Toshl脱退から解散までの苦しみを赤裸々告白X JAPANは幼なじみだったYOSHIKIとToshlが高校時代に結成し、1989年にメジャーデビュー。「X現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。しかし、1997年にToshlが音楽性の違いや洗脳騒動を理由に突然脱退を表明し、X JAPANは解散。 YOSHIKIは「バンドメンバーっていう以前に幼なじみの友達っていう、家族だったんで、父親を失った時くらいのインパクトはありました」と当時受けた衝撃を語り、「Xというドアを完全に閉めてしまった。鍵をつけて鎖でグルグル巻いてしまって、この扉は一生開けない、開けたくない、その時点でX JAPANはないんだって決めてしまった」と当時の苦しみを回顧。マツコも「はたから見ててもこれは絶望的なのかなって一瞬思いましたよね」と振り返った。
5月に米ロサンゼルスの病院で頸椎(けいつい)人工椎間板置換の緊急手術を受けた「X JAPAN」のYOSHIKIが11日、大阪城ホールで、世界ツアーの日本公演初日を前に取材に応じ、「かに道楽に行きたい」と語った。 YOSHIKIはこの日が、術後初ステージ。開演を前に開いた取材会で、手術の影響で当初は今ツアーを「あきらめた」などと振り返った。 メンバーのTOSHIらと相談し、首の負担を考えてドラムではなく、ピアノでの参加を決め、アコースティック・ライブへと変更。仲間の支えや、ファンの期待にこたえ、術後の左手しびれ、もともとあった右手けんしょう炎と闘いながら、ピアノと格闘してきた。 その中で迎えた念願の初日。YOSHIKIにとっては、X時代から「大阪のファンが一番盛り上げてくれた」思い出の場所でのツアー開幕でもあった。 「かに、好きですね。大阪といえば、かに道楽。行きたいですけど、何時までですか
1982年の結成以来、派手なビジュアルと音楽性で、日本のロック界を常に牽引してきたX JAPAN。世界進出を果たしたその裏で、ボーカルの洗脳、バンドの解散、メンバーの死……と次々に試練が襲う。今回日経ウーマンオンラインは、X JAPANのリーダーであるYOSHIKIさんに「女子が抱える悩み」をぶつけてみました。どんな答えが聞けるでしょうか。 YOSHIKI 作詞家、作曲家、編曲家。X JAPANのリーダーであり、ドラムとピアノを担当。今までにアルバム・シングルを合わせ3000万枚を超える売上げを誇り、東京ドームを18回にわたりソールドアウトにした記録を持つ。バンドの人気は今、世界へと広がっており、多くの音楽ファンを熱狂させ続けている X JAPANを詳しく知らない人も、かつて小泉元首相が出演した自民党CMで流れていた美しいバラード曲「Forever Love」は、耳にしたことがあるのではな
人気絶頂から海外進出、不和、解散、そしてメンバーの死。数々の挫折と失敗、絶望を乗り越えてきたバンド「X JAPAN」のリーダーで日本を代表するミュージシャンのYOSHIKI氏は、楽天の三木谷浩史氏を始めとするエグゼクティブや起業家たちとも親交が深く、自身も電気自動車の開発会社に出資するなど、個人投資家としての顔も持つ。 YOSHIKI氏のような「一流のアーティスト」と「一流のビジネスパーソン」の間には、どんな共通点があるのか。制作拠点のアメリカから一時帰国中のYOSHIKI氏にインタビューし、そのヒントを探る。 父の死、そしてメンバーの死をどう乗り越えたか ──現在公開中のドキュメンタリー映画『WE ARE X』では、決して順風満帆とは言えなかったX JAPANのこれまでが描かれていました。トラブルや失敗を経験しても、YOSHIKIさんが走り続けることができたのはなぜですか? YOSHIK
「WE ARE X」 映画「WE ARE X」は現在公開中。2016年に米サンダンス映画祭で初公開され、ワールドシネマドキュメンタリー部門の最優秀編集賞を受賞した。オリジナルサウンドトラックも発売中 (c)2016 PASSION PICTURES LTD.この記事の写真をすべて見る X JAPANが再結成し、世界進出に向けて歩み出してから10年。結成から2014年の米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴまで30年余を追いかけた映画「WE ARE X」が、ついに日本で公開された。AERA 2017年3月13日号でYOSHIKIがインタビューに答えた。その一部を特別に公開する。 * * * 2007年の再結成以降、アジア、北米、南米、ヨーロッパでツアーを行い、着実に世界への歩を進めてきたX JAPAN。その歩みを追いかけたハリウッド制作チームによる記録映画「WE ARE
YOSHIKIが松田聖子とタッグを組み、一つの作品を生み出した。「薔薇のように咲いて 桜のように散って」である。 ◆YOSHIKI、松田聖子画像 この曲は、ドラマ『せいせいするほど、愛してる』の主題歌として生まれたものだが、YOSHIKIは松田聖子が歌うことを前提に「このまま日本のスタンダードの歌になればいいなと思えるような曲を作った」と、その出来上がりに強い自信をのぞかせる。作詞作曲はもとより、すべてのアレンジと演奏をもYOSHIKI一人が行ったという、注目の書き下ろし作品だ。 松田聖子×YOSHIKIという稀代のカップリングはどうやって生まれたのか、トピックスが駆けまわった7月8日、YOSHIKIに直撃インタビューを敢行した。 取材・文:BARKS編集長 烏丸哲也 ──そもそも松田聖子との出会い、きっかけは? YOSHIKI:えと、いつだったけ…3月ですね。紅白(2016年12月31日
去る2月3日、PATAが大腸憩室炎及び門脈血栓症の診断を受け、緊急入院していることが発表された。合わせて、3月12日に予定されていた英国でのウェンブリー・アリーナ公演、及びニューアルバムの発売延期も明らかとなり、YOSHIKIからは、悲しみで心がいっぱいながらファンを悲しませてしまうことへの心咎めとともに、さらに強くなって復活することを約束するという強い決意をコメント・メッセージに寄せていた。 ドキュメンタリー映画『We Are X』のプレミア公開、ウェンブリー・アリーナでのロンドン公演、ニューアルバムのリリースといった一連の大イベントが延期となり、一旦予定が白紙となってしまったX JAPANだが、今現在はどのような状況下にあるのか。すでに存在自体がドラマのようなX JAPANだが、2月末に帰国していたYOSHIKIにコンタクト、多忙を極める合間を縫って緊急インタビュー決行に成功した。 ─
アメリカ大使館×クーリエ・ジャポンの討論企画において実施された、YOSHIKIさんの特別インタビューが素晴らしかったので書き起こしてご紹介。YOSHIKIさんにとっての「働くこと」についての考えが凝縮されています。海外で働くとは? 日本人であることとは? そして最後は"ロック"で締め。仕事に行き詰まっている人は必見です。 YOSHIKIが海外を拠点にした理由 堀: 堀です。今日はありがとうございます。 Y: こちらこそ。 堀: いやあ、まさかYOSHIKIさんにこうしてお会いすることができるなんて、中学生のときの僕に自慢したいです、本当。ははは(笑)。スーパースターですから。よろしくお願いします。 Y: どうもよろしくお願いします。 堀: YOSHIKIさんのお話っていうのは、いろんな場面で聞くことが多いんですけれども。今日は「働く」とはいったいどういうことなのか。もうずばり、そこのお話を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く