社会と歴史に関するkyyonのブックマーク (6)

  • 繰り返すこと - finalventの日記

    ⇒ゆとり世代の未来が明るいただ1つの理由 わたしたちは、平成の大不況による「ロストジェネレーション」の次の次くらいの世代です。失われた時代に幼少期を迎え、ファミコンがすごく古めかしいシロモノに見えて、物心ついたときはITバブルで、小中学生からカメラ付きケータイを持ち、ハチロク世代以上に情報機器と融和した生活をしてきて、受験勉強をしながらサブプライムの崩壊と世界同時不況を眺めてきた、という世代です。 もしかするともっとすごい歴史性といったものをいつか見ることがあるかもしれないよ。 さて、その、わたしたちゆとり世代の未来(「日の未来」とも言えますが)は非常に明るいものであると思っています。 理由はとても簡単です。 わたしたちが社会に出る頃には、すでに団塊の方々が引退してくれているからです。 現在50〜60代の彼らが、団塊ジュニア層に日の「支配者ポスト」と「既得権益」を渡すその瞬間が、日

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  • 駆逐艦「雷」と麻生鉱業? - Apeman’s diary

    最近熱心に語られている「軍国美談」に、駆逐艦「雷」がイギリス軍の漂流者(42年3月1日にスラバヤ沖で「雷」を含む日海軍の艦隊に撃沈された軍艦の乗組員)400名以上を救助した、というものがある。もちろん、これを「美談」とすることに別に異議はない。「美談」が同様なおこないを推奨するために語られるのであれば。対英米戦初期の日海軍には次のような事例もある。 最近知った例ですけど、巡洋艦矢矧というのがあって、 戦艦大和という戦艦が沖縄へ水上特攻というのをして突っ込みます、 太平洋戦争末期ですけれど、それに護衛艦としてついていった巡洋艦です。 それの戦記が出たんですけれど、矢矧が沈没した後2〜3時間、 漂流する日兵が米軍機の執拗な銃撃を受けます。 これに対してマレー沖海戦というので、太平洋戦争の初期に、イギリスの戦艦、 プリンスオブウエールズとレパルスという2隻の戦艦を 日の海軍の航空隊が撃沈

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  • 村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈 - ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog

    村上春樹が「エルサレム賞」授賞式で行ったスピーチをめぐって、いろいろと議論があるようだ。必要最小限のことだけ、明記しておきたい。 スピーチを受け止める側の多くが、単に村上の政治的な姿勢を問うていたはずであるにもかかわらず、たとえば「壁と卵」といういかにも村上らしい表現に引きずられて、その来の問題提起をぼやかせてしまっていることに、かなりの違和感をわたしは感じている。ちょっとはっきりいうと、今回の村上のスピーチに賞賛を送るのは、もともとのヒューマニズムのそこの浅さが、露呈してしまっているのではないか。 確かに村上は、イスラエルのガザに対する軍事攻撃に批判的なコメントを寄せた。それに意想外の印象を受けて、「村上春樹もいいところがある」と考えるのもいいと思う。イスラエルを批判する意見が、世界に多くあることをそれなりに示す機会をつくったのだから。そこで話をやめるならいい。しかし、村上のスピーチに

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  • 新自由主義/ネオリベラリズム - rna fragments

    G-Search で80年代半ばから90年代にかけて「新自由主義」とか「ネオリベ」で検索して適当にピックアップ(1件100円で全部開く気にはなれなかったので)。80年代からDB化されてるのは朝日と読売だけなのでこいつらから検索。 朝日は80年代はちょっと混乱しているが、概ねレーガン、サッチャーの経済政策を指して「新自由主義」と呼んでいる。でもネオリベラリズムという言葉はこの時期には出てこない。 思い上がった軍部の、自らの軍事力の過大評価が日を無謀な戦争にひきずりこんだ。ところが、今は強力な経済力を過小評価することで、日に対する国際世論を悪くしている。自らの力を客観的に、正当に評価し、思い上がるのではなく、謙虚にその力を世界平和のために活用していかなくてはなるまい。世界総生産の一割を占めるようになった日に、国際的責任が生じてきたのだ。 経済の自由化は、強い生産力を持つ国にとっては有利で

    新自由主義/ネオリベラリズム - rna fragments
  • 2009-02-14

    「ヨーロッパ」の対置語は「オリエント」なんだけど、歴史的にはオスマン帝国の影響を受けて、非オスマン帝国な自己を「ヨーロッパ」と規定してその構図をひっくり返そうとした始まりがヨーロッパ帝国文化ってハナシで、そゆ裏返しみたいなことが延々と。。。てなことで、前回id:hizzz:20090204の「裏返し」 前回書いたとおり、ドイツは加害者の「過ぎ去らない過去」を負から正のアイデンティティに変えて体制化していったように、イスラエルも又、ホロコースト被害者たる過去価値を変容させて受け止めようとした。 当初シオニズム主流派のイデオロギーは、ヨーロッパのユダヤ人が無抵抗のまま強制収容所に送られガス室入りしたことを、弱く臆病で常に受け身でしか行動しない「ゲットー・メンタリティ」と見下した。イスラエルに逃れてきた生存者は、当地生まれの若者達に臆病者・意気地無しという意味を込めて「サボン(ガス室行きにカモフ

    2009-02-14
  • 2009-02-04

    国家・国民・民族とかは、近代がこさえた『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソンであること定説にはなってはいるがしかし、そもそもそゆ概念、空想だろーが仮装だろーが実装だろーがここ日ではいまひとつ馴染みがないお仕着せなもんでしかない。「ナショナル」はともかく、「ネーション・ステート」なる集合体概念はより実感しずらい。だから、それをどーにかするしないの議論をするにしても、憲法を始めとしてどーにも身がはいらないようで断片ばかりがバラバラと散逸していてうすぼんやりとしてしまうのは、ワタクシだけ? てなことで、国家概念の家ヨーロッパはなにをどーしてそーしようとそーなってるかを、ちょっとさらってみる。 『ヨーロッパとは何か』クシシトフ・ボミアンに依ると、12〜16世紀にかけてのヨーロッパでは3つの文化が存在してた。ラテン語の聖職者スコラ文化、各地の俗語で朗読・口承されたネイション形成途中の戦士・騎

    2009-02-04
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