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  • 【津堂城山古墳(3)】大和二上山の麓。謎の時代・ヤマト創世記の点と線【水鳥の一族】【春日と鹿島】 - ものづくりとことだまの国

    前回の続き。摂津河内と大和の #阿部 を繋ぐこん跡を探して #柏原市安堂 へ向かう途中の #津堂城山古墳。親子三羽の #水鳥型埴輪 が祈ったものからうかがえる #ヤマト創世 の歴史。#海人族アド #春日 #鹿島 #安曇磯良 目次 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 海人族・安曇(アド)の動き 被葬者は海人族・安曇(アド)の長!? 河内と大和。二上山で繋がる鹿島と春日 文 前回 www.zero-position.com 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 大和川の河川敷を安堂(柏原市)まで歩いたのは、奈良県桜井市阿部(安倍寺跡、安倍文殊院)と阿部王子神社(旧安倍村、阿倍野区)を繋ぐ「何か」を探すため。 二つの阿部を繋ぐ「安堂」。大和川と古代河内湖の水域 阿部王子神社の由緒である阿倍権現縁記に「仁徳天皇の古墳中期、難波に都が設けられた時(第一次難波宮)に、大和桜井の阿部氏が移住し、

    【津堂城山古墳(3)】大和二上山の麓。謎の時代・ヤマト創世記の点と線【水鳥の一族】【春日と鹿島】 - ものづくりとことだまの国
  • 【津堂城山古墳(2)】忘れられた河内の古代勢力のこん跡地名【恵我(えが)】 - ものづくりとことだまの国

    前回の続き。全国的にも珍しい #水鳥形埴輪 が出土した #津堂城山古墳 考察。#古市古墳群 中の最古級、最大の応神天皇陵に次ぐサイズ。さてどのような人物が埋葬されていたのでしょうか。#消された河内の古代史 #恵我5か村 目次 津堂城山古墳・考 津堂八幡神社(旧 深居神社) 「恵我、えが」地名は古代勢力のこん跡? 忘れられた河内の古代勢力 文 前回(津堂城山古墳)の続き。 www.zero-position.com 津堂城山古墳・考 津堂城山古墳 後円部の墳丘 応神天皇陵(誉田御廟山古墳、惠我藻伏崗陵/5世紀初頭=古墳中期)を中核とした世界遺産・古市古墳群の最北に位置し、 津堂城山古墳 墳丘から前方部。このラインの先に二上山(大鳥)を眺望 応神天皇陵に先行する4世紀後半築造の津堂城山古墳(リンク先に出土品一覧)は、銅鏡・碧玉多数・円筒埴輪とともに、水鳥形の形象埴輪を出土するという 津堂城山

    【津堂城山古墳(2)】忘れられた河内の古代勢力のこん跡地名【恵我(えが)】 - ものづくりとことだまの国
  • 【二上山の大鳥】を見晴るかすところ【津堂城山古墳(1)】最大最古の水鳥型埴輪の出土地【近つ飛鳥】 - ものづくりとことだまの国

    新大和川ウォーキング中 #二上山 の雄岳と雌岳の真ん中に手前の丘(羽曳野市飛鳥)が重なる所を探していたら #津堂城山古墳 に。世界遺産 #古市古墳群中、最古級の前方後円墳で、ここからは最大最古の #水鳥型埴輪 が出土しています 目次 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 二上山の大鳥を正面に見晴るかす所 「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」 文 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 www.zero-position.com 前回、志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交(はがい)」を紹介しましたが、 手前の丘が、二上山の雄岳と雌岳のちょうど真ん中におさまって「大鳥」のように眺望できる所はどこだろうと、ウォーキング途中でしたが、寄り道スタート。 大和二上山 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 新大和川の堤防を離れ、ゆるやかな坂道を下ってゆくと、津堂城山古墳(古市古墳群)の案内

    【二上山の大鳥】を見晴るかすところ【津堂城山古墳(1)】最大最古の水鳥型埴輪の出土地【近つ飛鳥】 - ものづくりとことだまの国
  • 京都水辺の花見。蹴上インクライン〜岡崎・琵琶湖疎水〜京都御苑 - ものづくりとことだまの国

    桜のシーズンの京都の大混雑を避け #琵琶湖疎水 の水辺から #京都御苑 まで #花見 がてら歩いてきました #蹴上インクライン #京都動物園 #平安神宮大鳥居 目次 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 京都動物園〜京セラ美術館〜平安神宮大鳥居 京都御苑(京都御所) 文 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 花粉もスギが終わりましたが、後半のヒノキの時期に。 私の場合、黄砂と相まって、後半の方がキツく、あまり出歩かないのですが、 京都で花見をしたいという奥さんのご要望に応えて、今年は蹴上(けあげ)インクラインから、京都市内(鴨川まで)を東西に流れる琵琶湖疎水の水辺を歩くことを提案。 蹴上〜京都御苑(京都御所)〜出町柳(5〜6キロコース) 蹴上インクライン(旧傾斜鉄道)と琵琶湖疎水。左)琵琶湖方面、右)岡崎の船溜り方面 朝早くに出ましたが、すでに人混み😅…やや甘かった。 蹴上インクライン 明治期に琵

    京都水辺の花見。蹴上インクライン〜岡崎・琵琶湖疎水〜京都御苑 - ものづくりとことだまの国
    kohanatoharu
    kohanatoharu 2024/04/07
    京都トレイルを何年か前に歩き、そのルート上にインクラインがありました。懐かしいばかり。
  • 【中臣須牟地神社】飛鳥と住吉を繋いた官道【磯歯津道】と【中臣氏】の原点のこん跡 - ものづくりとことだまの国

    河内の古代史 を考えながら #新大和川 河川敷をウォーキング。流域周辺の神社をお参り。#中臣須牟地神社。飛鳥時代の官道 #磯歯津路 のこん跡に #藤原氏 として栄華を極めた #中臣氏 の原点がうかがえます 目次 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) 古墳時代の息長河(おきなががわ)、飛鳥時代の磯歯津路(しはつみち) 境内の様子 文 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) (34.6040215, 135.5384870)/大阪市東住吉区住道矢田2丁目9−20/近鉄南大阪線矢田駅から東に徒歩十分。駐車場はありません 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ) 大阪の「超がつく」難読地名のひとつ。「住道」は「すんじ」と読みます。 (一方、大阪府大東市の「住道」は「すみのどう」と読みます。ご注意を😀) 住道矢田(すんじやた) 古墳〜飛鳥時代、住吉と大和の都を往来した官道 磯歯津路(しはつ

    【中臣須牟地神社】飛鳥と住吉を繋いた官道【磯歯津道】と【中臣氏】の原点のこん跡 - ものづくりとことだまの国
  • 【屯倉神社】古墳時代中期。河内王朝のパワーの基盤となった穀倉地帯【依網屯倉】 - ものづくりとことだまの国

    新大和川の南、松原市 #屯倉神社(みやけじんじゃ)。かつての大穀倉地帯 #依網屯倉(よさみやけ)のこん跡。今は #菅原道真公 を祀ります。境内に屯倉の米と銘水(酒屋井)による酒造の神を祀る #酒屋神社。境内の梅が見頃でした 目次 屯倉神社(みやけじんじゃ) 境内(屯倉神社の歴史) 季節の梅で彩られた屯倉神社 文 古地図(1700年頃)の旧大和川流域/現在の新大和川/屯倉神社(みやけじんじゃ) 屯倉神社(みやけじんじゃ) (34.5884082, 135.5548994)/大阪府松原市三宅中4丁目1−8/近鉄南大阪線河内松原駅から20分 屯倉神社(みやけじんじゃ) 御祭神:菅原道真公、須佐之男命(すさのおのみこと)、品陀別命(ほんだわけのみこと) 社は字「宮の内」にあり、縁起によれば河内國丹北郡依網三宅(よさみやけ)天満宮として、上古より鎮座の天神にして「穂日の杜」と言い、天慶五年(94

    【屯倉神社】古墳時代中期。河内王朝のパワーの基盤となった穀倉地帯【依網屯倉】 - ものづくりとことだまの国
  • 【春の大和川】ウォーキングで極東最果てのシルクロードを歩く ( ´艸`)【柏原市安堂あたり】 - ものづくりとことだまの国

    春の堤防をウォーキング&歴史散策。大和と河内を繋ぐ古代の水路・陸路のハブ #柏原市安堂。かつて #大和川 はここで北に向かい扇状地を形成しながら現在の大阪城の東一帯の内水湖に流れ込んでいました。飛鳥~奈良時代には最果ての #シルクロード #龍田道 目次 春うらら。新大和川堤防を歩く。 わずか8ケ月で完成した新大和川の流れ 大和と河内を繋ぐハブ。安堂あたり。極東のシルクロード 文 春うらら。新大和川堤防を歩く。 三寒四温で寒暖の差が激しいこのごろですが、先週末、暖かくなってきたので、新大和川の堤防をてくてく。 大和川 堤防 江戸期(元禄年間、1700年ごろ)の古地図で説明しますと、赤いラインのコースを10数キロ歩いてきました。 大和川・付け替え工事直前の古地図(江戸時代1700年ごろ)に開物が書き込み。原図は柏原市サイトより かつて大和国から河内平野に流れ出た(旧)大和川は、安堂村(現在の

    【春の大和川】ウォーキングで極東最果てのシルクロードを歩く ( ´艸`)【柏原市安堂あたり】 - ものづくりとことだまの国
  • 弥生時代と古墳時代が交差するところ。摂津住吉【住吉大社 正印殿跡(3)】 - ものづくりとことだまの国

    千五百年にわたり #住吉大社 神主家であった #日三家のひとつ #津守氏 の居館があったところに #アラハバキ 的な陽石(石棒)と陰石(胎内石)。住吉さんに残る子孫繁栄・五穀豊穣を祈る南北ラインと関係か。#仁徳天皇陵 目次 住吉の南北を繋ぐライン 出雲後物部。弥生時代と古墳時代が交差したところ 南北ラインと繋がる仁徳天皇陵 文 www.zero-position.com www.zero-position.com 住吉の南北を繋ぐライン 今でこそ、住吉大社は東西に第一宮から第三宮が並ぶ東西のラインで参拝しますが、 創建の古墳時代中期(西暦300年代)の地形を考えると、古代難波津の入り江「住吉の津(墨江の津)」を海上交通の権益とする一帯で、 南北ラインが主軸であったことが推測できます。 生根神社-大海神社-住吉大社-石舞台-正印殿を繋ぐライン 「地政学的」に考えて、それ以前の弥生時代

    弥生時代と古墳時代が交差するところ。摂津住吉【住吉大社 正印殿跡(3)】 - ものづくりとことだまの国
  • 味わう資さんうどんの魅力!シンプルな味わいを堪能 #資さんうどん - 雨のち晴れ

    資さんうどんの朝定 資さんうどん(すけさんうどん)が最近近所にもオープンしました。 資さんうどんはそのシンプルでありながら深い味わいにファンが多いお店です。 手打ちの麺はコシがあり、つるつるとした喉越しが特徴的。 また、シンプルながらも繊細な出汁は、一度べたら忘れられない美味しさです。 美味しいメニューが豊富で、季節ごとに変わる限定品も人気の秘訣。 さらに、ランチタイムを避けた午後のひと時は穴場の時間帯として知られ、ゆっくりと資さんうどんを楽しむことができます。 是非、この記事を読んで、その魅力を自らの舌で確かめてみてください。 資さんうどんの基情報 資さんうどんとは?その歴史と特徴 店舗展開とアクセス方法 おすすめメニューの紹介 定番のうどんメニューとその魅力 季節限定・特別メニューのご紹介 サイドメニューとトッピングオプション 美味しい資さんうどんを楽しむコツ 混雑を避ける!空い

    味わう資さんうどんの魅力!シンプルな味わいを堪能 #資さんうどん - 雨のち晴れ
  • 【住吉大社 正印殿跡(2)】歴史的な史跡に残された古い信仰のこん跡!?【結の神社。陽石と陰石】 - ものづくりとことだまの国

    住吉大社の歴代神主であった #津守氏 居館があったところ。今は史跡保存されている住吉行宮跡・正印殿跡(二回目)。域内には小祠がいくつか。そのうち #結の神社 のそばに #陽石(石棒)と #陰石(丸石)。#アラハバキ信仰 目次 住吉さんの南。古代「住吉の津」の名残り 津守氏について 古いアラハバキ信仰のこん跡!? 陽石と陰石 文 住吉さんの南。古代「住吉の津」の名残り 前回。 www.zero-position.com 住吉大社の歴代神主家・津守(つもり)氏の居館(神主館)に隣接して創建されたのが正印殿で、 江戸期の摂州住吉宮地全図には、現在でも残る大社の南を東から西に流れる疎水(名称不詳)の右側(南)に描かれています。 摂州住吉宮地全図(江戸期)、住吉大社の南に描かれた正印殿。隣接して神主館。 現在でも残る大社の南を東から西に流れる疎水(名称不詳) ちなみにこの水の流れは、すぐ近くの浅澤

    【住吉大社 正印殿跡(2)】歴史的な史跡に残された古い信仰のこん跡!?【結の神社。陽石と陰石】 - ものづくりとことだまの国
  • 【住吉大社 正印殿跡(1)】神主家・津守氏の居館、南朝仮御所が置かれたところ【住吉行宮跡】 - ものづくりとことだまの国

    かつて #住吉大社 神主家であった #津守氏 の居館があったところの #正印殿跡。#南北朝時代 には #南朝 #後村上天皇 の仮御所(#住吉行宮)が設けられました 目次 住吉行宮跡(正印殿跡) 住吉行宮(すみよしあんぐう) 文 住吉行宮跡(正印殿跡) (34.6088977, 135.4938765)/大阪市住吉区墨江2丁目7/住吉大社・東南の鳥居から徒歩5分。阪堺電車阪堺線(チンチン電車)細井川駅から南東へ徒歩5分。住宅地の中で駐車場はありません 住吉大社の東南の鳥居から南の長居公園通を渡り、一筋入った住宅地の中に住吉行宮跡(正印殿跡)。 住吉大社 正印殿跡 住吉大社の歴代神主・津守(つもり)氏の居館があったところで、平安時代、中興の祖と云われる津守国基(くにもと、1026~1102年)の時代に、ここに大社の「正印」を収めた正印殿が創建されたと伝えられます。 住吉行宮跡(正印殿跡)案内

    【住吉大社 正印殿跡(1)】神主家・津守氏の居館、南朝仮御所が置かれたところ【住吉行宮跡】 - ものづくりとことだまの国
  • 【帝塚山古墳】古代の海辺に築造された住吉の海人族 長の前方後円墳 - ものづくりとことだまの国

    大阪市の(超)高級住宅街、帝塚山(てづかやま)の閑静な住宅地の中に #帝塚山古墳。市内4ケ所の古墳史跡のうち #前方後円墳 の原型をとどめているのはここだけ。隣接していた #大帝塚山 は消失し現在は #小帝塚山 だけが残されています #大伴金村 #鷲住王 #浦島太郎 目次 大阪の高級住宅街の中に残された前方後円墳 史跡 帝塚山古墳 大帝塚山と小帝塚山 大阪の高級住宅街の中に残された前方後円墳 (34.62160952217957, 135.49675334200487/大阪市住吉区帝塚山西2丁目8−5/難波から南海高野線・帝塚山駅から西に徒歩数分。天王寺から阪堺電車(チンチン電車)上町線・帝塚山三丁目から西に約10分。駐車スペースはありません) www.zero-position.com 先日紹介した阿部王子神社から南に約2キロ。 国土地理院(標高地図)帝塚山古墳 大阪市の(超)高級

    【帝塚山古墳】古代の海辺に築造された住吉の海人族 長の前方後円墳 - ものづくりとことだまの国
  • 【阿倍王子神社(2)】安部清明神社に残された海人・阿部氏のこん跡 - ものづくりとことだまの国

    大阪市阿倍野区という地名の起源となった #阿部王子神社。#仁徳天皇 の古墳時代、ヤマト桜井から移住した#阿部氏 の #難波津 拠点でした。境外末社 #安部清明神社 境内には #海人族 としてのこん跡 古代船の錨 #鎮石(孕み石)が残されています 目次 古代の海岸線と熊野街道 安倍清明神社に残る海辺のこん跡 太陽と月と星を見る一族 エミシとヤマト 文 古代の海岸線と熊野街道 大阪市内の南北に走る上町台地は、古代には、東の古代河内潟と西の難波津の間に突き出した上町半島でした。 www.zero-position.com 古代上町半島のイメージ(国土地理院地図・色別標高図で作成) www.zero-position.com 前回、阿部王子神社は、仁徳天皇の時代、大和の桜井から移住してきた阿部氏の拠点(〜江戸期の安倍野村、現在の阿倍野区)のこん跡であることを紹介しました(阿部王子神社由緒、摂州東

    【阿倍王子神社(2)】安部清明神社に残された海人・阿部氏のこん跡 - ものづくりとことだまの国
  • 【早春の淡路島】菜の花、鳴門のうずしお、淡路島たまねぎ - ものづくりとことだまの国

    先週末は #淡路島 に一泊二日。今年は観光と美味しいものに集中。#菜の花 #鳴門のうずしお #淡路ビーフ #淡路島たまねぎ を堪能しました 目次 菜の花の沖 鳴門の(小)うずしお 淡路島たまねぎ 淡路たまねぎづくしの1週間 文 菜の花の沖 当初夫婦で行く予定が、つい最近 傷心💔の 次男が運転手兼私の監視役として急遽同伴(笑) 昨年(同時期の伊勢旅行では)私の趣味が結構入っていてクレームが発生したことと監視付きのおかげで、今年は観光と美味しいものに集中。 この季節なら、鮮やかな菜の花畑と、その向こうに広がる瀬戸内海ですね。 司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の景色です。 早咲きの菜の花畑(あわじ花さじき) www.zero-position.com 鳴門の(小)うずしお 神社仏閣・史跡が無いならどーぞ、という感じで二人に旅程を組んでもらっていたのですが、 「神社仏閣史跡(遺跡)以外で行きたい

    【早春の淡路島】菜の花、鳴門のうずしお、淡路島たまねぎ - ものづくりとことだまの国
  • 神と仏を描くアーティスト【棟方志功】太陽と月をまなこに秘めたお不動さん - ものづくりとことだまの国

    先日紹介した #円空展(#あべのハルカス美術館)。見学後、美術館売店で #棟方志功 さんの版画を数点鑑賞。その中の #お不動さん と凡聖一如という文字が描かれた作品を見て気づかされたことがありました。 目次 棟方志功さん ミニ棟方志功展(笑) お不動さんの藪睨みの秘密 文 棟方志功さん www.zero-position.com 前回紹介した円空展。 自然木に刻まれた素朴で荒々しいタッチの神仏像の数々に魅了されました。 円空展の見学後、売店で見かけた円空さん関係の書籍類 作品を見学しながら、数年前に棟方志功記念館(青森市)で見学した 『志功さんの画にタッチが似ているねぇ…』と奥さんと話していました。 棟方志功作 さくらまつり ポスター(レプリカ)。弘前城公園にて www.zero-position.com 志功さんは青森市の出身で、子どもの頃は、近くの善知鳥神社(うとうじんじゃ)の境内で

    神と仏を描くアーティスト【棟方志功】太陽と月をまなこに秘めたお不動さん - ものづくりとことだまの国
  • 朽木(くちき)に神仏を彫り生涯を布教に捧げた放浪の仏師【円空展】 - ものづくりとことだまの国

    あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区)で #円空展 が始まり、早速、見学に。初期から晩年までの代表作を集めた貴重な展覧会。仏師だけでなく歌人としての #円空 さんも紹介されていました 目次 円空展(あべのハルカス美術館) 放浪の布教仏師・円空(1632〜1695) 歌人・円空 文 円空展(あべのハルカス美術館) 円空展 あべのハルカス美術館 2024年2月2日(金)~4月7日(日) ※当記事の写真は、ポスター・パンフレット、会場のレプリカ、購入した目録を使用しています 目録の表紙には今回の展覧会の目玉でもある両面宿儺(りょうめんすくな)*1の木彫りの像。 円空展 展示目録 展覧会場入り口のレプリカ 放浪の布教仏師・円空(1632〜1695) 江戸時代初期の仏師であり歌人でもあった円空さんは美濃国(岐阜県)の出身。 独自の解釈を表現する独特な作風の神仏像を、生涯を通じて十万体以上彫ったとさ

    朽木(くちき)に神仏を彫り生涯を布教に捧げた放浪の仏師【円空展】 - ものづくりとことだまの国
    kohanatoharu
    kohanatoharu 2024/02/12
    円空仏を見ると心を揺さぶられるような、何とも表現できない感情にかられます。素朴だからこそ本質が凝縮しているんでしょうね。
  • 【阿倍王子神社(1)】導きのヤタガラスの社【熊野街道】 - ものづくりとことだまの国

    京都伏見から淀川を下り、天満の八軒家浜に上陸。大阪市内を南北に縦断する #上町台地 を南に下る #熊野街道。遠い紀伊路への休憩と遥拝のために設けられた熊野九十九王子の一社。#阿倍王子神社 前半 目次 熊野街道(大阪市内) 阿倍王子神社 遥か熊野へ。導きのヤタガラス 古代氏族・阿部氏(安倍氏)のかつての文 熊野街道(大阪市内) 熊野街道(大阪市内、上町台地を南北に通る) 大阪市内の熊野街道は、平安時代(中期)に興った熊野信仰で、紀伊路に向かう熊野詣の出発地として、朝廷の熊野行幸を始まりとして以来、人々の往来が盛んでした。 阿部王子神社 熊野街道マップ www.zero-position.com 阿倍王子神社 (34.6309375, 135.5094883)/大阪市阿倍野区阿倍野元町9−4/駐車場あり。阪堺上町線(チンチン電車)天王寺駅前(あべのハルカスの前)発、東天下茶屋駅下車。バ

    【阿倍王子神社(1)】導きのヤタガラスの社【熊野街道】 - ものづくりとことだまの国
    kohanatoharu
    kohanatoharu 2024/02/11
    八咫烏、昔韓国ドラマで三本足のカラスが出てきたのを思い出しました。大陸と日本のヤタガラス、どんな繋がりがあるんでしょうか。
  • 【2024年 立春】一雨ごとに増してゆく春の気配【大阪城梅林】 - ものづくりとことだまの国

    今日は立春。まだまだ寒い日が続きますが、これから少しずつ春の気配が強まります。ここのところ週末の朝は #大阪城梅林 へ。夜に上がった雨粒が、梅の枝で朝の光を受けてキラキラ輝いていました 目次 一期一会の神光しさ 立春の朝 大阪城梅林 立春の空と大阪城公園 文 一期一会の神光しさ 写真は昨日(2月3日、節分)の朝。 大阪平野の東、南北に長い生駒山系。 大阪城天守閣広場の石垣の上からの眺め。 写真の左に生駒の大鳥。 生駒の大鳥と神光 こういう「こうごうしさ」は、水平線の雲が薄い日の朝、少しの間しか見ることができません。 一期一会 「神光しい」という字をあてたくなる景色です 立春の朝 大阪城梅林 深夜に雨が上がった今朝、大阪城梅林へ。 二月に入ってだいぶん色づいてきました。 立春の朝。大阪城梅林 日は立春。 まだまだ寒いですが、一雨ごとに春の気配が濃くなります。 逆光の中でキラキラ光る雨粒と

    【2024年 立春】一雨ごとに増してゆく春の気配【大阪城梅林】 - ものづくりとことだまの国
  • 戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃【まとめ】/元亀2年から天正15年まで(1571年~1587年) - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    島津氏は、元亀2年(1571年)に島津貴久(しまづたかひさ)が没して代替わりをする。跡を継いだのは長男の島津義久(よしひさ)。そして、次男の島津忠平(ただひら、島津義弘、よしひろ)、三男の島津歳久(としひさ)、四男の島津家久(いえひさ)らが兄を支える。 この四兄弟の時代になって、島津氏はものすごい勢いで支配領域を広げる。短期間のうちに九州のほとんどを制圧し、そして天下人となった豊臣秀吉と対峙することに。……その過程をたどってみる。 島津の四兄弟 島津義久 島津忠平(島津義弘) 島津歳久 島津家久 島津包囲網 肝付が動く、鹿児島湾岸の戦い 伊東も動く 加久藤城の戦い 木崎原の戦い 大隅の制圧 小濱の戦い 住吉原の戦い 禰寝氏の寝返り 牛根陥落、肝付が降伏 日向制圧 大友の日向侵攻、島津が迎え撃つ 大友が日向北部を制圧 新納院高城が包囲される 高城川の戦い(耳川の戦い) 三強鼎立 肥後国の戦乱

    戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃【まとめ】/元亀2年から天正15年まで(1571年~1587年) - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
  • 【今泉 賽の河原(2)】イタコ装束のお地蔵さまと祭壇のオシラサマ【安倍 安東氏とアラハバキ信仰】 - ものづくりとことだまの国

    北津軽、今泉 #賽の河原 二回目。優しいまなざしで南の十三湖と岩木山を見つめる #イタコ 装束のお地蔵さま。堂の祭壇には #オシラサマ(男神木)。安倍安東氏の古い #アラハバキ信仰 のこん跡 目次 イタコ装束のお地蔵さま 祭壇のオシラサマ 安倍・安東氏が信仰したアラハバキ神とオシラサマ信仰を繋ぐ点と線 境内地に並ぶオシラサマ装束のお地蔵さま 文 www.zero-position.com イタコ装束のお地蔵さま 国道339号線の入口から、丘の上に続く石段を登ってゆくと、今泉・賽の河原の広い境内地に。 左の写真は十三湖の方向、右の写真に堂を含むいくつかの建物。 今泉・賽の河原 境内地 堂前に二体のお地蔵さま。 堂前のイタコ装束のお地蔵さま 右側のお地蔵さまには、イタコさんが身に着けるイラタカ数珠(コンタチ念珠とも)が掛けられています。 優しいまなざし、イタコ装束のお地蔵さま 何とも

    【今泉 賽の河原(2)】イタコ装束のお地蔵さまと祭壇のオシラサマ【安倍 安東氏とアラハバキ信仰】 - ものづくりとことだまの国