かつて存在した雑誌「ゲーム批評」http://tinyurl.com/23cztqp (Wikipedia)の最後の編集長となってしまった奈良原士郎氏( @bue1975 )が当時を振り返った一連のツイート。 ゲー評末期の迷走ぶりは一読者の私としても不可解な点が多かったのですが、今回のことで少し理解できたように思います。 また、これをきっかけにライターの多根清史氏( @bigburn )とも久しぶりに邂逅、和解するまでの顛末をまとめました。
わたしが問題にしたいのは、「「日本人(ヤマト人/和人)」であること」ではない。問題は、属性にあるのではない。どのように行動するのかが とわれるべきだ。 日本社会において「民族的な多数派」に「属しているだけ」で批判されるべきではない。だが、この社会に民族差別を のこしているなら、その制度を なおさないといけない。差別制度によって、自分が結果的に得をしているなら、なにを しているわけでもなくても、差別制度に よいしょされた生活をしている。差別を 再生産していると いっても いい。その状況で、「わたしは なにを するのか」ということ。どのように ふるまうのか、ということ。 たとえば天皇制は、戸籍制度とセットになって日本社会で生活している ひとたちを しばっている。『非婚の親と婚外子』という本で問題にされているのは、婚外子への制度上の差別だ。 戸籍制度は、性別二元論と異性愛主義によって性的少数派を
0. 福島党首 少子化相に - finalventの日記 民主党政権で少子化対策の担当大臣に内定した社民党の福島瑞穂さんは、1992年に「産まない選択―子どもを持たない楽しさ」という本を編者として刊行しているよ、という記事。はてなブックマークで話題になっているようですね。 この本はあまり売れなかったみたいで、中古市場にもあまり流れていない(日本の古本屋くらいでしか見つからない)し、市町村レベルの図書館にも蔵書されていないことが多い様子。なので、簡単に内容をご紹介します。 1.目次 はしがき i Ⅰ 対談 産む・産まない、どちらも正しい!? 1 「搾取」か「創造」か―出産・子育てをめぐる攻防 福沢恵子・福島瑞穂 3 出生率という名の危険な罠 諫山陽太郎・緒方由紀子 51 Ⅱ 手記 産まないかもしれない症候群 71 バンになんか乗りたくない 梶原葉月 73 二十七にもなって 佐々木さとみ 83
2009年06月10日00:10 カテゴリ書評/画評/品評 「ついカッとなって」から戦争まで - 書評 - 日本の殺人 筑摩書房松本様より定期便にて献本御礼。 日本の殺人 河合幹雄 老舗がこういうジェネリックなタイトルで出す本は、ど真ん中(bullseye)かとんでもなく外すか(way off)のどちらかで、可もなく不可もなし(so-so)ということがまずない。本書は間違いなく前者だ。今後「殺人」という現象を、本書を読まずして語れなくなる、そういう一冊である。 本書「日本の殺人」は、タイトル通り、「人が人を殺す」という行為を、日本という政府と、日本人という人々がどのように行い、それをどのように受け止め、そしてそれに対してどのように振る舞ってきたかということを、粗にして漏らさずまとめた力作。 その力作ぶりは、目次を見れば一目でわかる。 目次 - 松本様のmailより まえがき 第一章 殺人事
ボーイズラブ小説は不適切?図書館貸し出しで議論白熱2008年11月5日12時35分印刷ソーシャルブックマーク 「ボーイズラブ(BL)」と呼ばれる男性同士の恋愛を題材にした小説を図書館に置くべきかどうか。BL小説を20年近く買い続け、計5500冊を所蔵する堺市立図書館が対応に苦慮している。「子どもに悪影響を与える」と廃棄を求める声が相次いだのに対し、「性的指向による差別につながる」と廃棄の差し止めを求める住民監査請求が4日、市に出された。 BL小説は作者も読者も主に女性で、文章の合間に、1冊で計数ページの挿絵があるのが一般的。堺市立図書館では全裸の男性が抱き合ったり、下半身に顔をうずめたりしている挿絵がある作品も扱っているが「1冊あたり1、2ページに過ぎず、大阪府条例の有害図書にあたるものは一切ない」としている。 計7館の堺市立図書館を統括する中央図書館によると、堺市立図書館では利用者の要望
吃音は「きつおん」、吃るは「どもる」と よみます。 吃音者宣言 言友会 - ウィキペディア リンク先の文章を、ぜひ よんでください。はなしは それからです。 参考になる本 伊藤伸二(いとう・しんじ)1977年『吃音者宣言―言友会運動十年』 伊藤伸二 1999年『新・吃音者宣言』 伊藤伸二『知っていますか?どもりと向きあう一問一答』 伊藤伸二(いとう・しんじ)編著 1999年『吃音と上手につきあうための吃音相談室』 水町俊郎(みずまち・としろう)/伊藤伸二 編 2005年『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』 藤樹拓也(ふじき・たつや)2002年『吃音! 吃音者のどこが悪い?』 このなかから、『新・吃音者宣言』を紹介しておく。伊藤さんは、「《どもり》を死語にしたくない」という。 どもりに悩む人が吃るのと、あわてたら誰でもつっかえますよとは本質的に違う。それを、誰でも吃りますよと表現さ
TVアニメ『プラネテス』後半の展開一部と、藤子・F・不二雄『カンビュセスの籤』『宇宙船製造法』『マイ・シェルター』をネタバレしているので注意。 「残酷な現実」の内面化、あるいはオメラスの発掘 - 過ぎ去ろうとしない過去 で、「世の中の残酷さを理解している俺ら」と「バカな女子大生」の境界は、彼らにとってはイニシエーションとしての教育だったりします。今回の事例に限らず、教育者ってトリアージみたいな「冷たい方程式」 http://tinyurl.com/6p99cr みたいな題材、好きですよね。 あまりトリアージ論争とは関係ないが、『冷たい方程式』も悲劇の話であってトリアージ肯定の話ではないと思う。 むしろSF史から見れば、一つの状況設定を発見もしくは発明して1ジャンルを作り上げた小説、と考えていいのではないか。『タイムマシン』や『我はロボット』と同じように。SFで注目されるべきは必ずしもドラマ
あたたかくなって、またビールのおいしい季節がやってきました。ありがたいことです。いつ最初の缶のプルトップを開けたのか記憶がさだかでないのですが、まあとにかくおいしくいただいておりますです。 チャゲ&アスカは「要らないものなど〜ないよね〜」と歌ってましたけど、けっこうあると思うんですよね、要らないもの。 本来は不要なのに、「必要だ」と私たちは思いこんでいる、というものは多そうです。プロパガンダの結果として私たちがそう「思いこんでいる」ということも、多くありそうです。 不必要なものをあたかも「必要」であるかのように思いこませるためには、恐怖をあおるのが、たぶんもっとも有効な方法でありましょう。これこれがないと、あぶないよ、ヤバイよ、安全が保たれないよ。あるいは、これこれぐらいしておかないと、持っておかないと、みんなの会話についていけないよ、というのも一見ささやかに見えながら、なかなかの「恐怖」
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
森達也の新刊「死刑」を読んだ。一気に読んだ。 これはいつもの「森達也業」ともいうべき仕事だなと思ったのが第一印象。しかしやっぱり森達也以外に書けない内容だとも思った。彼の代表作になるだろう。 世の中には曖昧な領域がある。それは誰もが忌避したくなる世界だ。手を突っ込んだところで余計な火傷を負うだけでまったく得にならない。どう書こうが誹謗中傷、ないしは「非国民」とか「レイシスト」とかありがたくないレッテルまで貼られることもある。さらに世の中は何事も竹を割ったようなわかりやすい善悪、左右、縦横な話を好むので、曖昧な領域なるところを追っても銭にはならない。そして誰もが取り上げるのを諦め、その世界はサンクチュアリと化してときには暴走していく。 森達也はそこへ果敢に攻め込んだ男である。先日も取り上げた動物実験。超自然現象。放送禁止歌。オウム真理教。メディアそのもの。 そして死刑。廃止派でありながらも、
恋愛というのは人生の恥部であり、またブラックホールであると思う。なぜなら人は、とくに女は、恋愛をするとポエムを書く。抗い難いポエム欲が湧いてきて、ついつい綴ってしまうのだ。そう、ポエムを。詩ではなく、ポエムを。これはもう事故のようなものだろう。今までさんざんポエマーを嘲笑してきたわたしだが、そんなひねくれ者だって例外ではなかった。荒んだ人間も恋愛中のポエム欲には逆らえない。だから書いた。そうポエムを。こんなわたしがポエムを!手紙やメールや口頭で、わたしは過去、恥ずかしいポエムを吐いてきた。仕方がないではないか。だって恋をしていたのだもの。いかなる女もあの湧き上がるポエム欲には抗えない。どんなにとりすました女だって、きっと裏ではあんなポエムやこんなポエムを書いているはず。恋とは、ことほどさように滑稽で不細工で、気色が悪いものだ。 「天国からのラブレター」は、そんな人生の汚点、決して人様には見
筒井真樹子さんの翻訳で Kate Bornstein『隠されたジェンダー』(原題 “Gender Outlaw: On Men, Women, and the Rest of Us“)が出版される。訳者による紹介はこちら。10年以上前に米国で発売されたこの本は、わたしにとって初めてトランスジェンダーという言葉と出会った本であり、著者のボーンスタインはわたしが初めて直接会ったトランスジェンダーを自称する人。それだけに、いまの視点から読み直すと批判すべき点は多々あるのだけれど、個人的には重要な本だ。 これは何もわたしに限ったことではなくて、トランスジェンダーという存在をボーンスタインを通して初めて知ったという人は少なくない。というのも、(米国の)一般メディアでトランスジェンダーの作家として初めて大きく取り上げられたのがこの人だったから。それまで「男性として生まれたが自分は本当は女性だ」と語るト
中島岳志『パール判事』 まったく偶然であるが、新聞などの予告をみると、本日(07年8月14日)放映されるNHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判 知られざる攻防〜」(午後10時・総合)は、中島の本書『パール判事』の主張をほぼ番組化したものになりそうである(付記:今見た。すばらしい内容。この中島本の中身の反映もさることながら、東京裁判が結論の決まった単なる茶番劇ではなく、判事同士の激しい確執のある、きわめて動的なプロセスであったことが浮き彫りになった番組だった。そして東京裁判の「成果」が平和憲法や国際司法の発展に寄与していることもわかるものになっている)。 ぼくは今、東京裁判について書かれたものをいくつか読んでいるが、東京裁判そのものが膨大な資料があるために、とても「そのもの」を読むところまでいかない。たとえば冨士信夫『私の見た東京裁判』(講談社学術文庫)にしても、裁判の全
概念 政治も宗教も、ある種の中心的概念(自由、国家、神)を声高に叫ぶが、これらはあまりに抽象的なので、ここでは「霊的概念」と呼ぶことにする。霊的概念は極めて曖昧なので、しばしば個人によって解釈が大きく異なる(政治理論家は、自由や平等など政治的な霊的概念を「基本的に議論されたもの」であると言う〈2〉)。この曖昧さは、それについての合理的な議論を不可能にしており、そのような議論に加わる人達は事実上食い違った話をしていることになる。演説者は、自分達の計画や目的が細かなところでは非現実的であり、隠れた落とし穴やその他の悪魔的なものを含んでいることを覆い隠すため、あるいは、聴衆の感情的反応を引き出して、その議題に対する集中度を高めたりするために、そのような「輝かしい一般論」(3)を用いることが多い。抽象的で曖昧であると同時に、霊的概念は価値観を含んでいる(これについては第九章参照)。それ自体が極めて
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