ブックマーク / blog.szk.cc (73)

  • 夏に受けた取材を振り返る

    もう20年近く、いわゆるマスコミに取材を受ける側なのだけれど、面白いことにこうしたお仕事のタイミングは集中することが多い。何か特定の事件が起きて、それについての取材が集中するというのではなく、それぞれ独立のテーマであるというのも不思議なのだけれど、この夏はたまたまそういうタイミングだった。普段はあまり取材のお仕事の紹介をすることもないのだけれど、振り返りがてら、掲載しきれなかった部分も紹介しておきたい。 オリンピックと誹謗中傷 8月の半ばに掲載されたのが共同通信配信記事のコメント。オリンピック選手への誹謗中傷が相次いだことを受けて、閉会のタイミングで配信されたようだ。 掲載されたコメントの趣旨としては「ネット上で誹謗中傷が相次ぐのは、プラットフォームが注目を集めることによって収益を得る『アテンション・エコノミー』になっているから」「プラットフォーム事業者による投稿削除とともに、選手側もSN

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    kumokaji
    kumokaji 2024/09/16
  • それでもまだ成長期

    最近、あるデータを見ていて気づいたのだけど、こと働き方に関して言うと、自分の世代とその下の世代を比較したときに、僕らは「好きなことを仕事にしたい」「リーダーシップや決断力のある上司が理想」という傾向が強いようだ。サンプルの偏りとか調査設計の問題はあるにせよ、どことなくイメージが浮かぶ結果だと思った。なんといっても、自己主張することと、自分を軸に考えることが結びついているのだと思う。 それは同世代から少し下くらいまでの人たちを見ていても感じるところだ。SNSでも隙あらば自分語りが展開されるし、「セルフブランディング」なんて言葉も飛び交っていた。心理学的には承認欲求の中でも「称賛獲得欲求」というのだけど、世の中の立場がどうあれ、まず自分に注目を集めたいし、称賛されたいという意思の強い人が目立つ。ちょうどベンチャーブームだとかSNSの登場だとかが重なった20世紀末から21世紀初頭にかけての動きが

    それでもまだ成長期
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    kumokaji 2024/04/17
  • Twitterが「終わる」とどうなるのか « SOUL for SALE

    Twitterがいよいよヤバいらしい、という話が、再び話題になっている。イーロン・マスクが経営権を握って以降、似たような話は何度も囁かれていたが、今度こそは物だ、ということのようだ。 ことの発端は日時間の7月1日から2日にかけて、Twitterが全ユーザーに対して1日あたりの閲覧数を制限したことだ。上限の投稿数についてはたびたび変更が繰り返されたものの、春に行われたAPIの有料化に続いて大きなインパクトを持つ出来事だといえよう。 背景にあるのは、Twitterに対するスクレイピングがサーバーにもたらす過負荷らしい。ただこのスクレイピングも、そもそもAPIの有料化によってデータを取得できなくなったユーザーが代替策として行っているものである可能性が高い。さらに、Twitter内部のバグによってセルフDDos状態になっているとの指摘もある。単純に技術的な問題というよりは、経営の判断ミスがネガ

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  • 「もう何の話もしたくない」

    「鼓舞激励」を貫いた1年 今年、何人もの教え子に「先生が死ぬときは絶対に突然死ですよね」と言われた。突然でない死があるのかよく分からないが「早く死ねばいいのに」と思われながら死ぬよりはいいんじゃないかな。そもそも、明日生き延びるために今日したいことを我慢して、それで明日死んだら意味ないじゃんその我慢。 ただそこまで言われるからには、それ相応にアクティブだったのだと思う。2022年の頭に立てた目標は「鼓舞激励」だった。特に大学の仕事では人を勇気づけること、進む先によい未来があると信じさせることを目指して、アウトプット活動に勤しんだ。年の前半は、学部の広報用サイトをリニューアル、後半には受験生向け動画の企画・監督を手掛けた。3年ぶりの対面イベントが多く、卒業生や仕事で関わる企業人と学生をつなぐ企画も動かした。この数年続けてきた研究活動も書籍化された。去年までの2年間が、立ち止まらないために必死

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    kumokaji 2023/01/01
  • 2022年の音楽を振り返る

    「帰ってきた」のではなく「はじまった」 2022年も終わろうとしているけど、今年の音楽を振り返ると、むしろ「はじまった」という感が強い。確かに、サマソニ、ミナホ、レディクレと大型フェス、サーキットイベントには軒並み参加したし、ライブを見に行くという点ではすごく充実していた。ただここで「はじまった」というのは、コロナからの行動制限緩和によって様々なエンタメが再開されたということだけでなく、昨年の音楽まとめ記事にも書いた、新世代、新ジャンルへの入れ替わりが進んだということでもある。 とりわけ印象的だったのは、いわゆる「ラブソング」でない曲の存在感だ。世界的に見ても若い男女恋愛を歌った楽曲はスタンダードでなくなりつつあるし、アーティストに求められるものも、感情の代弁ではなく自己啓発になっていると思う。誰かの背中を押したり勇気づけたりすることが音楽の重要な役割であるような、そういうトレンドはしば

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  • 意見を持つということ

    社会調査や世論調査をめぐる、ひとつの興味深い議論がある。 それは、「誰も聞く相手のいない状態で表明された意見を、どう考えるか」というものだ。 僕たちはたいてい、何かの意見を表明するときに、どんな相手が聞いているのかを意識する。不特定多数に聞かれる場面では、できるだけ主張をマイルドにしたり、批判されそうな意見を言わないようにしたりする。逆に、自分と同じような立場、同じような意見をもつ人ばかりだと思える場面では、他の場面より強くそのことを主張するかもしれない。つまり、相手が誰であるかによって、僕たちの言うことは変わる。 さらに、その意見は自分と相手との関係や、自分の信念の強さや態度の明確さにも関係する。上司から「最近の新入社員は心が弱いよな」と言われたときに、部下が「ほんとにそうですよね」と同意したとしても、それは相手が上司であり、自分には新入社員についての強い意見がないことの現れかもしれない

    意見を持つということ
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    kumokaji 2022/04/21
  • 理念を共有するパワー

    学者が論文を書くときのプロセスにはいくつかのパターンがある。先行研究を広く批判的に読み込んだ上でリサーチ・クエスチョンを立てるというのが正統派のやり方だと思うのだけど、僕が好きなのは、先行研究と最新の事例や現象を組み合わせて、既存の枠組みをアップデートするような研究だ。なので、書いたときにはまだはっきりしなかったけれど、あとになって振り返ったときに、この指摘はいまのこれを示しているのではないか、と思えてくることがある。 たとえば『ウェブ社会のゆくえ』(2013)は、後にポケモンGOが登場した際、現実空間と情報空間の関係を表す理論枠組みとしてたびたび言及されたし、社会学の教科書で書いた「グローバリゼーション」(2017)は、執筆時点でまだ起きていなかったトランプ現象やブレグジットの背景とされた、格差が生み出すグローバリゼーションへの反発を主題としていた。書いた方は、あまり自分の論考を振り返る

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    kumokaji 2022/03/24
  • 「外野の野次」との付き合い方

    自分自身もそうなのだけど、周囲からも、ネットやSNSを見なくなったという声を聞くことが増えた。もともとROM専(見るだけで発言はしない人)の割合が諸外国と比較して高いのが日のネット文化の特徴だけど、「見るに値する情報」がめっきり減ってしまったということの現れなのかもしれない。 実際、世の中はどこでもささくれ立っているから、流れてくる話題も、日々の感染者、それを受けての政治に対する文句、誰かと誰かの仲違い、炎上した芸能人、美容広告、事件、事故と、喜怒哀楽の中でも感情に偏りの激しいものばかりだ。こういうとき、何か言ってやりたくなるような話題こそ気をつけろ、と大学のときに授業で聞かされていなかったら、あるいはコメンテーターとして「何か一言」を求められるような立場にいなかったら、おしゃべりの好きな僕はいろんなことに首を突っ込んで燃えていたかもしれない。 そもそも、なんだってこんなに疲れることをし

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    kumokaji 2022/01/29
  • ランキングから降りる

    大学教員になってから、年の暮れというものの感覚がずいぶん変わった。確かに学生たちの卒業論文・修士論文が大詰めの時期だからあまり気の休まることはないのだけど、一方でレギュラーの授業がない時期だというだけで、あるいは事務職員との打ち合わせや会議が入らないということだけで、普段よりものんびりできるようにも思える。考えごとをする時間が増えるから、1年を振り返りながら、余計なことばかり考えてしまうのは若い頃と変わらないのだけれど。 ただ今年に関しては、振り返っても「辛かった」「苦しかった」という思いがフラッシュバックするばかりで、あまり有意義なところはないかもしれない。たしかに昨年のように多くのものが止まってしまうという状態ではなくなった。だけど、「どの程度まで動くかは各自の判断に任せる」という世の中全体の方針が、昨年以上に僕たちをバラバラにしたように感じる。どのくらいリモートワークを続けるのか。い

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    kumokaji 2021/12/31
  • 2021年の音楽を振り返る

    再開されたからこその苦しみ 2021年も、昨年に引き続きコロナに翻弄された音楽業界だったと思う。昨年よりはリリースも増えたものの、多くの曲の歌詞に「延期」や「中止」といった言葉が直接的、比喩的に盛り込まれ、リスナーに届けるエンターテイメントというよりも、アーティスト、あるいは業界全体の苦しみを共有したいという思いがあちこちで見られた。 実際、去年よりは今年の方が苦しかったという印象はぬぐえない。ライブは再開され、大規模イベントも、様々な制約の中で開催されるようになった。だがそうやってボールが主催者、アーティスト側に投げられたことで「どこまでが許されるのか」を考えることも、彼らの役割になったのだ。緊急事態、自宅療養、アーティストへの感染などの話題が続き、「ギリギリまで悩んだのですが」というツイートを何度も目にした。何年も好きだったアーティストが、何組も活動を休止した。 だからこそ、というわけ

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  • 対面の再開と対面の強制

    対面授業は再開されていないのか 大学では、後期(秋学期)がスタートする時期になっている。勤め先でも8月からワクチン接種が始まり、いまがちょうど2回めの時期ということで、副反応を理由に欠席する学生も多いようだけれど、夏休みの時期よりはキャンパス内もにぎやかになってきたように思う。 このように書くと、大学は再開しているのかと思う向きもあるかもしれない。しているとも言えるし、まだまだとも言える。毎日新聞が報じているように、ワクチン接種を進めている大学の中でも、スタートが遅れたことや緊急事態宣言下であることなどを理由に、後期のスタートから全面再開とはいかないのが実情だ。 ただ、ここで注意しなければいけないことがある。同じ記事にもある通り、ゼミや実習といった対面で開講することが望ましい科目については既に学内での受講が可能になっているということだ。これは勤め先に関して言えばこの春からずっとそうだし、昨

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    kumokaji 2021/09/25
  • 「負け戦」に立ち向かう

    政府への不信が直接の原因ではない 3度めになる緊急事態宣言が出されて1週間。大型連休と重なることもあって宣言のアナウンスメント効果も期待されたが、現実には感染防止どころか、むしろ拡大する傾向にある。人々の行動抑制に対する効果のタイムラグを考えても、今回の「宣言」とそれに伴う措置が成果を挙げられていないのは明らかだ。 どうしてこうなってしまったのだろう。ネット上では、行動制限を促す一方でオリンピック開催に向けて突き進む政府の方針の一貫性のなさに呆れ、「もう従うだけバカバカしい」という声も散見されるようだ。だが、「政府の方針」と「行動を抑制する人が増えない」ことの間に、直接的な因果関係を見るのは難しい。来、このふたつは独立の出来事であり、「政府は危険だと言っているが、コロナなんてただの風邪なのであり、感染防止なんてしなくてもいい」と考えない限り、両者が論理的に結びつくものではない。 東京都の

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    kumokaji 2021/05/02
  • 続・社会学は何をしているのか

    以前のエントリで触れたように、社会学という学問は往々にして誤解にさらされるものだ、と、当の社会学者自身が思っている。社会学が他の学問より誤解を受けているという証拠はないけれど、少なくとも研究対象になるものが、専門家以外でも触れることのできる、多くの人が経験したことのある出来事だからこそ「社会学者の見方は間違っている」と非難されることが多くなるのは確かだろう。その非難は、学術を専門としない当事者だけでなく、同じ対象を扱っている他分野の研究者からなされることもある。 たとえば昨年開催された日社会学会におけるシンポジウム「社会学への冷笑と羨望――隣接分野からのまなざし」は、そのような他分野からの視点を学会的に取り入れようという意欲的な試みで、僕自身は参加しなかったのだけれど、とても刺激的なやりとりがあったようだ。学会員向けのニュースレターによると、環境経済学の専門家から指摘されたのは、環境問題

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    kumokaji 2021/02/02
  • 立ち止まるか、動くか――2020年のまとめ

    時間の停止した世界で 昨年は、数年に一回とも言えるほどにたくさんの仕事をした年だった、と1年前のブログには書かれている。そして、「どうせなら、いい時間にしたい」という、人生観の変わる年であったとも。おそらく、とても充実していたのだろう。 その点について言えば、今年も、ほんとうに充実した年だった。ただし決してポジティブな意味ではない。2月頃からコロナ禍が国内でも顕になり、そのタイミングで学部執行部の仕事を引き継いだ。最初に行ったのは、600名以上いる新入生のガイダンスをオンライン化すること。そして、1年生の必修科目の教材のオンライン化だった。 4月の緊急事態宣言のさなか、こうしたオンライン化を乗り切れたのは、偶然がいくつも重なったからだ。昨年度までにノーコードでスマホサイトを構築するノウハウはできていたし、「THE FIRST TAKE」に感化されて1月には買い揃えていたレコーディング機材も

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    kumokaji 2020/12/31
  • 「裏のカリキュラム」を表に

    「もしも僕がいま、二十歳の大学生だったら、それはもう相当に怒っていたと思う」という、勢いだけで書きつけたブログは、予想以上の反響を巻き起こした。といってもソーシャルメディアは見ないしエゴサーチもしないので、その反応を感じられたのはマスコミからの取材依頼を通してだった。大学生の現状を取材しているうちに、大学側からの視点として記事・番組に盛り込みたいということで参考にしてくださったらしい。 ただやっぱり、「じゃあお前は足元の学部で何をしとるのだ」という思いはずっとあった。たまたま学部執行部の仕事を担っていることもあって、動くしかない、という決意をして、1年生を支援するタスクフォースの発足を学部長に直訴したのが春学期終盤の7月。数名のチームで課題の洗い出しやそれぞれで動いていたことを共有し、秋学期に入ってからは、1年生が登校している曜日に自由参加のオフラインイベントを、ほぼ毎週開催することになっ

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    kumokaji 2020/10/17
  • 社会学は何をしているのか

    「何をしているのか分からない」 社会学部の教員をしているとぶつかる壁のひとつに「社会学を宣伝することの難しさ」がある。社会学部の教員も学生も、「社会学部って何をするところ?」とよく聞かれるのに、それに答えられないというのだ。もっとも「じゃあ経済学部では何を勉強するか知ってる?」と聞いても「経済のことを勉強するんでしょ」という、おそらく経済学者なら間違いだと言うだろう回答しか返ってこないわけだから、「社会学は説明が難しい」というのも思い込みでしかないのだけれど。 一昔前の日の教科書では、「社会学は常識を疑う学問です」なんて書かれていた。けれどこの説明も、もう古臭いものになっている(この辺についてはこのや講義動画を参照)。最近の説明としては、日社会学会の社会学部への進学を考えている人向けのサイトで示されている「異なる価値観をもった人間たちが多数集まって形成されるこの社会を解き明かす学問」

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    kumokaji 2020/09/17
  • 共感資本主義のゆくえ

    にわかに浮上した「講義のオンライン化」という課題に忙殺され続けた春学期(前期)もそろそろ終りが見えてきた。それに関連して、毎日新聞で受けた取材では大学の講義が、「マルクスについて聞こえる空間にぼんやりと身を置き『そういえば、俺のバイト先でも…』と連想するようなことも含めたものだった」というコメントが採用されている。別にマルクスである必要はなかったのだけど、大学における対面活動の価値の一部に「当初は意味があると思えなかったものに意味を見出す」ということがある、という例として、いわば「資主義を生き抜くのに役立つ思考」の対極として挙げたのがマルクスだったわけだ。 ただ思わず口走ったレベルの話だったものの、的はずれな例示でもなかったのかもしれないと思ったのは現代ビジネスの記事でマルクスと大学生の話が取り上げられていたからだ。景気の下降期にマルクスが注目される現象は過去にもあったけれど、ここでは資

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    kumokaji 2020/07/05
  • 自己本位的になる社会

    新型コロナウイルスの感染拡大が社会に与えた影響は甚大で、この数ヶ月だけでも、多くの人が生活の変化を余儀なくされ、また先の見通しの立たない状況に置かれている。その多くはネガティブな変化であり、一日も早く「もとの日常」が還ってくることを期待する人は多い。もちろん、そんなことはありえない、私たちは「新しい生活様式」なるものに慣れ、ウイルスと共存していくほかないのだという人もいる。 その一方で、そうしたニューノーマルの中でも、むしろ普及や定着を期待されることもある。それがリモートワークを導入した働き方だ。リモートワークには、従業員のワークライフバランスや業務全体の効率化などのメリットがあるとされており、コロナ・ショックがもたらした数少ない「よい変化」のように思われる。 しかしながら社会学的には、リモートワークがもたらす「望ましさ」には、手放しで肯定できない面もある。というのも社会学は、人々が社会的

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    kumokaji 2020/06/01
  • パッケージとライブ:音楽産業の6モデル

    音楽業界は実は音楽だけ売ってる訳ではない 今コロナでどこも死にそうになってますがエンタメ業界は特に死にそうな業界の筆頭として残念な意味で話題になってます。要するにライブができないことが致命的なんですが、なんでライブができなくなっただけでみん... きっかけは、このブログに対する教え子からの質問だった。これまで起きていたことは、単純なモノから体験へのシフトなのか。むしろモノが購入されていた時代にも、リスナーは体験を求めてそのモノを購入していたのではないか、というものだ。 こうした点は講義でも著書でも触れてきたことだし、大学のゼミではこの数年、「情報化されないものの価値」について検討を重ねてきた。特に今年重点的に取り上げているテーマが「エンターテイメント」だったこともあり、この問題については少し整理したほうがいいように思う。果たして音楽業界は、「体験の価値」を売るモデルを放棄するべきなのか? 

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  • 日常化された欲望

    44歳の誕生日を、こんな形で迎えることになるとは思ってもみなかった。 もともと誕生日を祝いたいタイプではないし、歳を重ねるごとに、人生の残りの蝋燭が目減りしているのを自覚しようという日になりがちだった。それが今年は、死を覚悟し、もしも当にそうなったら、ということを想定しながら生活し、働いている。たとえばそれは「万一、学期の途中で授業を続行することができなくなったら」という想定で、科目の設計を行っているなんてこと。 世の中の多くの人が、修羅場というか鉄火場というか、そういう状況に直面している。今年は学部執行部のメンバーでもあるので、ほんとうに深夜まで多数の連絡が飛び交い、ものすごい速さで色んなことが変化し、判断され、実行されている。ベンチャー時代を思い出すというか、むしろスタートアップに放り込まれたと思って行動するのが、もっとも理にかなっているとすら思う。 「ハイテンションな自己啓発」とい

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    kumokaji 2020/04/18