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2018年12月17日のブックマーク (4件)

  • 川淵前会長を嘆かせ、FIBA最高幹部を「怒り心頭」にさせた日本バスケ推進協議会(大島和人) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    2015年の改革メンバーが都内で会見「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という警句がある。あの頃の「熱さ」を思い出して緊張感を味わった、12月16日の記者会見だった。開催を要望したのは国際バスケットボール連盟(FIBA)で、質疑に応じたのは川淵三郎、インゴ・ヴァイス、スコット・ダーウィンの3氏。いずれも2015年1月に結成された「ジャパン2024タスクフォース」のメンバーだ。 4年前の冬、日バスケットボール協会(JBA)は国際資格停止処分を受けていた。男女、年代を問わないあらゆる代表チームが国際試合から排除され、オリンピックやワールドカップの予選出場も許されない窮地だった。日側から川淵現JBAエグゼクティブアドバイザー、FIBA側からエグゼクティブコミッティーのメンバーであるヴァイス氏が「コー・チェアマン(共同議長)」に選出され、日バスケの抜的な改革に尽力した。 2015年のチャレンジは成

    川淵前会長を嘆かせ、FIBA最高幹部を「怒り心頭」にさせた日本バスケ推進協議会(大島和人) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    kj-54
    kj-54 2018/12/17
    『明日でなく今日中に日本のバスケ界から引退して頂きたい。率直に『黙っておれ』と、一言でお伝えしたい』『会長にしてくれだの、技術委員長にしてくれだの、70歳80歳の人たちがよく言うなという印象でした』
  • 29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!

    2017年、11月某日。 得意先に向かう途中、私は突然、足が動かなくなった。 「動かない」というのは、比喩ではない。文字通り、足が一歩も前に進まない状態になったのだ。 日比谷駅で。 肉離れをしたわけでもなく、脚の神経が故障したわけでもない。 ただ、PC上で強制終了が選択されたように、「歩くのやーめた」という号令が脳に降り、それきり司令塔は機能しなくなった。 その数分前まで自分を苦しめていた「彼氏が欲しい」「給料上がれ」といった煩悩のダムは、静かに決壊した。 かすかに電車がやってくる音がして、「黄色い線の内側をお歩き下さい」という駅員の怒号が飛ぶ。 ギリギリのところで車両はかわしたが、はたして悟る。 「これはきっと、しばらく何をしても動かねぇな」 予想は的中した。 その後も数十分間、の裏が地面に接着剤で固定されてしまったような状態が続く。 狭いホームで、通勤バッグを抱えたアラサー女が一時停

    29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!
    kj-54
    kj-54 2018/12/17
    大木亜希子さん
  • 自然派助産師・看護師が生まれる理由|木村映里|note

    先月あたりでしょうか、助産師を目指す学生向けの教科書に、産後の母親が乳房をキャベツで冷やす「キャベツ湿布」なるものが、医学的な根拠のない民間療法にも関わらず写真付きで掲載されており、助産師学会がメディアの取材に曖昧な回答で逃げたことを含めて、助産師への信用が危ぶまれた出来事がありました。 キャベツ湿布、ジャガイモ湿布といったエビデンス皆無の民間療法をはじめ、子宮を温める、潜在意識、脱ステロイド、反ワクチン、ホメオパシー、赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくるetc……標準医療に携わっている人間としてはとても信じられないような、荒唐無稽な発想の、いわゆる‟自然派”と呼ばれる助産師、正直見たことがないとは言えないし、助産師資格を持たない看護師の一部にもそういった発想は強く浸透しています※1。 医療関係者にも関わらずエビデンスのない民間療法を他者に勧めるなんて絶対にあってはならないことですが、私

    自然派助産師・看護師が生まれる理由|木村映里|note
    kj-54
    kj-54 2018/12/17
    “そもそも、助産師や看護師をはじめとする対人援助職に就く人間には、自己肯定感の低さや共依存傾向の強さといった、彼等彼女等自身が何らかの援助を必要としている場合が多いことが指摘されています”
  • 開催スケジュール - 小柴 一良 写真展 | 写真文化活動 | ニコンイメージング

    銀座ニコンサロン 2018年8月 8日(水) 〜 2018年8月28日(火) 日曜休館、8月11日(土)~8月14日(火)休館 40年以上水俣を取材したことから、福島も同じ問題が起きるのではないかと考えていた。福島を仮に公害(?)と言うのであれば 水俣を長年取材した自分が知らん顔をして良いのかといった後ろめたさは、ずっとあった。 2015年明けてすぐに、福島の川内村で葬式の撮影が可能であるという話が 舞い込んだ。ロケハンも兼ねて行くことにした。それがキッカケとなり福島通いが始まった。 東電・行政の対応、補償金をめぐる親子・兄弟、あるいは近隣の争い。補償金で高級車を買い、毎日パチンコ通いの人がいる。家を何軒も新築した人がいるという話を耳にする。 また、被害を受けた人の話は避難した先のスーパーのパーキングが満杯で苦労して入れたのに、帰る時は福島ナンバー車の周りは避けられ、ガラガラだった。 福島

    kj-54
    kj-54 2018/12/17
    HUKUSIMAねえ…「小鳥の声を聴かなくなった」ねえ… こういうことされると水俣の話もずいぶんインチキがあったんじゃねえかと思えてくる。