岩手県大船渡市の吉浜川河口付近で、津波被害に遭った道路ののり面から昭和三陸津波(昭和8年)の記念碑(縦3・7メートル×横3・1メートル、高さ2・1メートル)が見つかった。地元住民らが先月、巨大な石を発見、手で掘り返したところ、石の表面に「津波記念石」と書かれていたため、今月に入り市が重機で掘り出した。昭和三陸津波で河口から200メートル打ち上げられた巨大な石を、その場で記念碑にしていたが、昭和50年代の道路整備で埋められていた=13日午後(沢野貴信撮影)
岩手県大船渡市の吉浜川河口付近で、津波被害に遭った道路ののり面から昭和三陸津波(昭和8年)の記念碑(縦3・7メートル×横3・1メートル、高さ2・1メートル)が見つかった。地元住民らが先月、巨大な石を発見、手で掘り返したところ、石の表面に「津波記念石」と書かれていたため、今月に入り市が重機で掘り出した。昭和三陸津波で河口から200メートル打ち上げられた巨大な石を、その場で記念碑にしていたが、昭和50年代の道路整備で埋められていた=13日午後(沢野貴信撮影)
米国防総省は14日、テキサス州フォートフッド陸軍基地で性犯罪防止を担当していた1等軍曹が部下に性的暴行を加えた疑いがあり、米軍が捜査を始めたと発表した。米メディアによると、部下に売春を強要した容疑も浮上している。 米軍では性犯罪が深刻化、空軍の性犯罪対策部門の責任者だった中佐(41)が性的暴行容疑で逮捕されていたことが先週発覚したばかり。オバマ大統領は「絶対に許さない」と述べ、綱紀粛正を指示していた。 国防総省は1等軍曹の氏名や年齢、性別は公表していない。米メディアによると、部下2人に性的暴行を加えたほか、売春組織を運用、部下1人に売春を強要した疑いが持たれている。(共同)
【ソウル=加藤達也】安倍晋三首相が12日、東日本大震災の被災地視察で訪れた航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)で、操縦席に座った空自機の機体番号が「731」だったとして韓国メディアや国会議員が大騒ぎしている。細菌兵器の実験などに当たったとされる旧日本軍の「731部隊」と同じ番号だとして、日本の右傾化の一例だと批判しているのだ。 中央日報は15日付の社説で、731部隊に触れた上で、安倍首相が操縦席で親指を立てるしぐさをしたことを「過去の過ちと犠牲者の痛みに反省、配慮が全くない挑発的な妄動だ」と決めつけた。 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は15日の記者会見で「あえてそんなことをするはずがない」と述べた。在韓日本人の間からも、「反日なら何でもありの典型」「安倍首相のリーダーシップへの嫉妬ではないか」といった声が出ている。
ネット上などで「美味すぎる」と話題になり、品薄のニュースも報じられる、「いなば ツナとタイカレー」シリーズ。 ローソンストア100などでは100円で購入できる缶詰めながら、うっかり「タイカレー風味のツナ」程度を予想して食べようものなら、あまりの本格的な味に面食らう。 正直、飲食店で提供されるものにも遜色ないレベルだと思う。 それにしても、なぜ缶詰めでタイカレーを? いなばではもともと「ツナ&コーン」等のミックス缶などをいち早く取り入れている(コネタ既出)だけに、その応用だったのだろうか。 いなば食品に開発の経緯などを聞いた。 「『ツナとタイカレー』(グリーン、レッド)2種は2011年9月に発売し、その半年後に『チキンとタイカレー』(イエロー)を発売しました。もともとツナ缶から始まって、『ツナコーン』等の『ツナと素材』シリーズ缶を出していたり、味付けシリーズ缶の『味付けフレーク』『やわらか煮
4月21日の富山―ガ大阪戦。普段は人がほとんど入らないというバックスタンド席にも、多くの観衆が詰めかけた4月21日の富山―ガ大阪戦、ハーフタイムにMF遠藤が引き揚げる際には、多くの人が写真を撮って声援を送った 【藤木健】今季初めてJ2に降格したガ大阪が、行く先々で1万人を超える観客を集め、J2の活況に一役買っている。迎える各クラブは、軒並み今季最多の入場者数を記録。「ガンバ人気」にあやかり、新たなファンを獲得する機会と歓迎する。 4月21日に本拠でガ大阪を迎えた富山。10日前には、クラブ史上初めてチケットが完売していた。当日は気温7度、試合前まで雨が続くなど悪条件。それでも、普段はほとんど人が入らないというバックスタンドまで大入り。過去最多の1万3639人を集めた。 今季、ガ大阪のアウェーでの平均観客数は1万6千人超。ホームでの約1万3千人を上回る。過去にも浦和やFC東京といった集客
20年経った。そして、夢はすべて叶った。いや違う、夢にも思わなかった事が次々と到来してくれた。 正直言おう。あの試合を観ながら、随分と複雑な気持ちだった。 もちろん、それまでの1年間で、既に「相当数の」夢は叶っていた。それらへの喜びは、とてもとても大きなものだったのは間違いなかった。 地元で行われたアジアカップで、アジアチャンピオンになった。 UAEに競り勝ち、ワールドカップ最終予選に進出していた。 ビッグゲームで国立競技場が満員になるのは、当然の事となっていた。 半年前のナビスコカップで、各クラブにサポータ集団が登場していた。 テレビでサッカーが採り上げられる頻度は格段に上がっていた。 繰り返すが、それぞれは大変な歓喜を伴うものだった。でも、私はあの試合を観ながら、何か白けていたのだ。 もちろん、井原はいつもの通り最高だった。木村和司も体調は上々の模様で、相変わらず愉しい選手だった。当時
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