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ブックマーク / ameblo.jp/gallina50 (2)

  • 『擬人化 第348回  キャラ化(33)』

    「終わらない日常」は終わったのか?という問いに、この言葉を創った人である宮台真司は「終わっていない」と断言しました。 この問いに対し、宇野常寛もこう言います。 2012年1月に発行された宇野常寛と濱野智史の対談『希望論』から。 希望論―2010年代の文化と社会 (NHKブックス No.1171)/宇野 常寛 ¥1,026 Amazon.co.jp “宇野 たとえば、震災によって「終わりなき日常」が終わった、という言説があります。 「終わりなき日常」というのは宮台真司さんが用いていた言葉で、当時の消費社会を説明するキーワードだった。言い換えればそれは、ポストモダン状況における「政治と文学」の断絶を意味していました。自分の人生歴史に意味づけられているという実感が得られず、小規模な人間関係の自意識の問題だけが残された状況ですね。 実際にはここ20年ぐらい、世界史的には激動の時代であるにもかか

    『擬人化 第348回  キャラ化(33)』
  • 『名分話 第278回 「英国におけるユダヤ人差別」(5)』

    ふたたびジョージ・オーウェルに戻ります。 オーウェル評論集 (1982年) (岩波文庫)/岩波書店 ¥525 Amazon.co.jp “だがここで、前にふれた点にもどってみたい――すなわち世間一般にユダヤ人差別があることは誰もが認めるくせに、自分もその一人だということは認めたがらないという事実である。 教養のある人びとは、ユダヤ人差別は許すべからざる罪であり、ほかの人種差別とは別格のものだと考えている。自分がユダヤ人を差別していないことを証明するためなら、誰もが長口舌をふるう。 というわけで、1943年には、ポーランドのユダヤ人のために神の救いを祈る礼拝式が、セント・ジョンズ・ウッドのシナゴーグで催されたのだった。 ロンドン市当局はぜひ出席したいという意向を明らかにして、当日は官服に鎖をさげたロンドン市長、各地区の教会代表、英国空軍、国防市民軍、看護婦、ボーイスカウトなどの代表が出席した

    『名分話 第278回 「英国におけるユダヤ人差別」(5)』
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