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チェルノブイリに関するkojsのブックマーク (3)

  • 格納容器の調査に5年、燃料棒の片づけに11年 スリーマイルからフクシマへの伝言(その1)

    2012年10月から1カ月半、アメリカ各地を取材して回った。アメリカから日への核技術移転の歴史を取材するためである。その途中で、東海岸・ペンシルベニア州にある「スリーマイル島原発」(Three Mile Island Nuclear Power Plant)を訪ねた。1979年3月にメルトダウン事故を起こした原発だ。福島第一原発事故のように、商用発電原子炉がシビアアクシデントを起こして放射性物質を周辺にまき散らした先例として、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と並んで記されてきた。そうした歴史的にも重大な事故が起きたにもかかわらず、日の報道ではほとんど「スリーマイル島原発周辺はその後どうなったのか」の報告を見ない。福島第一原発事故後も、なぜかチェルノブイリばかりが報道され、スリーマイル島事故はほとんど出てこない。私はそれが不思議だった。 福島第一原発事故が教訓を学ぶためには、チェルノブイリ

    格納容器の調査に5年、燃料棒の片づけに11年 スリーマイルからフクシマへの伝言(その1)
  • 4年後、癌を発症した子供たちが、ガイガーカウンターの役目を果たし、ホットスポットが判明する(資料追記あり):ざまあみやがれい!

    現在、年間被曝上限20ミリシーベルト撤回を、福島県の人々が文部科学省に対して、要求している。これは福島に限った問題だろうか。実際に福島県外の各地で高濃度汚染地帯が見つかっている。濃度のレベルに差はあるが。賢明な私たちは気づかなくてはならない。実際、NHKのEテレのドキュメンタリ「放射能汚染地図」では、独自の調査で、30キロ圏内から遠く離れた福島市内で、高濃度放射線汚染地帯(ホットスポット)を発見したことを伝えている。これは、そこに住民にとって幸いだ。というのも、調べられていない地域では、アタリマエのことだが、ホットスポットは発見されないままだからだ。 さて、TOP画像は、ベラルーシ共和国の放射能汚染地図。ベラルーシは、チェルノブイリ原発事故の際、死の灰が降り注いだ国だ。この地図、時折目にする機会が増えてきたが、盲点がある。それは、この地図が、事故の3年後に発表されたことだ。 チェルノブイリ

    4年後、癌を発症した子供たちが、ガイガーカウンターの役目を果たし、ホットスポットが判明する(資料追記あり):ざまあみやがれい!
  • チェルノブイリ事故による死者の数 今中哲二

    - 77 - チェルノブイリ事故による死者の数 今中哲二 2006 年の春は事故から 20 年ということで、テレビ、新聞などでチェルノブイリのことが大きく取 り扱われた。チェルノブイリ問題に長らくかかわってきた専門家ということなのか、私のところには 前の年の暮れ頃から多くのマスコミ関係者が取材にやってきた。彼らからまず聞かれたのは、 「今中 さん、チェルノブイリ事故では結局何人ぐらい死んだんでしょうか?死者 4000 人というチェルノブ イリ・フォーラムの報告をどう思われますか?」ということだった。 この20年間チェルノブイリのことを調べてきて私は、 (原発事故)→(放射能汚染)→(被曝影 響)という単純な図式でチェルノブイリという厄災の全体はとらえられないこと、科学的アプローチ で解明できることはその厄災の一部でしかない、 ということを肝に銘じるようになった。 それで、 「チ ェルノブイ

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