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金沢と歴史に関するlaislanopiraのブックマーク (10)

  • 『なぜ輪島に人がそんなに住んでるの?』日本海側の海路の要衝と土地の歴史「陸路の方がイレギュラー」

    スーツ旅行 (現在いる場所は秘密にしているので、目撃した方はご協力ください。) @usiuna7991 輪島などになぜたくさん人が住んでいるのかというと、北陸線が開業する前の陸路が役に立たず廻船で輸送するしかなかったので、新潟〜小木(たらい船で有名)〜輪島が最短ルートとなっていたためのようです。特に小木と輪島は前後がしばらく空くので、どの船も殆ど通過せず寄港したのではないかと思います。 今は最果ての地となっていますが、明治くらいまでは街道沿いの要衝だったというのが興味深いですね。 炎の研修医 @DrHonoh 正論 こんな最果ての僻地の限界集落を「復興」なんて非現実的なんだよな 医療現場で散々叩かれてる、認知症の超高齢者への高額な延命と何が違うのか もう日にはそんなリターンの乏しい事業に膨大なコストかける余裕ないんだから、 公金投入は地方都市までに制限して、僻地からの移住を推進すべき p

    『なぜ輪島に人がそんなに住んでるの?』日本海側の海路の要衝と土地の歴史「陸路の方がイレギュラー」
    laislanopira
    laislanopira 2024/01/10
    そんなに国土が不要なら中国に売ればいい
  • 『AKIRA』「攻殻機動隊」「パトレイバー」など都市や建物を描いたアニメの背景美術が一堂に 企画展「アニメ背景美術に描かれた都市」が金沢で開幕

    都市や建物が描かれたアニメーションの背景美術を展示する、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館の第7回企画展「アニメ背景美術に描かれた都市」が6月17日に開幕。16日には金沢市にある谷口吉郎・吉生記念金沢建築館でアニメの美術監督によるフォーラムも開かれ、キャラクターたちが動き回るアニメの舞台として精緻に描かれた、背景美術の都市や建物がどのような意味を持っているかが語られた。 「アニメはキャラクターとストーリーが大切だが、キャラクターなしで背景美術だけで物語を伝えることが出来る作品もある」。ドイツのアートキュレーターで、日のアニメ作品で使われた背景美術の展覧会を海外で開き、『アニメ建築 傑作背景美術の制作プロセス』という著書も刊行したシュテファン・リーケレスはこう話して、アニメの背景美術が持つ役割の奥深さを説明した。 展覧会の狙いや見どころを話すシュテファン・リーケレス。 「『GHOST IN T

    『AKIRA』「攻殻機動隊」「パトレイバー」など都市や建物を描いたアニメの背景美術が一堂に 企画展「アニメ背景美術に描かれた都市」が金沢で開幕
  • なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび

    若狭地方が滋賀県だった時期 滋賀県庁に何度か行ったことがある。お役所の常として、館に新館にそのまた新館に、といくつかの建物に分かれているのだが、そのうちの「新館」の入口には、滋賀県が福井県南部――嶺南地方を編入していたときの地図がでかでかと掲示されていた。滋賀県の歴史を伝える貴重な資料ということのようなのだが、どうにも心がざわついてしまう。言うなれば首相官邸の入口に、朝鮮半島や台湾を占領していた時代の地図を掲示しているようなもので、福井の人間が怒らないだろうか、と心配になってしまう。 嶺南というのは、文字通り山嶺の南側という意味で、具体的には敦賀市と南越前町とを隔てる木ノ芽峠の南側である。令国制でいう若狭国――現在でいう小浜市、三方郡、大飯郡、三方上中郡はすっぽりこの嶺南に収まるが、同じく嶺南である敦賀市は越前国となるため、嶺南すなわち若狭というのは正確ではない。ちなみに、残る木ノ芽峠の

    なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび
    laislanopira
    laislanopira 2021/09/19
    こういう抗争が藩同士の対立から来ていて、自由民権運動の覚醒につながるという話
  • 中二病は今すぐ行くべし![世界を変えた書物]展がやばすぎる!!

    見上げる書架に並んだ古いの数々。 部屋のあちらこちらには、誰もが知る偉人たちによる筆跡が。 吊るされた電球からは暖かな光が灯り、その部屋を訪れた者をさらなるの森へと誘っていく。 「さあ、こちらへいらっしゃい。“知の連鎖”の素晴らしさを、きみに見せてあげよう」 部屋の奥から語りかけてくるのは、この屋敷の主人だ。 そう。彼こそ地上のすべての知を司る、「書の番人」なのである────。 ……と、中二病全開の妄想を止められないほど魅力的なこの空間。 一体どこなのかというと、現在上野の森美術館にて開催中の[世界を変えた書物]展という展覧会の展示室なのです。 いやもうこの展覧会、すさまじいレベルで素晴らしかったんですけれど、信じられないことに入館無料! さらには写真撮影OK! 当にそんな太っ腹で大丈夫? と心配になってしまうくらいでした。 展は、金沢工業大学が所蔵するコレクションである“工学の曙

    中二病は今すぐ行くべし![世界を変えた書物]展がやばすぎる!!
  • 岡﨑乾二郎が日本の現代美術史を徹底解説、転機は1980年代だった | CINRA

    の現代美術にとって、1980年代とはどんな時代だったのか。観念的な1970年代、サブカルチャー的な表現が隆盛した1990年代といったイメージに比べると、その狭間の時代はどこか掴みづらい。しかしこの時代にこそ、現在の美術の源流があるのでは? そんな問いを掲げる『起点としての80年代』展が、金沢21世紀美術館で開催されている。 1980年代に格的に活動を始めた世代を中心に、19作家が出品。「時代」という切り口ゆえに実現した異質な作家たちの並びに、当時のシーンへの想像力が自然と膨らむ。 この展覧会の冒頭で、1981年に開催されたデビュー個展を再現しているのが造形作家の岡﨑乾二郎。岡﨑といえば、絵画から彫刻、建築、絵までを手がけ、旺盛な批評活動でも知られる現代の総合芸術家と呼ぶべき存在だ。今回は、金沢21世紀美術館館長・島敦彦にも同席してもらい、岡﨑に当時の関心や1980年代の美術がもたら

    岡﨑乾二郎が日本の現代美術史を徹底解説、転機は1980年代だった | CINRA
  • 全国各地の「地図キーホルダー」は金沢で作られていた

    各地の観光地の土産物屋で、県の形をしたキーホルダーをよく見かけるとおもう。買ったことがあるひとはぼくだけではないだろう。 このキーホルダーは「地図キーホルダー」と呼ばれており、収集しているマニアもいるほどで、地味だが人気のあるアイテムだ。 これらのキーホルダー、いったいどこでどんなふうに作られているのか?

    全国各地の「地図キーホルダー」は金沢で作られていた
  • 江戸前期「幻の俳書」見つかる 「白根草」金沢で - 日本経済新聞

    江戸時代前期に加賀、越中、能登などの俳人310人が詠んだ俳諧の選集で、作者や句数を記した最終巻の写しか現存しないため「幻の俳書」と呼ばれていた「白根草(しらねぐさ)」の上巻が金沢市内で見つかったことが20日までに、分かった。白根草は、俳諧師の神戸友琴(かんべ・ゆうきん)が1680年に編さん。大西紀夫

    江戸前期「幻の俳書」見つかる 「白根草」金沢で - 日本経済新聞
  • 【画像あり】江戸時代(1750年頃)の人口ランキングwwwwww:キニ速

  • 「西郷の首」は本物だった 西南戦争で自決後、発見将校の「履歴書」見つかる+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    137年前の西南戦争で敗北、切腹した西郷隆盛の首を発見した当時の官軍の将校が書いた「履歴書」が、金沢市の実家から発見された。その具体的な記述から、鹿児島市の南洲墓地に眠る「西郷の首」は物であることが明らかになった。 「西郷の首」は明治10年9月の西南戦争の鹿児島・城山の戦いで、西郷が切腹した後に、官軍の将校によって発見、官軍の指揮官だった山県有朋らによって確認され、胴体とともに鹿児島史の西郷南洲墓地に埋葬されたとされていた。しかし、一部には未発見説、偽物説があり、西郷自身の生存説も流布された。 今回、発見されたのは、当時、金沢の陸軍歩兵第7連隊の中尉だった千田登文(せんだのりふみ)が大正の末から昭和の初期にかけて、陸軍に提出するために書いた「履歴書」。その中に「西郷ノ首ナキヲ以テ、登文ニ探索ヲ命ゼラル」「探索ヲナシタルニ、果シテ門脇ノ小溝ニ埋メアルヲ発見シ、登文、首ヲ●(もたら)シテ、浄

    「西郷の首」は本物だった 西南戦争で自決後、発見将校の「履歴書」見つかる+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
  • 津波地震の古文書、不安あおると地元分展示せず : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    1833年の津波について記された「御家老方等諸事留」(左)と「輪島并近浦津波一件」(ともに近世資料館所蔵)。ともに展示は見送られた 金沢市玉川町の市立玉川図書館近世史料館で、古文書から近世の自然災害の被害規模や、復興策を振り返る企画展が開かれている。 東日大震災後、災害対策への関心が高まっていることを受けての企画だが、石川県内で起きた津波や地震の史料は「住民の不安をあおる」として展示が見送られた。住民が自主防災に取り組む際の基礎資料になりうるだけに、情報公開のあり方を巡って論議を呼びそうだ。 企画展は「古文書に見る災害 ―復興と救済・支援―」(9月11日まで)。近世に起こった全国各地の災害と、当時の救済策を記した所蔵文書約40点を展示している。1750年に能登で起きた洪水の被害状況や、1710年に金沢で発生した火災の焼失範囲を記した絵図、1896年の三陸地震に伴う津波の被害状況の絵図など

    laislanopira
    laislanopira 2011/08/01
    "情報や描写が克明すぎて、当時被害にあった場所が再び被災するような印象を与える" いいえ、必ず再び被災するから、今のうちに洪水被害や地震被害の過去を明らかにしたほうがいいのでは
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