1.二つの「脱構築」 当初はなにやらおどろおどろしい雰囲気を漂わせていた「脱構築」という言葉も、現在ではすっかり市民権を得たと言っていいだろう。例えば Michaut [1998: Deconstruction and Legal Theory, in: Rechtstheorie Beiheft 19, Duncker und Humbolt, 185]は、「脱構築は、哲学的ディスコースが究極的真理に到達する能力をもつのを否認することによって、それを不安定化させる。常に何かが欠落しているのである。知識は表層的で相対的なものでしかありえない」と書くことによって、「おどろおどろしさ」を暗示しているように見える。しかし実は脱構築は例えば憲法に関するさまざまな競合する解釈の可能性を開示することを通して、法学理論に寄与しうるのである。あるいはまた脱構築によって、一見すると自己完結しているように見え