第二次大戦の連合国のリーダーであるチャーチルは、アメリカが参戦するまでの苦しい期間、地中海作戦によって逆境を凌いでいた。 開戦まもなくフランスを占領し、イギリスを空爆、スカンジナビア、さらにソ連と戦線を拡大していくナチス・ドイツ相手に、チャーチルは正面から戦うのは不利と判断する。 そこで、ナチスの同盟国イタリアが担当する北アフリカに目をつける。 ドイツのように強くないイタリア軍をドイツも支援するが、主力がイタリア軍なのでイギリス軍は優勢に戦いを続け、少しずつドイツの力を削いでいく。 しかしアメリカが参戦し、独ソ戦でソ連が反攻に転じると、地中海作戦の重要度は下がっていく。 連合国が北アフリカを抑え、地中海作戦の目標がイタリアになると、連合国では二つの作戦のどちらを採用すべきかが議論になった。 ひとつは北アフリカから北上してイタリアを占領し、ドイツに迫る作戦。 もうひとつは西部戦線を形成してフ