野村克也がヤクルトの監督に就任したときは本当に驚いた。 「ノムさん、ユニフォームを着る気があったんだ!」と。1990年のことである。 スーパー解説者だったノムさん。テレビ朝日で解説する日はストライクゾーンを表示した画面がテレビに出現。次の球はここです、と野村克也が予想するとピッチャーの球は面白いようにそこに投げられた。バッターの結果も予想どおり。「野村スコープ」は野球の屁理屈の楽しさを教えてくれた。 となると当時10代の私は素朴な疑問としてこう思っていた。 「こんなに野球理論が凄い人なのに、なぜグランドに復帰しないのだろう?」 そんなある日、書店で「監督 その栄光と挫折」(日本スポーツ出版社)というタイトルを見つけた。野球雑誌『ホームラン』'89年1月15日発行号であった。 読みもののひとつに「球界のナゾ 野村克也はなぜユニホームを着ないのか?」が。これだ、自分が読みたかったのは! 永谷脩
平成東京対決の記憶 首都“TOKYO”を本拠地とする2チームによる「平成最後の東京対決」が終了。ゴールデンウィーク(GW)も間近に迫り、31年つづいた平成もカウントダウンに入った。 そこでベースボールキングでは、「平成の東京対決」を振り返るべく、平成のヤクルトと巨人を、その傍らで見続けてきた、ヤクルトファンとしても知られているスポーツライターの長谷川晶一さんと、巨人ファンとしても知られている野球ライターの中溝康隆さんに協力いただき、「記憶に残る平成の東京対決」について話を聞いた。 ユーザーの皆さんにも、記憶に残る平成の東京対決を振り返りながら、記憶を呼び起こしていただき、それぞれの記憶に残る東京対決を投票、「平成の東京対決名珍場面」ベスト5を勝手に決めたいと思う。 【投票】記憶に残る平成の東京対決名珍場面 ▼ 1990年(平成2年)4月7日『ギャオス、疑惑のホームラン』 ≪長谷川さん≫ こ
石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 大卒のNPBフランチャイズ投手としては史上初の22年連続勝利を達成している[注釈 1][2]。また、投手としては史上初の1年目からの22年連続安打も達成している[注釈 2][3]。 経歴[ソースを編集] プロ入り前[ソースを編集] 下新城小、 秋田北中卒。秋田市立秋田商業高等学校ではエースとして、第79回全国高等学校野球選手権大会に出場した(石川とバッテリーを組んでいた主将で捕手の太田直は現在、秋田商硬式野球部監督である)。1回戦の対島根県立浜田高等学校戦では、和田毅との投げ合いを制して完投勝利を挙げた。続く2回戦の対沖縄県立浦添商業高等学校戦では完投するも8失点を許し、チームは敗退した。高校時代の同級生にはタイ女子レスリングナショナルチームコーチ
今回は『もっとも危ない男 原辰徳監督』というテーマで書いてみよう。 大げさに言ってるわけじゃないよ。オレはコーチとして2011年から14年まで「監督・原」の部下になったけど、まさに大胆不敵というか、特にすごいと思ったのは、自分のチームを壊すことにまったく躊躇がなかったこと。なんでもありの監督だったね。 入団時から彼とは縁があった。 年齢は原さんが上だけど、いずれも1980年秋のドラフト会議で1位指名組。ただ、向こうは4球団競合、俺が原さんのはずれ1位だけどね。 しかも、いわゆる隠し玉ってヤツで、俺のことを知ってる広島ファンは、ほとんどいなかった。ドラフトの後、広島中で「川口って誰?」になったらしい。 オレは14年目に巨人に移籍。原さんにとっては現役ラストイヤーだったけど、あのときのオレは自分のことに精いっぱいだったから正直、あまり記憶がない。 結局、俺は巨人で4年やって98年限りで引退。評
大野奨太のFA補償が金銭で決着し、いささか意外だったのだ。経緯をたどると同選手のFA契約締結合意公示が昨年12月13日、ルールではそこから40日以内に補償内容を確定させる手筈だった。ファイターズは増井浩俊(オリックスへFA移籍)のケースと異なり、人的補償を求める方向と報じられた。同20日、吉村浩GMが中日から届いたプロテクトリストに関し、「ファイターズとしてインパクトのあるリストでした。検討する価値のあるものと考えています」と示唆したからだ。 インパクトのあるリスト。 僕のような長年の日ハムファンにとっては心躍るフレーズだった。うわ、誰かなぁと選手名鑑をひっぱり出して、検討を重ねた。知り合いの中日ファンに見解を尋ねたりもした。それが、松が取れ、仕事始めの週になってもなかなか発表にならない。自主トレのニュースが出始めた。僕は「大野 人的補償」と検索をかけるのが日課になってしまった。ここが確定
張本勲氏「とにかく一茂が大バカ。あれだけの人(長嶋茂雄氏)をどうして他人が面倒を見てるのか」 (【2chまとめ】ニュース速報嫌儲版) 「アマレス」より『野球』です。 (mingoh's観戦レポート) 都市対抗野球に明日はあるのか (三井健聖の野球生活) さらば落合博満。 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁03 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁02 (観測所雑記帳) 2010年W杯南ア大会 - 金子逹仁01 (観測所雑記帳) [野球]2009/11/07 プロ野球〜原巨人が日本シリーズ優勝 (昨日の風はどんなのだっけ?) 【野球】巨人が7年ぶり日本一! 原監督の「維新」成就 (しなぷす) [2009/11/04]川崎フロンターレと、ガンダムとのつながりは? ほか 本日のサッカーネタまとめ (footballnet【サッカーニュースの2ちゃんねるまとめ
日本時間7月12日朝に米国でプレイボールとなったメジャーリーグ(MLB)のオールスター戦。はるか海を越えた日本、埼玉県越谷市の郊外にある野球用具メーカー「ベルガードファクトリージャパン」は、MLBのスター選手たちが愛用する防具を作っている。2012年に一度経営破綻して復活、メジャーリーガーたちからオファーが殺到する理由を永井和人社長が明かした。(「週刊ダイヤモンド」委嘱記者 野村聖子) ――ロビンソン・カノ(シアトルマリナーズ)、ジャンカルロ・スタントン(マイアミマーリンズ)、ヨエニス・セスペデス(ニューヨークメッツ)――錚々たるメジャーリーガーたちがベルガードの防具を使用しています。なぜMLB で広まったのですか。 きっかけは十数年前。イチロー選手がマリナーズに在籍していた頃の専属トレーナーが私の知り合いで、彼を経由して、マリナーズの選手たちから「日本の防具を使ってみたい」とオファー
「ボールがピンポン玉のように飛んでいく」という表現は、中村剛也にこそふさわしい。彼のホームラン率は群を抜いている。 常々あのニックネームがいかんな、と思っているのだ。「おかわり君」って、健康優良児みたいで軽すぎるでしょう。実際の風貌も、ゆるキャラみたいだから、ちっとも大打者っぽくない。 でも、埼玉西武ライオンズの中村剛也は、実は球史に残るホームラン打者なのだ。ホームランの密度、そして「他の選手が打たないときに打つ」能力で、中村剛也はずば抜けている。もっと賞賛されるべきだ。どん(机をたたく音)! 今回は、そのことをいくつかの数字で証明したい。 王、田淵時代とは球場の広さがまったく違う。 まずは、本塁打率。キャリアの本塁打数を打数で割った単純な数字。 42人いる300本塁打以上の選手のランキング。現役選手の数字は5/14試合前の時点。※は現役 (数字は左から本塁打、打数、本塁打率) 1 王 貞
全マシニキは今日も全マシィィィッ! 全マシニキです! 今回はプロやきうの話題です。 私がプロやきうに興味を持って20年くらいが経過しました。 20年も見続けていると、様々な選手に出会います。 たくさんの個性的な選手を見てきた中で、好きなジャンルがあるんです。 そう、私は「暗黒エース」が好きなんですwww 暗黒エースとは チームが低迷している期間のエースピッチャーの事を指します。 明確な定義ってハッキリしないのですが、私のイメージとしてはこんな感じです。 シーズン10勝しても10敗以上する イニングイーター(または完投が多い) 通算100敗以上(勝率は5割未満) チームが長年に渡って低迷すると誕生する悲運の投手たちなのです。 そんな彼らの成績を見ると、プロ野球史の闇を垣間見ているようで、胸が熱くなります。 そこで今回の企画です。 暗黒エースで打線組んだったwww あくまで私の独断とイメージで
9回の裏、中崎がマウンドにいつものようにふてぶてしく立っていました。 僕は、やっぱり石原さんキャッチング上手いなあ、いいキャッチャーだよなあ、なんて思いながら観ていたのです。 あれ、25年ぶりの優勝のはずなのに、なんだか感動しないなあ、なんて思いつつ。 2アウトから長野選手がヒットで出塁して、2番の亀井選手がバッターボックスに。 3番って、あのカープの宿敵・坂本じゃないか……これは9回裏に逆転サヨナラスリーランを食らうパターンか?なんて、けっこう不安でした。 9回の裏、もう少しで優勝が決まるはずなのに、ベンチの選手たちもなんだか澄まし顔。 黒田さんが、なんだかとても透明な顔をしているのが印象的でした。 優勝できて嬉しいのはやまやまなんだけど、今日のピッチングには納得できていないのかな、なんて思ったりもして。 NHKの中継を観ていたのだけれど、解説の大野豊さんが、25年ぶりで、選手たちもほと
2007年11月09日 残念です FA移籍が確実になった新井、非常に残念です。 皆さん同様、僕も残留してくれるものだと思ってました。 記者会見後の厳しいコメントも、御もっともと思いますが、これがFA現実ですね。 カープの4番打者とエースのFA宣言。ファンにとっても表現の仕様が無い気持ちだと思います。 昨日の会見を見ながら、新井が大学生の頃に僕の家に突然やって来たことを思い出しました。 手土産を持ち、丸刈りの頭にジャージ姿で「野村さん、僕のバットスイングを見てください!」と、何百回とひたすらにバットを振っていました。 その時からの縁というか、その後カープに入団し、真っ黒になりながら練習した頃、4番としてホームラン王に輝いた時、性格も明るく精神的にも強くなり、これから新井が名実共にカープを引っ張っていくんだ! その矢先のFA辛いです。悔しいです。 このコメントを書きながら、何とか気持ちを落ち着
球界に衝撃を与えた巨人・福田聡志投手(32)の野球賭博問題。不可解な発覚の経緯について、球界の表裏に通じる関係者は「福田は見せしめにされた」と推理している。 6日、白石興二郎オーナーが東京ドームを訪れ、クライマックスシリーズ(CS)に向けた練習前のナインを集めた。「非常に不面目な事態で極めて残念。巨人軍を創設した正力松太郎の『紳士たれ』の訓示は、グラウンド上だけでなく外でも重い責任を背負っていることを忘れてはいけない」と注意を喚起した。 5日の球団の説明によると、問題が発覚したのは9月30日午前。税理士法人勤務という男性A氏が川崎市のジャイアンツ球場に現れ、福田に賭博の負け分を払うよう求めたのがきっかけだ。対応した球団側の肩代わりは望むべくもなく、わずか百数十万円を回収するため出向き、賭博罪で告発されるリスクまで冒したA氏の行動は不可解だ。 在京球団のトラブル処理の経験を持つ球界関係者は「
2015年10月24日 12:48 高橋由伸、長嶋茂雄、原辰徳|野球史 Tweet 大学出のエリート打者、そして巨人の監督になった3人のスラッガーを比較する。 まずは安打数。年度別の成績と累計数。太字はシーズン最多。 高橋と長嶋は同じ7年目に1000本安打を突破している。二人とも3割を超えていた。ここまでのペースはほぼ互角だった。この時点で打率3割を1回しかクリアしていなかった原は1年遅れ。 しかし、ここから高橋のペースはガクッと落ちる。34歳の年にはほぼ全休し、原に安打数で抜かれる。 原は37歳で引退したが、その時点では高橋の安打数を上回っていた。 本塁打数。同様の数字。 興味深いことに、本塁打数は30歳の時点では原が圧倒的にリードしていた。長嶋と高橋は大差がなかった。彼は長距離打者だったのだ。 しかし33歳から長嶋は奮起して30本越えを3度。王貞治の三冠王を阻止していた時期だ。長嶋の真
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