ボディ書道 作品No.52 井上麻生(プロレスラー) | 書道家 なちゅ オフィシャルブログ powered by Ameba
思想信条から趣味、嗜好など、人は変わる。人との関係性もまた、変わりゆく。とはいえ、親しい人が突如、予想だにしなかった“変革”を遂げたとき、その変化を受け入れられるのか? 嫌いになれたら楽だが、嫌いになるのも難しいのである ◆ボクが“書道”に目覚めた理由 ゴルフ、クラブDJ、サーフィンなど、“趣味にカネをかけまくるダメ夫”キャラでの露出が多かった芸人おさる。しかし、最近では、もっぱら「書家・宇都鬼」としての活動に注力している。 何がおさるを変えたのか? 「40歳を前に、『人生も折り返しやな』って思ったんです。夏目漱石が教師を辞めて、作家として生きていこうって決めたのも40歳。ボクも本当にやるべきことを見つけなきゃあかんって」 そんなとき、芸人としての付加価値をと考えたマネジャーが、書道雑誌『墨』での連載仕事を取り付ける。実はおさるの母親は書道家で、4歳から中学入学まで、欠かさぬ日課が書写。小
このウェブスペースへは、まだホームページがアップロードされていません。 早速、エックスサーバー上へファイルをアップロードしてみましょう。 アップロードの方法などは、サポートマニュアルをご参照ください。
書家 石川九楊 四世紀の中国、東晋の政治家で書家である王羲之の展覧会が、東京国立博物館で始まっています。書道に親しむ人は誰もが知っている、名の知れた書ですが、一般には、いったいそれが私たちに何の関連があるのだろうと思う人も多いことでしょう。 私も子供の頃から書道の先生に「王羲之の書は最高だ」「王羲之『蘭亭序』以上の書はない」と聞かされてきました。書を見て、なるほどと腑に落ちるものではありませんでした。 美しく整った書なら、唐の時代の楷書の方が、はるかに勝っており、また鮮やかな書きぶりなら、宋の時代の黄庭堅(こうていけん)や米芾(べいはい)の書の方に軍配が上がるからです。 しかし沢山の書を見、書の歴史についておおよそ掴みえた今になって、王羲之の歴史上の位置がはっきりと見えるようになってきました。今日はそのあたりをお話します。 『万葉集』の中に「朝寝髪 われは梳らじ 愛しき 君が手枕
行穰帖 (部分) 原跡=王羲之筆 唐時代・7~8世紀摸 プリンストン大学付属美術館蔵 Princeton University Art Museum / Art Resource, NY 中国4世紀の東晋時代に活躍した王羲之(おうぎし、303~361、異説あり)は従来の書法を飛躍的に高めました。生前から高い評価を得ていた王羲之の書は、没後も歴代の皇帝に愛好され、王羲之信仰とでも言うべき状況を形成します。王羲之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。太宗は全国に散在する王羲之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、精巧な複製を作らせ臣下に下賜して、王羲之を賞揚したのです。しかし、それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序(らんていじょ)は、太宗皇帝が眠る昭陵(しょうりょう)に副葬され、後世の人々が見ることが出来なくなりました。その他の王羲之の書も戦乱などで失われ、現在、王羲之の真蹟は一つも
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く