石内都(1947年生まれ)は、当時日本で最も大きいアメリカ海軍基地を擁した横須賀で育ち、市内のアメリカ人地区、その中でも特に米兵が日本人女性と親密に交わった飲み屋地帯には近づかないよう言われながら幼少期・思春期を過ごした。その一帯では暴力沙汰が絶えなかった。一刻も早く横須賀を離れたかった石内は、1966年に横須賀を離れ東京にある名門校・多摩美術大学に入学し、デザインを専攻。1969年、石内は当校を一年近くも閉鎖へと追いやった学生運動に参加する。この運動は大学の経営改革、そしてアメリカが日本に及ぼす影響への抵抗を目標に掲げて日本中を席巻した一連の学生デモの一つであった。石内はそのころ台頭し始めた女性運動にも加わり、二人の女学生とともに婦人グループを結成する。 もともと染色を学んでいた石内だが、1975年には意欲的に写真を撮影するようになっていた。石内は自身の過去と向き合い、そこから主となる主

