【ベテラン記者のデイリーコラム】 平安時代の末期、60歳を超えて中国大陸に密航し、当時の宋国皇帝に謁見を果たした日本人僧がいる。仏教の聖地として有名な五台山(山西省)を巡礼し、天皇から託された写経などを奉納した。彼を動かしたのは、功名心ではない。大切なもののためなら、自分の命も母親も、安住の故国さえ捨てていいというすさまじいまでの生き方である。高齢社会ニッポンに生きる私たちも、ただ圧倒されるばかりだ。 ●「夢」にかけた後半生 男の名は、成尋(じょうじん、1013~81年)という。父親は中級貴族の藤原貞叙(さだのぶ)。母は名門・醍醐源氏の源俊賢(としかた)の娘だった。理由はよく分からないが7歳のときに出家し、洛北・岩倉にある大雲寺(京都市左京区)に入った。 学識に優れ、30歳で大雲寺の住職となることができた。大雲寺は園城寺(三井寺、大津市)の別院だった名刹(めいさつ)である。密教の祈祷(きと