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宮澤賢治に関するkskimのブックマーク (4)

  • 1921年と1931年

    ちょっと事情があって、とくに宮澤賢治を好きというわけでもない方々に、賢治に関してややマニアックな話をする必要ができて、スライドを作っています。その1枚目は、どうしてもこんな感じになってしまいます。 賢治の一生をたった1枚のスライドにまとめるというのがまあ無理な話で、何を入れて何を削るか迷うところですが、上記はまあごく一般的に生活上の外形的な節目を並べたものです。 でもこれ以外にも、法華経との出会いとか、保阪嘉内のこととか、トシの死とか、『春と修羅』や『注文の多い料理店』の出版とか、賢治の人生において重要なことはたくさんあります。皆さんならば、どんなスライドを作られるでしょうか。 それはともかく、「生」と「死」を除けばあとは5つだけ選んだ賢治の人生上の節目のうち、1921年と1931年というのが、私としては何となく気になりました。 1921年(大正10年)は、誰しも認める彼の生涯における大き

    1921年と1931年
  • 「心象」の体験線モデル

    先日ご紹介したように、佐藤通雅氏は『賢治短歌へ』において、賢治の短歌がふつうの<一人称詩>から独特の「ふみはずし」をしているという特徴を指摘し、それを眼球で網膜に像が結ばれない状態などに喩えて説明をしておられました。 このを読みながら、私はまた別の説明モデルを考えてみました。 安永浩という精神病理学者がおられて、1970年代から1980年代にかけて、「ファントム空間論」などの独自の理論を発表し、注目されていました。(現在 Web 上では、「O.S.ウォーコップの次世代への寄与――「パターン」、「パターン逆転」、「ファントム空間論」――」というページにおいて、その一端を見ることができます。) この安永浩氏はかつて、「体験線」と呼ぶところの一の右向きの矢印(図1)を描いて、人間の体験を説明しました。(この図は上の Web ページでも、「図5」として出てきます。) 図の左端の「e」は、「自極

    「心象」の体験線モデル
  • 「写生」と「心象スケッチ」

    ほんとうは「『赤光』と『春と修羅』」などという大それたエントリを書いてみたく思ったのですが、到底いきなり手に余るので、とりあえず各々の方法論である(と各々の作者自身が言っている)「写生」と「心象スケッチ」ということについて、考えた事柄を書いてみます。 「写生」は、言うまでもなく正岡子規が、俳句、短歌、散文などの方法論として提唱した概念ですが、近代以降の文学に大きな影響を与えました。その弟子たちによって、「写生」という言葉はさまざまに深められ拡張されていきますが、斎藤茂吉が自らの「写生」の定義を精緻化していくのは、『赤光』の刊行よりも少し後からのことです。 一方、「心象スケッチ」とは、宮澤賢治が独自に考え出し、詩、童話において実践しようとした方法論です。「心象」や「スケッチ」という言葉の各々は、それまでにも使用されていましたが、彼の言うところの「心象スケッチ」は、とりわけ『春と修羅』が世に現

    「写生」と「心象スケッチ」
  • 発表のスライド

    以前に「1921年と1931年」という記事において、その1枚目のスライドをご紹介した発表を、昨日してきました。 とくに賢治に関心を持った人の集まりではないので、準備しながら心配でしたが、暖かく真面目に聞いていただけたのでほっとしました。 賢治の作品からの引用スライドもいろいろ出したのですが、下はその発表の最後のスライド4枚です。 これだけでなんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、要は、賢治の特異な体験を「解離」という機制によってとらえようとする柴山雅俊氏の説は、作品における記述にも非常にあてはまると思われ、またこのような特性は、賢治が「心象」という言葉によって自他未分の形で自らの体験を記述しようとしたことにも通底しているのではないかということが、言いたかったのです。 「自他(主客)未分」という観点は、賢治だけでなく当時の海外や日(西田幾多郎など)の思想にも共通したものがあっ

    発表のスライド
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