電車の中とかで見てると世の中の人は腕時計をしてる人としてない人に分かれるようにみえる。 時計をしてる人はちゃんと社会の中で暮らしてるように見えて、時計をしてない人はフリーターとか主婦とかそんな感じ。 スーツ着てる人はほとんどみんな時計してるし、つけてる人とつけてない人とでは社会的にほとんど接点がないように思う。 俺は時計をしてる組だけど、まわりはみんな付けてる。
電車の中とかで見てると世の中の人は腕時計をしてる人としてない人に分かれるようにみえる。 時計をしてる人はちゃんと社会の中で暮らしてるように見えて、時計をしてない人はフリーターとか主婦とかそんな感じ。 スーツ着てる人はほとんどみんな時計してるし、つけてる人とつけてない人とでは社会的にほとんど接点がないように思う。 俺は時計をしてる組だけど、まわりはみんな付けてる。
「○○が好きなんじゃなくて、"○○を好きな自分"が好きなだけでしょ?」 誰にでもどのシチュエーションにでも当てはまる汎用性の高さ・便利さゆえなのか最近よく使われてる場面を見かける。 しかしこれ諸刃の剣。そもそも雑な反論だし、おまえが相手のメンツ潰すためにメタ視点でマウント取りに行ってるわけじゃん。 ちゃぶ台ひっくり返してるだけ。誰も得しない、不毛な論法なので使用は自粛したほうがいいかと。誰も「好き」を言えなくなる。 ==== 追記1 ○○が好き・嫌い、と自己愛の有無はそれぞれ独立したパラメータと考えたほうがいいのでは。どの趣味にも人間性がヤバい人は混じる。 何かを好きになったり嫌った時に、自己嫌悪することもある。「お酒は好き。でも酒ばっかり飲んでる自分が嫌い」とか。依存症っぽいけど。 自己肯定感が低い人なら「自分自身が嫌い、でも自己憐憫に酔ってる自分はもっと嫌い」とか。4パターンのどれもあ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く