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2007年4月10日のブックマーク (3件)

  • 集合愚から集合知を取り出す - 妄想科學倶樂部

    はてなブックマークが衆愚と呼ばれて久しい。Wikipediaは記事のかなりの部分が信頼おけぬものであることが徐々に認知されつつある。市民ニュースは悉く失敗に終わった。 Web2.0は集合知の時代だと言うが、実際に知が取り出せた部分はほんの一握りで、それ意外の大半は愚にもつかない情報ノイズなのではないか。 そりゃそうだ。「SFの90%はクズである。ただし、あらゆるものの90%はクズである」といったのはテオドア・スタージョンだが、要するにあらゆるものは玉石混淆であり、玉より石の方が圧倒的に多い。その中からどうやって玉を選り分けるか、それがWeb2.0などと銘打たれた代物の質であって、そのための装置(とそれによって得られた全体)を見て何か言っても仕方ないのだ。全体を見れば、常に90%はクズなのであって、注目すべきはそのうち10%の玉、そしてそれを石から選り分けるのに要する手間の部分だけだ。そこ

    集合愚から集合知を取り出す - 妄想科學倶樂部
  • 資料や人がいなければ「空間への期待」を満たすことはできないのでは? - 図書館情報学を学ぶ

    書店は「空間への期待」を選んだ。図書館は大丈夫? http://loud-minority.cocolog-nifty.com/loud_minority/2007/01/post_6e16.html 図書館が生き残るためには「空間への期待」に重視すべきという意見は基的に賛成なのですが、以下の部分を見てひっかかりました。 人も資料も大事なんだろうとは思いますが、まず何よりも「空間」として期待されるのが先なんじゃないかと思いました。私は逆なのではないかと思います。「空間」として期待されるためには人や資料がまず無ければならないと思うのです。書店が成立するためにはという商品と、それを整備する書店員がいなくては成立しませんよね?元書店員の方としてはそれは当たり前に存在するものなのかもしれませんが、図書館ではそういった低レイヤーの部分から考えなければならないのだと私は捉えています。 往来堂は「人

    資料や人がいなければ「空間への期待」を満たすことはできないのでは? - 図書館情報学を学ぶ
  • 今図書館に必要とされる機能はパーソナライズかもしれない。

    その道には書店員の屍が(from 書評サイト Loud Minority) http://loud-minority.cocolog-nifty.com/loud_minority/2007/01/post_51d5.html 資料への期待(from DORAの図書館日報) http://dora-hikarilibrary.air-nifty.com/diary/2007/01/post_b506.html 先日書いた『資料や人がいなければ「空間への期待」を満たすことはできないのでは?』がDORAさんとloudminorityさんのブログ上で引用されました。お二方どうもありがとうございます。 書店、図書館双方の現場の方からの貴重な話を伺うことができて、色々書きたいことはあるのですが、私事で中々ブログを書く時間を持てないので、気になった箇所のコメントで留めておこうかと思います。 1 そこで

    kunimiya
    kunimiya 2007/04/10
    [[*図書館]][セルクマ]