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2015年8月23日のブックマーク (7件)

  • 「積極的平和、沖縄から提案を」 ガルトゥング氏が講演 - 沖縄:朝日新聞デジタル

    ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士(84)が22日、沖縄県浦添市で講演し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の県内移設計画に関連し、「政府が嫌がるのは、『積極的平和』の考えに基づく新たな提案を沖縄側からすることだ」と述べた。 博士は、貧困や差別といった構造的な暴力のない状態を「積極的平和」と定義。移設計画について、「日米両政府が進める『プランA』(第一案)は東京やワシントンから遠いところに軍事基地を置こうとするもの。軍拡は他国を刺激し、戦争につながる可能性もある。積極的平和を通じた『プランB』(別の提案)が大事だ」と訴えた。

    「積極的平和、沖縄から提案を」 ガルトゥング氏が講演 - 沖縄:朝日新聞デジタル
    knockeye
    knockeye 2015/08/23
    その「プランB」は可能だと思うし、議論の価値がある。
  • 「アジア主義」の幻想 『八紘一宇』

    今年の3月に参議院の質問で三原じゅん子議員が「八紘一宇こそ日の取るべき道」といって失笑を買ったが、これは意外に根の深い問題である。 それは一般には「大東亜共栄圏」のプロパガンダとしか思われていないが、もとは日蓮宗系の国家主義団体の田中智学という人物が1913年にとなえたものだ。ここで彼は、西洋の「悪侵略的世界統一」に対して、天皇を中心にした「道義的世界統一」を実現し、八紘(世界の隅々)を一つにまとめるべきだと主張した。 つまり八紘一宇は、白人の植民地支配に対抗する道義として提唱されたのだ。石原莞爾や北一輝も日蓮宗の信者で、田中の影響を受けて「大アジア主義」をとなえた。石原の理念も「五族協和」であり、彼はアジア諸国が平等な立場で集まる「東亜連盟」を構想した。 八紘一宇は1940年に「基国策要綱」に取り入れられ、日中戦争を正当化するイデオロギーとして使われた。戦争はつねに主観的には、正義の

    「アジア主義」の幻想 『八紘一宇』
    knockeye
    knockeye 2015/08/23
    日蓮主義者の「平和」にはこうした歴史あり。
  • フィフィ、安保関連法案に反対する学生たちに皮肉「ぬるいハンスト」 (2015年8月20日掲載) - ライブドアニュース

    by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 20日、フィフィがTwitterで学生のハンガーストライキを皮肉った 「イスラムの断月よりぬるいハンストに正直驚いた次第です」と投稿 「私は世の中の厳しさを教えたいと思いますから」と説明している ◆ハンストする学生にフィフィが皮肉 社会人の皆様、激務お疲れ様です。さて来たる8月27日、国会前で学生達がハンガーストライキを決行するそうです。内容は以下の通り ・初日は14時〜21時まで ・2日目以降は10時〜21時まで ・水は飲める 日の出てる間、水も抜くイスラムの断月よりぬるいハンストに正直驚いた次第です この記事を見るためには この記事はlivedoorNEWSアプリ限定です。 (アプリが無いと開けません) 各ストアにスマートフォンでアクセスし、 手順に従ってアプリをインストールしてください。 関連の最新ニュース 記事時間 記事時間 記事

    フィフィ、安保関連法案に反対する学生たちに皮肉「ぬるいハンスト」 (2015年8月20日掲載) - ライブドアニュース
    knockeye
    knockeye 2015/08/23
    ハンストは末期症状。台湾の雨傘革命でもホントのハンストをやったが、ウーアルカイシも、天安門事件の経験から、オススメしないようだった。ただ、ナンチャッテハンストは、歴史に例がないので効果がわからない。
  • 機構に厳しい「内部調査報告書」と、厚労省に優しい「第三者委報告書」

    年金機構(以下、「機構」)からの大量の年金個人情報の流出問題に関して、二つの調査報告書が相次いで公表された。 8月20日の日年金機構「不正アクセスによる情報流出事案に関する調査委員会」の報告書、21日の厚労省「日年金機構における不正アクセスによる情報流出事案検証委員会」の報告書である。 組織の不祥事が発生した際に、事実解明、原因究明等の調査を行う組織の設定の方法として、内部者中心の体制で調査が行われることが多いが、重大な不祥事については、内部者だけでは、徹底した調査を行って、問題の根原因や組織の体質等の構造的にまで踏み込んだ指摘を行うことが困難なので、外部者によって構成される「第三者委員会」が設置されることがある。 機構の調査委員会が、理事長を委員長とする機構内部のメンバーに社外弁護士が一人加わった「内部調査委員会」であるのに対して、厚労省の検証委員会は、元最高裁判事の甲斐中辰夫

    機構に厳しい「内部調査報告書」と、厚労省に優しい「第三者委報告書」
  • 映画『日本のいちばん長い日』原田眞人さん

    映画評論家としてキャリアをスタートし、1979年『さらば映画の友よ』で監督デビュー。『クライマーズ・ハイ』のような社会派ドラマから『わが母の記』のような文芸作品を題材としたものまで、幅広く手掛ける原田さんの最新作は『日のいちばん長い日』。1945年8月15日の知られざる真実を描いた作の公開に際し、ご自身のことやクリエイターへのアドバイスなど、お話を伺いました。 ■ 渡米して感じた、映画の脚が持つ“多様性” 映画監督を意識して作品を観るきっかけになったのは、ドン・シーゲル監督の『突撃隊』という戦争映画でした。監督の仕事について分かり始めたのは19~20歳くらいで、その頃には将来、自分が監督になりたいと思っていました。小学生の頃から親に連れられ京都に行って、東映や大映の娯楽時代劇の撮影を見学する機会もあったことは大きいですね。撮影現場は心地よいものだと子ども心に感じました。 1972年、

    映画『日本のいちばん長い日』原田眞人さん
  • 『日本のいちばん長い日』原田眞人監督インタビュー「若い世代は戦争を学ぶ事を放棄している部分がある」|ガジェット通信 GetNews

    現在公開中の映画『日のいちばん長い日』。昭和史研究の第一人者・半藤一利の傑作ノンフィクションを『クライマーズ・ハイ』、『わが母の記』の原田眞人監督がメガホンを取った、今最も観るべき邦画です。 太平洋戦争終戦の舞台裏では何が行われていたのか? 日の未来を信じ、今日の平和の礎を築くため、身を挺し闘った人々の物語に挑みます。ベテランから、躍進目覚ましい若手俳優まで、今の日映画界を代表するキャストの豪華競演が実現しました。すべての日人に伝えたい、戦後70年の壮大な記念碑となる作品となっています。 今回ガジェット通信では原田監督にインタビューを敢行。映画にかける想い、なぜこの映画を今作ったのか、など色々とお話を伺ってきました。 ―映画を拝見して、終戦の裏側にはこんな事があったのだ、と知らなかった自分が恥ずかしくなりました。まず、今回この映画を作られたきっかけを伺えますでしょうか。 原田監督:

    『日本のいちばん長い日』原田眞人監督インタビュー「若い世代は戦争を学ぶ事を放棄している部分がある」|ガジェット通信 GetNews
  •   :日本経済新聞

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      :日本経済新聞
    knockeye
    knockeye 2015/08/23