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2018年3月3日のブックマーク (2件)

  • A級順位戦最終局、三浦九段戦。

    現実逃避で静岡県内をぷらぷらしてるので、図面解説は後日で。A級は8期目で、落ちる心配は毎年していたものの、なんだかんだ勝ち越せていたので、気で心配したのは年明けあたりからでした。昨日は感想戦が始まって10分くらいしたら記者の方々が入って来たので落ちたんだと思いました。残ってたらコメントはいらないですからね。 竜王戦のあとに来年は巻き返したい、と言ったもののさらに悪化してる印象で、打つ手が無くなってきた、という感じです。この負けっぷりが一過性なのか、はっきり力が落ち始めてるのかはこの1〜2年ではっきりするんでしょう。前者なのを祈りつつ、打つ手が無い中で模索したいとは思いますが、白星が集まらないことには何が今の自分に合ってる(戦法、取り組み方)のかも分かりません。負けては変えて、負けては変えて、で元に戻る、という負の連鎖が今の状態です。こんな時、将棋にもコーチがいれば、とは思いますが、自分で

    kj-54
    kj-54 2018/03/03
    “この負けっぷりが一過性なのか、はっきり力が落ち始めてるのかはこの1〜2年ではっきりするんでしょう。…負けては変えて、負けては変えて、で元に戻る、という負の連鎖が今の状態です”冷静さがきつい。
  • “格闘王”前田日明「『ヤッていいんだよ』というところだけが大きくなりすぎた」――最強レスラー数珠つなぎvol.16(週刊SPA!) - Yahoo!ニュース

    お使いのInternet Explorerは古いバージョンのため、正しく表示されない可能性があります。最新のバージョンにアップデートするか、別のブラウザーからご利用ください。 Internet Explorerのアップデートについて 中学2年生の終わり頃、両親が離婚し、前田日明は父親に引き取られた。父親は家を空けることが多く、わずかばかりの生活費を残しては、ひと月もふた月も帰ってこない。生活は荒んでいった。高校に入るとバイクを乗り回し、気にわないことがあると手当たり次第、喧嘩をふっかけた。孤独だった。 ⇒【写真】前田日明 「プロレスラーになってね、いつも周りに人がいるでしょ。それが嬉しかったんですよ。練習がキツくても、先輩に怒鳴られても、人に構ってもらえるということが嬉しかった」 1984年、新日プロレスを退団し、新団体・UWFの旗揚げに参加した。UWFが解散すると、新生UWFを引っ張

    “格闘王”前田日明「『ヤッていいんだよ』というところだけが大きくなりすぎた」――最強レスラー数珠つなぎvol.16(週刊SPA!) - Yahoo!ニュース