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ブックマーク / ten-navi.com (8)

  • 「道を絞ったら逆に未来が広がった」プロレスラー伊藤麻希を変えた“ひとつに賭ける勇気”

    福岡発のアイドルグループ“LinQ”のメンバーとしてデビューしたものの、人気が出ずにグループをクビになった伊藤麻希さん。プロレスラー転向後、アイドル活動とプロレスを両立しながら多くのファンの声援を浴びるようになりました。 昨年は海外での人気が爆発し、10月にはチャンピオンベルトを奪取。順調なキャリアを積んでいるように見えますが、実はプロレスをやめて他の道を探したいと思っていた時期もあるそうです。 伊藤さんのキャリアが好転したきっかけはなんだったのでしょうか。アイドル時代は望まない自虐ネタで苦しんだ彼女が「ネガティブな言葉は一切口にしない!」と言い切れるまで強くなった理由とは? 結果を出すには目の前のことに集中すべき 伊藤麻希(いとう・まき)。福岡発のアイドルLinQのメンバーとして活躍中の2016年12月にDDTでプロレスデビュー。その後、LinQを卒業して格的にプロレスラーとしての活動

    「道を絞ったら逆に未来が広がった」プロレスラー伊藤麻希を変えた“ひとつに賭ける勇気”
    kowyoshi
    kowyoshi 2020/02/03
    ラフレシアの花を受けたのはムダではなかった…>4月にアメリカ遠征があって。試合をしたらすっごい人気で、グッズもめちゃくちゃ売れたんです。その時、やっぱり自分にはプロレスが向いてるのかなって
  • サイバーエージェント藤田社長が認めたプロレス団体社長のSNS戦略

    現役プロレスラーであり、株式会社DDTプロレスリングの大社長、高木三四郎さんは、プロレス業界でいち早くネット発信に着手。まだSNSもない90年代から、ニッチなファンサイトを回遊し、ネットツールを使って動員を増やしてきました。 2017年には株式のすべてをIT大手、サイバーエージェントに譲渡。自社の動画配信サービス「DDT UNIVERSE」の他、「AbemaTV」を活用して、プロレスカルチャーの拡大に貢献しています。 『年商500万円の弱小プロレス団体が上場企業のグループ入りするまで』を上梓した高木大社長に、ネットを活用したファンコミュニティや情報発信方法、プロレスラーの採用活動など、いろいろ聞いてみました。 メディアに相手にされず苦肉の策で始めたインターネット 高木三四郎(たかぎ・さんしろう)。1970年生まれ。経営とプレーヤーの両面からDDTを支える社長レスラー。 ──DDTは、立ち上

    サイバーエージェント藤田社長が認めたプロレス団体社長のSNS戦略
    kowyoshi
    kowyoshi 2019/12/04
    ネット、TAKAみちのく…(やぶ蛇)
  • 自分の笑いを貫くにはR-1優勝が必要だった。ハリウッドザコシショウがたどり着いた「売れるための計算」

    同期や後輩の活躍を素直に喜べない。一生懸命仕事をしているのに、なぜあいつばかりが評価され、自分は浮かばれないんだ……。 こんなネガティブな思考は意味がないとわかっていても、どうしても抑えきれない「嫉妬」。そんな感情をどのように乗り越え、気持ちを整理すればいいのでしょうか。 今回は、「R-1ぐらんぷり2016」(以下、R-1)の優勝をきっかけに大ブレイクし、バラエティ番組にひっぱりだこのピン芸人・ハリウッドザコシショウさんにお話を伺いました。 R-1で優勝した当時、ザコシショウさんは42歳の芸歴24年目。ブレイクまでの間、同期や後輩の活躍を目の当たりにしながらも、ひたむきに芸人の道を極めました。破天荒な印象が強いザコシショウさんですが、その裏にあった緻密な「売れるための計算」に迫ります。 同期がブレイクする中、コンビ解散。一度は芸人を辞めていた ハリウッドザコシショウ。1993年にお笑いコン

    自分の笑いを貫くにはR-1優勝が必要だった。ハリウッドザコシショウがたどり着いた「売れるための計算」
    kowyoshi
    kowyoshi 2019/03/21
    ニコニコ一週間のエンディングで披露していた(つべの動画を流していた。そして歴戦のプヲタが困惑した)あのネタの数々も…
  • 自虐とブスいじりでブレイクしても心は病んでいた。“闘うクビドル”伊藤麻希が選んだセカンドキャリア

    「今の仕事は天職なんだろうか?」「得意な仕事をしているわけでもないし、なかなかチャンスが回ってこない……」「会社からも、期待されていない気がする」そんなモヤモヤを抱えながら働いている人、多いと思います。 今回お話を伺ったのは、福岡発のアイドル”LinQ”のメンバーとしてデビューしたものの、「人気がまったく出ずにクビになった」伊藤麻希さん。アイドル時代にDDTプロレスリングとコラボした経験からプロレスラーにキャリアチェンジ、「アイドル時代にはなかなか聞けなかった(笑)」という多くの声援を浴びるようになりました。 弱い自分もさらけ出し、感情を前面に出したプロレスで多くのファンの心をつかんだ伊藤さん。(写真提供:DDTプロレスリング) 「伊藤ちゃん!」と伊藤コールが会場に響きわたるようになるまでには、たくさんの悩みがあったそう。うつと診断されるくらい気分が落ちこんでいた状況から、思考を変えて天職

    自虐とブスいじりでブレイクしても心は病んでいた。“闘うクビドル”伊藤麻希が選んだセカンドキャリア
  • 「エイズ検査が陰性だったので即会社を辞めました」プロレスラー葛西純が選んだ“後悔しない”人生

    蛍光灯で殴り合う。大量の画鋲やガラスが散らばったリングでプロレス技をかける。カミソリを何もくっつけたボードに相手を投げ飛ばす。——プロレスの中でも最も過酷な “デスマッチ”のリングに広がる凄惨な景色は、圧倒的な非日常そのもの。観客は息を呑み、そして熱狂する。 試合を見たことがない人にとっては、「なぜ血みどろになってデスマッチなんてやるのか」理解できないかもしれません。そこにはどんな理由があるのでしょうか。 今回、Dybe!は過酷なデスマッチを20年間も続けている人にお話を伺いました。「デスマッチのカリスマ」と呼ばれるプロレスラーの葛西純選手(FREEDOMS所属)です。2009年に東京・後楽園ホールで行った試合でプロレス大賞の年間最高試合賞を獲得。その試合で伝説となったのが、高さ6mにも及ぶバルコニーからのダイブでした。 後楽園ホールでのバルコニーダイブ。 何故、あんな高い場所から飛べる

    「エイズ検査が陰性だったので即会社を辞めました」プロレスラー葛西純が選んだ“後悔しない”人生
    kowyoshi
    kowyoshi 2019/01/07
    葛西純ファンからしたら基本的な逸話中心かなと思ったら、お父さん亡くなっていたのか…
  • ダメと言われたことは全部やった。月給2万から這い上がった黒潮“イケメン”二郎の成り上がり力

    SNSをはじめとして、ビジネスパーソンも自己プロデュースを意識せざるをえない時代です。キャラ立ちしている方々は、どんな風にブランディングしていったんでしょうか。 ヒントをいただくべく、プロレスラーの方にお話を伺いました。現役最高のレスラーを決める「プロレス総選挙」で、棚橋弘至選手や内藤哲也選手といった超人気レスラーに次いで2017年、18年と2年連続6位にランクインした黒潮“イケメン”二郎選手です。 リングに上がりそうで上がらないパフォーマンスが大人気((C)WRESTLE-1) 実は、このキャラクターはもともと会社の無茶振りからうまれたそう。突然、「お前、明日からイケメンやって」と命じられた黒潮“イケメン”二郎選手。困惑しながらも、「やるしかない」と自分を殺して(?)イケメン仕草を突き詰めた結果、今の人気につながったそうです。 乗り気じゃない仕事を命じられながらも、頑張れた理由とは? 彼

    ダメと言われたことは全部やった。月給2万から這い上がった黒潮“イケメン”二郎の成り上がり力
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/11/17
    イケメン、セルフプロデュースしっかりしてた
  • プロレスに自信がない社長レスラーが、20年間会社を率いて考えたこと|DDTプロレス・高木三四郎インタビュー (Dybe!)

    プロレスに自信がない社長レスラーが、20年間会社を率いて考えたこと|DDTプロレス・高木三四郎インタビュー (Dybe!)
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/10/10
    ああ、だからネット配信のみでノー観客として行われたんだ、DDT東京ドーム大会>ロケ扱いなら数百万円ですむことがわかりました
  • 相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話

    成功している同級生がまぶしい。Facebookでの、みんなの近況報告に嫉妬してしまう。「なんで自分だけうまくいかないんだろう?」「自分のほうが努力しているのに」。そんなネガティブな思考に陥ってしまうこと、あると思います。 当は卑屈な自分を受け入れ、ありあまる負のエネルギーを前向きな方向につなげたい。でも、立ち直り方がわからない。そんな時におすすめしたいがあります。『ただのオタクで売れてない芸人で借金300万円あったボクが、年収800万円になった件について。』(小学館)です。 著者は、お笑いコンビ天津の向清太朗さん。向さんは「吟じます」のエロ詩吟でおなじみの、木村さんの相方です。「大ブレイクした相方を横目に、嫉妬で闇落ちしてしまった」と話す向さんですが、現在は漫才など芸人の仕事のほか、”副業”のライトノベル原作やイベントプロデューサーとしても大活躍。漫才にこだわらず好きなことをやろうと思

    相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話
    kowyoshi
    kowyoshi 2018/09/22
    で、今はエロ詩吟のほうが芸能仕事より食うための副業メインでやってる(本人談)というオチがありまして…(イベントで聞いた)
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