タグ

03岩手とニュースメモに関するkonpocoのブックマーク (13)

  • 岩手日報ニュース

    konpoco
    konpoco 2012/09/01
    なんで…こんなことに?なんで東北の人間は自殺してしまうんだ…。しかも支援に行っている立場の人が…| 陸前高田市の応援職員自殺 盛岡市が派遣、遺書残す
  • 合併検討協設立へ 両磐地区2JA « Iwanichi online 一関・両磐地方のニュース

  • 「絶対再建できる」 陸前高田・酔仙酒造 | 岩手日報・経済

    「絶対再建できる」 陸前高田・酔仙酒造 Tweet おびただしい数の酒造タンクが、無残な姿でがれきの中に横たわっていた。土ぼこりに混じってかすかに漂う酒の香りがなければ、そこに酒蔵があったことは分からないほどだ。陸前高田市高田町の酔仙酒造。その年の酒造り終了を祝う行事のまさにその日、東日大震災の大津波に襲われた。 「どうにもならない…」。壊滅した酒蔵の前で、営業部の和田浩之さん(46)がつぶやく。がれきの中に看板商品「雪っこ」の缶が埋まっていた。同僚の佐藤充夫さん(43)が、少しへこんだ缶を取り出し、静かにブロックの上に置いた。 同社は1944年、陸前高田市と大船渡市の造り酒屋8軒が一つになって誕生した。日酒だけで年間約100万リットルを出荷。半数は北海道、首都圏など県外に流通し、中国にも進出している。 酒造りは通常10月から3月ごろまで。同社は県内で最も早く、お盆明けには雪っこを造

  • 救援物資を焼却処分へ 県、かびや期限切れで

    Tweet 県は、東日大震災を受け各地から寄せられた救援物資のうち、かびが生えた毛布や賞味期限切れ品などを焼却処分することを決めた。需要を上回る量が届き、配りきれないまま変質する物資が出始めたためとしており、来月初旬にも処理に入る。県は「心苦しいが管理上避けられない状況」と理解を求めるが、物資が避難所などに円滑に届かないことが指摘された初動を含め、結果的に善意を無駄にする対応のまずさを問う声が高まりそうだ。 県県民くらしの安全課によると、処分するのは滝沢村の岩手産業文化センターに保管中の▽かびなどが生えた毛布やタオル▽賞味期限切れの袋入り即席麺など数十箱▽木製のひつぎ2千基。 タオルや毛布は、長期保管で湿気により変質した。処分量は毛布だけで千枚以上になる見通し。品は避難所などに持ち込んだが長く引き合いがなかった。ひつぎは震災後、国などから県へ約5千基が届いた。しかし、市町村が民間業者

    konpoco
    konpoco 2011/10/25
    「木製のひつぎ2千基」も廃棄されるらしい。ひつぎの需要は少ない方がいい。
  • 東日本大震災:漁村復興願い新しい定置網 - 毎日jp(毎日新聞)

  • SPレコード津波に耐えた 岩手・大船渡 土蔵から207枚発見 昭和館に寄贈 - MSN産経ニュース

    東日大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県大船渡市の土蔵から、戦前のSPレコード200枚以上が発見され、戦中戦後の暮らしに関する博物館「昭和館」(東京都千代田区)に寄贈された。 同館で修復作業を行った結果、音質に問題はなく、一般公開に向けて準備を進めている。 レコードは6月、津波の直撃を受けた大船渡市南部の旧家の土蔵で、歴史資料の被災調査を行っていたNPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」の会員らが、江戸時代の古文書などとともに発見。所有者の了解を取り、SPレコードの収集を行っている昭和館に寄贈を持ちかけた。 発見されたレコードは全207枚で、ほとんどがクラシック音楽。 戦前に日のレコード会社が発売したベートーベンやシューベルトの交響曲集などが多く、当時の裕福な家庭が聴いていたものがそのまま残されたとみられる。 海水を浴びた状態のまま約3カ月たっていたため、レコードを収納する紙製のア

  • 合併を検討へ JAいわて南、いわい東 « Iwanichi online 一関・両磐地方のニュース

  • asahi.com(朝日新聞社):船激減…「漁船シェアリング」だ 漁協、再興へ一致団結 - 社会

    ひびの入った漁船を修理する重茂漁協所属の漁師小野吉男さん(右)=12日、岩手県宮古市重茂、樫山晃生撮影重茂漁協が開いた組合員全員協議会。詰めかけた漁師たちは真剣に聴き入っていた=9日午後2時26分、岩手県宮古市重茂、樫山晃生撮影  壊滅的な被害を受けた東北沿岸部の水産業を再興しようと、各地の漁協が立ち上がった。キーワードは「漁船シェアリング」。被害を免れた数少ない漁船などを共同利用することで危機を乗り越えようとしている。  「誰も経験したことのない未曽有の震災。一致団結して乗り切るしかない」  アワビや養殖ワカメで知られる岩手県宮古市の重茂(おもえ)漁協(組合員数約580人)。9日の組合員全員協議会で、伊藤隆一組合長はそう語り、集まった約400人に漁船や養殖施設の共同利用案を説明した。参加者は拍手で賛同した。  漁協所属の漁船は814隻のうち800隻が被災。国や自治体の支援策が決まらないな

    konpoco
    konpoco 2011/05/08
    農協が同じような取り組みをしているという話を聞かない。農機具のシェアとかあってもいいのに。
  • 「村を救った2人のヒーロー 死者ゼロの普代村」:イザ!

    ■水門作った村長、津波迫るなか行動した消防士 過去の津波で多数の犠牲者を出した岩手県普代村は東日大震災では死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。被害をい止めたのは高さ15・5メートルもの水門と防潮堤。昭和40~50年代、当時の村長が反対の声を押し切り、建設にこぎつけたものだ。ただ、今回は水門脇ゲートの自動開閉装置が故障し、1人の消防士が水門へ向かい、手動でゲートを閉めた。危機を見越した過去の政治的英断、そして地震直後の献身的な行動が村を守った。(梶原紀尚)関連記事津波対策“日一”も全滅 防潮堤に限…震災犠牲者9割水死 津波の怖さを軽視…記事文の続き ■もう少し低かったら… 久慈消防署普代分署の副分署長を務める立臼勝さん(50)は「水門の高さがもう少し低かったら、村にはすごい被害が出ただろう。もちろん私の命もなかった」と振り返る。 3月11日の地震直後、自動開閉装置の故障を知った立臼

  • 東日本大震災:震災と向き合う12歳 「毎小」に日記--岩手・山田の大沢小 - 毎日jp(毎日新聞)

    「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太(はこいしゆうた)君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。 ◇お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。 ●3月11日 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているとこ

    konpoco
    konpoco 2011/04/25
    心の傷とかPTSDとか言うけれど、震災は彼を強くした。立派な大人になるだろう。子どもがこうやって受け入れているのだから、大人が下を向いていてはいけないね。
  • 東日本大震災:零細漁村、復興への道筋見えず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災で大きな打撃を受けた三陸沿岸の漁業。一部の漁港で水揚げが再開される中、高齢化が進む零細漁村ではいまだ復興への道筋が見えない。岩手産ワカメの産地・岩手県田野畑村もその一つだ。漁師の半数近くが60歳以上で、漁船だけでなく家を流された人も多い。地元漁協は「借金して漁を再開できる人もいない。組合も小さく自力復興は困難だ」と国などによる早急な支援策を求めている。 村は人口約4200人の1割の約400人が漁業関係の就労者。このうち漁師は180人で60歳以上は約80人に上る。ワカメ養殖や定置網漁が主流だったが、震災で漁協事務所や魚市場、養殖施設が流され、漁船も565隻中512隻を失った。漁業関係の被害額だけで村の財政規模の約2倍にあたる76億円とされる。 同村羅賀の畠山忠男さん(67)はワカメ漁などで年約500万円の収入を得てきたが、震災で3隻の船や漁具、家を失い、避難所で家族と暮らす。ワカ

  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う (読売新聞) - Yahoo!ニュース

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになっ

  • 【東日本大震災】1本残った「希望の松」 陸前高田市の高田松原 - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する壊滅した高田松原で1だけ、少し傾きながらも立っている松。後ろは津波で崩れた陸前高田ユースホステル=平成23年3月28日午後4時半ごろ、陸前高田市 津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市では、日百景に選ばれた名勝「高田松原」も無残に削り取られた。だが、約7万の松林のうち1だけは津波の猛威を耐え、瓦礫の中で空に向かって立っている。 岩手県観光協会によると、高田松原は弓なりの砂浜に1667(寛文7)年、地元の豪商が防潮林として約6千の松を植えた景勝地。毎年15万人が訪れる東北有数の海水浴場としても知られる。 残った松を見た同市の男性運転手(57)は「あの津波でよく残った。地元では、不屈の精神を感じて『希望の松』と呼ぶ人もいる」と語った。 同市の自営業、照井義博さん(47)は「小さいころから遊んだ松原をいつか元に戻したい」と話した。

  • 1