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文学に関するkobeni_08のブックマーク (22)

  • 「古典よむ部」ガイドラインです! - がらくた銀河

    先週水曜に「つくるぞ」宣言した「古典よむ部」、発起人のわたしがモタモタしてる間にみなさんドンドン先にすすんでるご様子でめでたい限りでございます*1。 なにはともあれ、こんな変な名前の「古典よむ部」にご興味をもってくださってどうもありがとうございます。とってもとっても嬉しいです! とりあえず、はてなハイク「古典よむ部」を掲示板的に使っていこうかと考えています。 古典よむ部 http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E3%82%88%E3%82%80%E9%83%A8 ハイクユーザーの方は、このキーワードをご自身の「お気に入りキーワード」にいれてくださると嬉しいです。 ハイカーさんじゃない方は、是非とものぞきに来てくださいねv 以下、活動内容の簡単で暫定的なガイドラインです。 〜個人活動〜 まずは古典を読む。 (何を隠そう、この時点で「入

    「古典よむ部」ガイドラインです! - がらくた銀河
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    kobeni_08 2010/08/22
    古典読みたい読みたい〜
  • 高橋さんと最果さん

    高橋源一郎 @takagengen 「午前0時の小説ラジオ」2「昭和以降に恋愛はない」の1…そもそもの始まりはぼくが選考委員をしている今年の中原中也賞(詩の新人賞ですね)だった。受賞作は文月悠光さんの『適切な世界の適切ならざる私』。確かに素晴らしい詩集だったが、ぼくは惜しくも受賞を逃した別の作品がずっと気になった。 高橋源一郎 @takagengen 「小説ラジオ」2の2…それは大江麻衣さんの『道の絵』という私家版の詩集だった。選考会が終わっても、読めば読むほどいいと思えた。そして、とうとうその中の一遍「夜の水」という詩を、ツイッター上で全文呟いたのだ。反響は大きかった。多かったのが「現代詩を読んで初めて感動した」という声だ。 高橋源一郎 @takagengen 「小説ラジオ」2の3…その中に、文芸誌「新潮」の編集長Yさんのものもあった。Yさんは大江さんと連絡をとり、詩集を読んだ。感想を訊

    高橋さんと最果さん
    kobeni_08
    kobeni_08 2010/07/11
    「どんなことばを使っても、強い逆風が吹いてくるってこと。ぼくもずっとそうだった。ただ書くんじゃなく、逆風とも戦わなきゃなんないんだ」
  • 高橋源一郎氏「おれを批判している一部の現代詩人に応える」まとめ

    高橋源一郎 @takagengen 日の予告編・今日は久々に「路上演奏」というか「午前0時の小説ラジオ」をやります。タイトルは「門外漢の言」。今回は「ぼく」や「わたし」ではなく「おれ」にしゃべってもらう予定。というのも、ほんとうのところ、素の自分に近いのは「おれ」だからだ。 高橋源一郎 @takagengen 予告編2・今回の「路上演奏」は、もともと、おれを批判している一部の現代詩人に応えるものだ。だが、そんなほとんど誰も読まないテーマについて、こんな「公」の場でしゃべっても意味なんかないと思う。だから、おれは、その問題を、誰にとっても意味あるものに「翻訳」しながらしゃべるつもりだ。

    高橋源一郎氏「おれを批判している一部の現代詩人に応える」まとめ
    kobeni_08
    kobeni_08 2010/07/11
    要するにマニアックな世界なんだよね。「表現としては新参者の小説が「現在」に深く関わる表現であるのに対し、人類と共に長い歴史を持つ「詩」は、「現在」より「言語」そのもの、…もっと超越的なものに関わる」
  • 時々思い出すこと - 平野啓一郎 公式ブログ

    今年はショパン生誕200周年というわけで、年明けからあちこちで色んなことに関わっていますが、『葬送』というと、今でも思い出すことがあります。 まだ文庫が出る前でしたから、多分7年前くらいのことです。 とある女性から手紙をもらったのですが、その中にこんなことが書かれていました。 自分の夫はガンで、余命数ヶ月と宣告されている。その夫が、『葬送』が大好きで、残された時間をもう一度、『葬送』を読むことに費やしたいというので、大学生の娘と、毎日交代で、病室で朗読してあげている、と。 作家として、こんなに光栄なことはなく、勿論、うれしかったのですが、どんなに愛着のある自信作であったとしても、自分の書いたものにそれほどの価値があるのだろうかと、正直、深く考え込みました。ご人の意志とは言え、もっと他のことに時間を使ってもらった方が良いのではないか、と。 今でこそ、ツイッターで読者とも気軽にやりとりをし

    時々思い出すこと - 平野啓一郎 公式ブログ
    kobeni_08
    kobeni_08 2010/07/04
    「僕の中には、小説体験こそが人生の最高の喜びだと信じる一面と、人生には小説を読むことなんかよりももっとずっと重要なことがあるはずだと思う一面とが、常に矛盾して同居しています。」
  • 「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚

    「形容詞 + です」 は誤用ではない 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 電車に乗っていると、ホームでこんなアナウンスがよく流れてくる。 「3番線に電車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」 僕はこれを聞くたびに、強烈な違和感を覚える。電車には毎日乗るので、この襲い来る違和感と戦うだけで会社に着く頃にはヘトヘトになってしまう。 言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 「危ないです」 のように、「形容詞 + です」 という表現は、文法的に間違った用法ではない。上記リンク先の主張の根拠として、以下の MSN 相談箱の回答欄が引用されているが、これに至ってははっきり 《間違い》 といって良いだろう。 昭和27年の国語審議会で「形容詞+です」表現を「許容する」としたときから、日

    「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚
    kobeni_08
    kobeni_08 2010/02/22
    話はそれますが、最近「見れる」はもう色んな所で使われてますね。私は未だにあまり好きになれないです。
  • ミレニアム・モラトリアム・ウィズ・オッパイ - Everything You’ve Ever Dreamed

    友人の部屋でこれを書いている。今は日曜の朝だ。僕はこの、初めて訪れた新百合ヶ丘の部屋で、僕の二十世紀末を再生した。違う。自分にしかわからないクロニクルを語るときは正確に記述するんだ。スポーツマンが、ソテーから慎重な手つきで脂肪を切り離すように、曖昧さは排除しなければならない。言葉よ、贅肉を削ぎ落として正しいフォームを獲得しろ。雑主義を否定しろ。必要なのは正確さ、そしてピュアネス。違うかい?僕は訊ねる。闇は答えない。友人も答えない。僕も、答えを求めていない。僕はこの部屋を知っている。友人の部屋は僕の部屋と同じにおいがした。前世紀の終わり、僕は、この部屋にいた。 2000年の初夏、多くのロックスターが黄泉へダイブした年齢に並んだ僕は、突発性の熱病に冒されたように誰にも相談することなく会社を辞めた。金曜の夜。中華料理屋のカウンター席。飛び交うチャイニーズ怒号。乱雑に扱われがちゃがちゃと悲鳴をあ

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…

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  • 【文芸時評】1月号 早稲田大学教授・石原千秋 純文学の危機と商業主義 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    この20年ぐらいだろうか、文学部が現代文化学部のような4文字学部に改組されて文学研究者のポストがなくなってきた、大変だ大変だと嘆くのが文学研究者のクリシェ(お決まりのセリフ)になっている。その流れを押しとどめるために文学研究者が何をしてきたのか。研究を外に開こうともせず、嘆くこと以外はほとんど何もしてこなかったというのが僕の観察だ。 その一方で、文学も力を失ってきた。昭和と言われた時代には、トップスターよりも年収の多い作家は何人もいた。しかし、いまたとえばお笑いコンビのダウンタウンよりも年収の多い作家はほとんどいないだろう。そう言えば、最近の芥川賞作家は勤め人が多い。賞を取っても辞める気配はない。小説を書くことは、ことに純文学を書くことはそのくらい経済的に不安定でリスキーな仕事になってきたのだ。 「新潮」が2つの「対話」を組んだ。大江健三郎と古井由吉「詩を読む、時を眺める」、東浩紀と平野啓

    kobeni_08
    kobeni_08 2009/12/27
    あとでよむ
  • 森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』 - 蟹亭奇譚

    大学生の 《私》 は、クラブの後輩の 《彼女》 に片思いしている。しかし、《私》 には 《彼女》 に直接思いを伝えるような度胸はなく、いつも回りくどいやり方で接近を試みる。 ……私が頷くと、彼はニンマリした。「それで、あの子とは何か進展があったの?」 「着実に外堀は埋めている」 「外堀埋めすぎだろ? いつまで埋める気だ。林檎の木を植えて、小屋でも建てて住むつもりか?」 「石橋を叩きすぎて打ち壊すぐらいの慎重さが必要だからな」 「違うね。君は、埋め立てた外堀で暢気に暮してるのが好きなのさ。丸へ突入して、撃退されるのが恐いからね」 森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』 第三章 御都合主義者かく語りき 「ひとつの隠喩から次々に同系列の隠喩をくり出し、たとえで話を進める表現形式」*1 を 《諷喩》*2 と呼ぶ。上に引用した会話で、《私》 が回りくどい恋のアプローチを 「外堀は埋めている」 と言い表

    森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』 - 蟹亭奇譚
  • 日本語の三人称における視点について

    語の三人称における視点について、例文を使った簡単な考察を。 まずはじめに、母親の泰子(やすこ)さんと息子の竜児(りゅうじ)くんに登場してもらいます。 例として、母親の泰子さんが息子の竜児くんの頭をなでるという動作を三人称で書きます。 泰子は竜児の頭をなでた。 というのが、ごく普通の書き方だと思います。この文章は、視点と関係性を意識して、次のように書くことができます。 1-a 泰子は息子の頭をなでた。 1-b 母は竜児の頭をなでた。 文を足して視点をはっきりさせ、少し手を加えると、以下のようになります。 2-a 泰子たちは公園のベンチに座っていた。泰子は息子の頭をなでた。 2-b 竜児たちは公園のベンチに座っていた。母が竜児の頭をなでた。 aの場合、視点は泰子さんにあります。読み手は、彼女の目を通して、物語を見ることになります。 そして彼女から見れば竜児くんは息子なので、三人称でも竜児く

    日本語の三人称における視点について
  • 谷川俊太郎さんが答える「ふつうの言葉」と「詩の言葉」の違い - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は

    先日、うちの奥さんが『谷川俊太郎質問箱』というを買ってきたので、僕も横からパラパラと読ませてもらいました。まだ、全部読んでませんが。 谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books) 作者: 谷川俊太郎,江田ななえ出版社/メーカー: 東京糸井重里事務所発売日: 2007/08/08メディア: 単行購入: 12人 クリック: 107回この商品を含むブログ (122件) を見るこれって、「ほぼ日」で連載されてたものが元になっているんですね。知らんかった。の方には、WEB上で読めるものに新たに書き下ろした分も加わって、全体としては2倍くらいの分量になっているみたいです。基的には、読者から寄せられた質問に、谷川氏が回答するというもの。谷川氏らしい回答ばかりで、なかなか楽しいです。装丁もいい。 で、このの中で、僕が惹かれたというか「なるほど」と思えた回答があったのですが、これが「ほぼ

    谷川俊太郎さんが答える「ふつうの言葉」と「詩の言葉」の違い - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は
    kobeni_08
    kobeni_08 2009/10/06
    なにを「真」と考えるか。ということではないでしょうか。文学(もちろん詩も含まれます)はフィクションですが、伝えていることはある種の真実だと思う。嘘を混ぜた方が真実が伝わりやすいこともありますよね。
  • 金子みすずの世界

    金子みすヾ/名金子テル。(写真は大正12年5月3日撮影) 明治36年(1903年)山口県大津郡仙崎村(今の長門市)に生まれる。大正末期、すぐれた作品を発表し、西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで称賛されながら、昭和5年(1930年)26歳の若さで世を去った。没後その作品は散逸し、幻の童謡詩人と語り継がれるばかりとなったが、童謡詩人・矢崎節夫の長年の努力により遺稿集が見つかり、出版された。その優しさに貫かれた詩句の数々は、今確実に人々の心に広がり始めている。 酒井大岳著『金子みすヾの詩を生きる』から (以下の文章中に引用されている詩の出典は『金子みすゞ全集』(JULA出版局)です。なお、詩は、金子みすゞ著作保存会の了解を得て掲載しています。転載する場合は、金子みすゞ著作保存会の許可を得てください。なお、次のサイトや文献も参考にさせていただきました)  金子みすヾの世界(山口県長門市

  • 尾崎放哉全句集がA4一枚に!

    尾崎放哉全句集がA4一枚に! 2006-02-19-1 [LifeHacks] 「すばらしい乳房だ蚊が居る」 などの味わい深い自由律俳句で知られる俳人、尾崎放哉(おざきほうさい)。 青空文庫収蔵の「尾崎放哉全句集」がなんとA4一枚(両面)にコンパクトに印刷できます。そのPDFを公開! <http://chalow.net/misc/OzakiHousai.pdf> 昔、隙間時間を有意義に過ごすためのコンテンツ・Tipsサイト「隙間時間.NET」というのを企画してて、それ用に用意したサンプルコンテンツの一つです。 今は塚田君のサイトに行っちゃうな、sukima-jikan.net は。

    尾崎放哉全句集がA4一枚に!
    kobeni_08
    kobeni_08 2009/08/25
    パネェ
  • 小説のルール - 深町秋生の序二段日記

    ある短編小説の新人賞の下読みをした。 50読んだのだけれど、総じて文章のリズムはうまい。けれど小説をちょっと誤解したまま書いた作品が少なくなかった。 小説は、書き手の妄想や欲望を自由に描ける個のメディアであり(共作の人もいるけれど)、自由であればあるほどすばらしいとは思うけれど、基的な原則はやっぱりある。一見、椅子や机が飛び交うプロレスがアナーキーかつフリーダムに見えても、万国共通でヘッドロックは必ず左脇でかけるというルール(追記。メキシコは逆)があるように、ある程度の原則を踏まえていないと小説と呼ぶにはちょっと厳しい出来になってしまうのである。 最近のテレビドラマや映画の影響もあるのかもしれないが、キャラの心情がいやにストレートすぎたりする。たとえばある日映画で土砂降りの雨のなかでキャラクターが佇んでいるというシーンがあった。つまり大量の雨を降らせることでキャラの悲しみを描いたつも

    小説のルール - 深町秋生の序二段日記
    kobeni_08
    kobeni_08 2009/08/06
    国語の授業というのが存在するように、文学にはある一定のルールがあるとは思う。/でもときどき、義務感で比喩入れているような文章だと感じることはある。ここら辺で風景を描写。歴史あるテクニックなんだろうな
  • 他人の本の読み方にケチをつける人は共感されたいだけ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    彼らは実は「共感されたいだけ」…という指摘自体は面白い。 ・36. 「共感できない」を読めないあなたは、共感されたいだけ。:日経ビジネスオンライン 確かに、共感だけを基準にコンテンツのできを判断するのはもったいないかもしれない。けれども、「これは共感できないからツマラナイだ」という感想を目にして、「なるほど、あれはツマラナイなのか」と判断する人がいるのだとしたら、それはそう判断する方にも責任があろう。その書評が「比較的広範な文学的知識や比較的公平な主観に基づくもの」か「極めて狭い見識と極めて個人的な感情のみに立脚したもの」かを見分けるのも、また、受け取り手の問題だろうからだ。そして、どんな評をどう参考にしどう受け流すかも、すべては受け手の自由であり、裁量である。 もちろん、ある程度以上の影響力を持つ人が共感だけを理由にある作品をこき下ろし、しかも、それを巧妙に客観的かつ一般的評価たり

    kobeni_08
    kobeni_08 2009/07/02
    おっしゃるとおりですね。あのコラムを共感させたくて書いてるということを忘れてる。どうして一流の読書家があんな書き方になるのか/ただでさえコンテンツが溢れてるのに、共感求めて何があかんのよ忙しいのに。
  • Ⅱ、物語の面白さについて (須江岳史)

    http://anond.hatelabo.jp/20090629223650の続き Ⅱ、物語の面白さについて 1、はじまり 小説とは、物語を読者に伝えるために文字で書かれた文章だ。書き手が小説を書く動機はおそらく大きく分けて四種類あるだろう。物語の面白さを伝えたいという動機、物語という糖衣に包んで何らかのテーマを伝えたいという動機、物語を伝えるための表現方法の工夫を見てもらいたいという動機、小説を書くことによりカネや名誉を得たいという動機だ。テーマを伝えるためにはそれを包むための物語が必要だし、表現方法を見せるためにも、表現される物語が必要になる。そして、面白い物語でなければカネや名誉を得ることは出来ない。 物語そのものの作り方については、特に語る必要はないだろう。これを読んでいる方の大多数は日で生まれ育ち、テレビという媒体によって物語の構造を経験的に知っているはずだ。 物語にはどのよ

    Ⅱ、物語の面白さについて (須江岳史)
  • なぜ増田小説概論

    (ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロの小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についてのはいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。 というかこの論は物語と小説をニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090703/p1 という指摘も当然のことで、普段、一人称の小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での

    なぜ増田小説概論
  • 自由に小説を書かせてみたらフリーダムすぎて…~『女子大生がヤバイ!』 小沢 章友著(評者:朝山 実):日経ビジネスオンライン

    文楽人形のおっとり顔が、仕掛けの棒を引くと、ギョッとするくらい目と口を一変させ、鬼に化身する。それにそっくりだなあと思わせる出来事があった。 駅のホームで、女子高生が、ケータイを手に、「なにしてやがるんだ! 来いッテ、言ってンだろ!」と罵っている。 ガルルルルと、吠えかかりそうな剣幕に、すーっと、彼女のまわりから人がいなくなっていたのだが、そういう場面に出くわすと、どうもワタシはつ、つ、つ、つっと、近寄ってしまうきらいがある。 制服のスカート丈は短くないし、髪も黒かった。ふだんはお嬢さんらしく振舞ってもいるのだろうが、その目は釣りあがっている、ように見えた。キレルというやつだ。 もはやギャル語なんて使ってはいない。彼氏が別の女の子にちょっかいをだしたのを知ったらしい。通話を切られたのか、かけなおしては「あァーン!!」と舌打ち、ベンチを蹴り上げていた。 さて。著者は、作家業の傍ら15年間、東

    自由に小説を書かせてみたらフリーダムすぎて…~『女子大生がヤバイ!』 小沢 章友著(評者:朝山 実):日経ビジネスオンライン
    kobeni_08
    kobeni_08 2009/06/27
    たぶん、小説というのは非日常(やっちゃいけないこと)的な事件が必要だと思ってるんだろう。ドラマとかケータイ小説の影響かも。しかし、どこの大学だ?
  • 35. 共感するってそんなに大事?:日経ビジネスオンライン

    という具合に、『晩夏』のふたりの主人公はどう考えても、世知辛い憂き世で毎日あくせく働いている私なんぞが 「うんうん、わかるわかる」 などと共感できるような相手ではない。 にもかかわらず、私はこの人たちの人生の物語に感じ入ってしまった。だから何回もこうやって文章に書いている。私はこの小説のことを、過去3回ほどいろんな雑誌に書いているのだ。いい加減しつこいのである。 このことからわかるのは、共感とか感情移入とやらいうものは、読書で必ずしも大事ではないということ。この話を、今回は書いてみたいと思ったわけです。せっかく『晩夏』の話をしていたわけだし。 *   *   *

    35. 共感するってそんなに大事?:日経ビジネスオンライン
    kobeni_08
    kobeni_08 2009/06/24
    気持はわかるけど文学に「共感」を求める人にとって、このコラムは全く「共感」できない。この書き方でいいのか?広告でもセオリーは「共感」か「発見」。いわゆる「フツーの人」に対する上から目線が気になる。