だ。 公正な審査や、襟を正すための意見が求められているのだから、そういうことだろう。 そんな時に気をつけるのが、自分のことは棚に上げて話すということだ。 誰かに意見を言うべき際に、果たして自分を省みるとどうなるのか。ブーメランを恐れて、甘いことを言ってしまうと、それでは求められた仕事を果たしたことにならない。 わかってる。意見を言いながら、自分だって、そんなに偉そうなことは言えたものでもない。だけど、そう心では思っていても、言葉にするのは正論でなければいけない。 存外、大変な仕事だ。 「 あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけが、この女に石を投げな

  • 「やってみないとわからない」という思考停止

    「やってみないとわからない」だから、試すんだ。そのことは間違いじゃない。確かにその通り。 立派な計画を立てても実行しなければ、1ミリも社会に影響を与えない。 頭でっかちにならずトライアンドエラーで、逐次修正しながら進めよう。 アジャイルにやっていきましょう。少しずつ小さく試していけば大丈夫。 そう、世の中には、やってみないとわからないことばかりだ。正解が決まっていないことの方が多い。 だから、やってみる、行動してみるということに価値はある。 ・・・だけど、それ、当にやってみないとわからないことなのか?と考えたか。「やってみないとわからない」といって、考えてみることも放棄してないか。 考え尽くしたあとに、やってみないとわからないことを試さないと、やってみたことが良かったかどうかもわからない。 やってみることに仮説があるかどうか。 なぜやるのか。仮説をもって取り組めば、仮説が正しかったか、間

    「やってみないとわからない」という思考停止
  • 量産型プログラマを撲滅したい

    プログラマの生産性の差は、出来る人と出来ない人で10倍とも100倍とも言われる。そんな馬鹿な、と思われるかもしれないが、事実だ。 むしろ、一緒に働かせると、出来るプログラマが、下手に作られたプログラムの修正をしなければいけなくて、全体の生産性を落とすことになる。 つまり、出来ないプログラマはチームで働くと、生産性をマイナスにするのだ。厳しいことを言えば、いない方がマシなのである。 ソフトウェア開発にの手はいらないのだ。 では、出来ないプログラマとはどんな人たちか。 コピペで書くプログラマだ。他で動いているプログラムをコピペして、なんとなく直して書いているプログラマだ。 なぜプログラムが動くのか、どう書けば動くのか、わかっていない。 ただ沢山のプログラムを書くだけの量産型プログラマだ。こういう人のプログラミングは、デバッグさせてみて、横で見てるとすぐにわかる。 まず、エラーメッセージを見な

    kisiritooru
    kisiritooru 2017/01/14
    仕事の為の勉強かも知れないけど、より良い人生の為の勉強でもあると思う。この溝は埋まらないので、各人が考えればいい。
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