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栃木県に関するkotakotachinのブックマーク (6)

  • 栃木県日光市鬼怒川温泉滝の『鬼怒川温泉神社』の御朱印を「鬼怒川護国神社」でいただきました。

    こんにちは。虎部です。 前回の『鬼怒川護国神社』の続きです。 慌ただしいスケジュールでしたが、『鬼怒川温泉神社』の御朱印もちゃんともらってきましたよ(^^)v。 ということで、今日は2ヶ所目の『鬼怒川温泉神社』にお参りして、御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。 『鬼怒川温泉神社』のご由緒 『鬼怒川温泉神社』の創立は不明だそうです。 地元の口伝によると、鬼怒川温泉宿地の「温泉神社」を現在のこの場所へ遷し、医療・禁厭(まじないのこと)の神とされている大己貴命(おおなむちのみこと)と少名彦命(すくなひこのみこと)が祀られいるそうです。 ちなみに、ご神徳は「家内安全」「身体健全」「勝運」です。 で、この『鬼怒川温泉神社』をお参りして気になったのは、「丸山」の頂上にある「温泉神社」は何なんだ?ということで、「鬼怒川温泉ロープウェイ」を使って頂上に行ってきました。 「鬼怒川温泉ロープウェイ

    栃木県日光市鬼怒川温泉滝の『鬼怒川温泉神社』の御朱印を「鬼怒川護国神社」でいただきました。
  • 栃木県日光市鬼怒川温泉滝の『鬼怒川護国神社』で御朱印をいただきました。

    こんにちは。虎部です。 訳あって、鬼怒川に日帰りで行ってきました。 時間がなく、ちょっと大変だったのですが、ただ行って用事を済ませても面白くないので、ついでに鬼怒川にある『鬼怒川護国神社』と『鬼怒川温泉神社』へ行って御朱印をもらってきましたよ(^^)v。 ということで、今日はまず1ヶ所目の『鬼怒川護国神社』にお参りして、御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。 『鬼怒川護国神社』のご由緒 鬼怒川は現在、日光市ですが、もともとは藤原町にありました。2006年(平成18年)に日光市に合併されて今に至っています。 なので、『鬼怒川護国神社』の正式名称は「藤原町護国神社」というそうです。 でも世間的には『鬼怒川護国神社』で通ってますので、このブログでも『鬼怒川護国神社』でお話していきます。 『鬼怒川護国神社』は1953年(昭和28年)12月18日の創建で、日清・日露戦争から太平洋戦争に至る

    栃木県日光市鬼怒川温泉滝の『鬼怒川護国神社』で御朱印をいただきました。
  • 栃木県日光市山内の「日光東照宮」の『御仮殿』で御朱印をいただきました。

    こんにちは。 公約通り「日光東照宮」の「陽明門」完成記念の御朱印をいただいたのに、記念の印が欠けていてガッカリした虎部です。 なんかね、残念な気分で帰ってきたのですよ。 そしたら、トボトボ駐車場に帰っている道中で、フッと『御仮殿』が無料公開中なのにお参りしていないことに気づいたのです。 ということで、今日は日光初夏の旅4ヶ所目の「日光東照宮」の『御仮殿』にお参りに行って、御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。 「日光東照宮」の『御仮殿』へのお参りと御由緒 神社では社の修復や建て替えをする時に、一時的に神様を遷しておく建物を建てます。この建物を『御仮殿(おかりでん)』と言います。 もちろん、「日光東照宮」にも『御仮殿』はありまして、現在社が修復中であるため、御神体(徳川家康公の御霊)はこの『御仮殿』へ遷されております。 そのため、「日光東照宮」の『御仮殿』は現在無料公開中なので

    栃木県日光市山内の「日光東照宮」の『御仮殿』で御朱印をいただきました。
  • 栃木県日光市の「日光東照宮」の「薬師堂」で『鳴龍』の御朱印をいただきました。

    こんにちは。 職場の先輩からプレゼントされた「東武鉄道・御朱印ラリー専用の御朱印帳」を持って、日光を走り回っている虎部です。 今回も前回に引き続き「日光東照宮」のお参りの続きで、「日光東照宮」の「薬師堂」の『鳴龍』を見てきました。小学生の頃、修学旅行で『鳴龍』を見ているはずなのですが、全然覚えていません・・・。なので、新たな気持ちで『鳴龍』を見てきましたよ! ということで、今日は日光3ヶ所目の「日光東照宮」の「薬師堂」の『鳴龍』を見に行って、御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。 「日光東照宮」の「奥宮」から「薬師堂」までの見どころ 「日光東照宮」の『奥宮』から降りてきて「坂下門」を通過すると、右側には「唐門」と「御社」があります。 2016年10月10日現在、この「唐門」と「御社」も修復中で、部分的に少しずつ公開されているようです。 当たり前のことですが、修復直後の彫刻はと

    栃木県日光市の「日光東照宮」の「薬師堂」で『鳴龍』の御朱印をいただきました。
  • 栃木県日光市の「日光東照宮」の『奥宮』で御朱印をいただきました。

    こんにちは。 職場の先輩からプレゼントされた「東武鉄道・御朱印ラリー専用の御朱印帳」を持って、とうとう日光まで来て、一生懸命見学している虎部です。 今回は前回に引き続き「日光東照宮」のお参りの続きで、「日光東照宮」の『奥宮』に行ってきました。この『奥宮』では東武鉄道・御朱印ラリー限定の御朱印はありませんが、お参りしなくては徳川家康公に申し訳ないですよね! ということで、今日は日光2ヶ所目の「日光東照宮」の『奥宮』にお参りに行って、御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。 「日光東照宮」の『奥宮』へのお参りと御由緒 「日光東照宮」の『奥宮』は、徳川家康公が葬られている墓所です。 「奥社」ともいわれていますが、ここでは『奥宮』と言いたいと思います。 「眠り」がある「坂下門」をくぐり、207段の石段を上っていくと、『奥宮』に到着します。 『奥宮』が一般公開されるようになったのは1965

    栃木県日光市の「日光東照宮」の『奥宮』で御朱印をいただきました。
  • 栃木県日光市の『日光東照宮』で2016年「東武鉄道・御朱印ラリー」限定の御朱印をいただきました。

    こんにちは。 職場の先輩からプレゼントされた「東武鉄道・御朱印ラリー専用の御朱印帳」を持って、とうとう日光まで来てしまった虎部です。 東京の「浅草神社」と「上野東照宮」を回り、これから日光巡りの開始です。 ということで、今日は日光1ヶ所目の『日光東照宮』にお参りに行って、東武鉄道・御朱印ラリー限定の御朱印をいただいてきたお話しをしたいと思います。 『日光東照宮』へのお参りと御由緒 『日光東照宮』は言わずとも知れた江戸幕府初代将軍・徳川家康公を神様としてお祀りした神社です。 徳川家康公は、1616年(元和2年)に現在の静岡県静岡市にある駿府城で亡くなられ、直ちに久能山に埋葬されました。そして徳川家康公の遺言により、1年後の1617年(元和3年)に久能山から日光に移され祀られたのが始まりです。 日光に移された当初は「東照社」として鎮座しましたが、その後、宮号を賜り「東照宮」と呼ばれるようになっ

    栃木県日光市の『日光東照宮』で2016年「東武鉄道・御朱印ラリー」限定の御朱印をいただきました。
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