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ブックマーク / georgebest1969.typepad.jp (21)

  • 日本の新型コロナ対策を総括する

    海外事情」に寄稿した文章です。許可を得てこちらに転載します(初稿)。書いたのは昨年12月なのでデータはやや古くなりましたが、「総括」なので、内容は特に問題ないと思います。御覧ください。 緒言 日の新型コロナ対策を「総括」、すなわち総合的なパースペクティブからまとめようとしたものが過去に2つ存在する。一つは、書籍になった「新型コロナ対応/民間臨時調査会 調査・検証報告書」[1]であり、もう一つは、政府が招聘した新型コロナウイルス感染対応に関する有識者会議が出した「新型コロナウイルス感染症へのこれまでの取組を踏まえた次の感染症危機に向けた中長期的な課題について」[2]である。 しかし、前者はどちらかというと「証言集」に近く、やや厳しい言い方をすれば、「個人の感想」集であり、属人的なものだった。データ解析、ファクトの解析には乏しかった。後者については政府に依頼されて役人が突貫工事でまとめたも

    日本の新型コロナ対策を総括する
  • 閾値という考え方 新型コロナの出口の条件

    福岡放送のテレビ番組に日出るが、昨日、その打ち合わせでいろいろお話した。自分の思考を整理するためにも、そのときのコメントをここにまとめておく。もちろん、すべて私見である。なお、これはあくまでも自分のためのメモなので、専門用語などは詳しく説明していない。不明な用語その他は各自ググっていただきたい。 新型コロナを感染症法の2類相当(実際には新型インフルエンザ等感染症)から5類にすべきか、という質問をしばしば受ける。そのたびに、「そこはさしたる問題ではない」とお答えしている。 そもそも、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(いわゆる感染症法)が施行された1999年から、僕はこの法律に大いに不満だった。この法律は新たに勃発する感染症が国を脅かした場合にいかに封じ込めるか、という「感染管理」と、過去に大きな人権侵害をもたらしたエイズやハンセン病といった「人権」問題のバランスをと

    閾値という考え方 新型コロナの出口の条件
  • オリンピックは開催できるか

    論の理路は長い(あと、やや分かりにくい)ので、お手数ですが端折らず最後までお読みください。 以前、「成人式には行かないで」というブログを書いた。同様に、アスリーツに「オリンピックにはこないで」というメッセージを出せばよい、というご意見を頂いた。 稿のテーマは「オリンピックは開催できるか」だが、その前に「アスリーツに来ないで」というべきかについてコメントする。 アスリーツにオリンピックに来ないで、というべきではない。 成人式に行かないでほしい、という意見は、新成人が(しばしば)都会から田舎に移動し、旧友たちと旧交を温め、実家に帰り、家族親類と久方ぶりに再会する、というシナリオが容易に想定できたからだ。それは感染リスクの拡大のみならず、ハイリスクな高齢者への感染の広がりのリスク増加を意味する。成人式なんかに出なくたって成人はする。ぼくも外国にいたので成人式には出なかった。成人式に出る「価値

  • 成人式には行かないで

    岩田健太郎といいます。もうすぐ50歳になるおっさんです。感染症を専門にする医者でもあります。 この文章は、「成人式には行かないで」というお願いの文章です。 なぜ、そのような文章を皆さんに読んでいただきたいのか、今からその理由を説明します。 理由は新型コロナウイルスです。このいまいましいウイルスがいなければ、我々は毎年行っている楽しい行事を楽しくとりおこなうことができたのです。が、残念ながら今はその時期ではありません。すべてはこのウイルスのせいなのです。 一生一度の大事な成人式、たかだか風邪の親戚みたいなウイルスごときで、止めにするなんて嫌だよ。そんな意見もあることでしょう。 でも、一生一度の大事な成人式だからこそ、ここで一歩踏みとどまってもらいたいのです。 すでに、年末年始に帰省した若者から、家族親戚に感染した事例が兵庫県でも複数見つかっています。確かに若者にとってはこのウイルスはほとんど

  • 西浦博「新型コロナからいのちを守れ!」を読んで

    著者献御礼 川端裕人氏が聞き手になってまとめられた。 すごい。これまでブラックボックスになっていた第一波収束までの政府の内部事情がかなり詳しく理解できる。関係諸氏は必読だ。 西浦先生は極めて純粋な学者だし、善良な医療者だからここまで率直に、そして正直にやる。だからこそ、その文章は信用できる。今や国内外問わず、「平気で嘘をつく」ことが日常的、かつ普遍的になってきた昨今、コンテンツのクレディビリティは正直さにしかないのだと、改めて思い知る。論文書く人には常識なのだが、、、いや、最近は論文書く人ですらこのへんが怪しいこともあるのだが、、、、来、文章とはこうあるべきだ。 西浦理論、数理モデルの内容を論評する能力は僕にはない(どこかでも書いたが、ぼくは西浦先生から数理モデルの初歩の手ほどきを受けた立場だから)。が、感染症の様々な様相に対する理解、見解は概ねぼくと西浦先生は共通している。例えば、

    西浦博「新型コロナからいのちを守れ!」を読んで
  • マスクについて

    この話も、当はネットに挙げたくはなかったのです。絶対怒られるから。何を言っても。 とはいえ、何も言わなければさらにデマが広がってしまうというジレンマが生じてしまいます。よって、ここでマスクについても説明します。これも長いですよ。 実は、マスクについての考え方について、新しく説明すべきことはあまりありません。どうしてかというと、その考え方は、 検査の考え方 と全く同じだからです。すなわち、 マスクの属性 だけで、マスクを論じてはならない。マスクがどのように飛沫の放出を防ぐかとか、防がないとか、富岳のシミュレーションでどうだとか、そういう「マスクの性能」は議論の一部をなすけれども、議論の全てではないってことです。 察しの良い読者はお気づきでしょう。そう、実はマスクの議論も、検査の議論同様、 状況の判断 が大事なのです。もう少し詳しく説明しますね。 マスクの効果についてはすでにメタ分析が出てい

  • 検査について

    いまから、検査について説明します。 検査の話をすると、どんな話をしても必ずどっかからすごい怒られます。だから、この原稿もにするだけでネットに挙げないつもりでいました。ならば、基的には少なくとも最後までちゃんと読まなければ文句は言えないので(読まずに文句言う人もいますが、、、密林とかで)。しかし、最近「入院患者は全員PCRだー」といった意見があちこちで聞こえるようになったので、イヤイヤ、ネットに上げざるを得ませんでした。先回りして結論を今言っておきますが、入院患者全員にPCRは、しないほうがいいです。 相変わらず長いです(笑)。最後まで読まない人、読めない人はからんでこないでくださいね(笑)。我ながら、よい予防線だ。 まずはPCRから PCR、ポリメラーゼ連鎖反応はウイルスの遺伝子を見つける検査です。定量的な検査と、定性的な検査があります。 定量的な検査とは、ウイルスがたくさんいますよ

    検査について
  • なぜ、国ごとに差が出たのか。そして第二波がどうなるか。

    現在、準備している文章の一部です。長いです。 以下に述べることは多分に仮説に基づいている個人的な見解です。 基的にぼくは診療のプロで、予測のプロではないために、未来予測はしないことにしています。臨床屋がやるべきは「想定されるシナリオを全部想定して、そのすべてのシナリオに対する最適解を模索する」ことです。なので、予測の欲望には抑制的であるべきで、「未来はこうなる」とは言わないものです。 しかしながら、今回はその定石をあえて選択せず、ある程度未来予測めいたものについても言及します。すなわち、「第二波がどうなるか」です。なぜ、未来予測めいたものを述べるに至ったかは、稿をお読みいただければご理解いただけると思います。 読者の皆さんを焦らすのはぼくの意ではありませんから、先に結論を申し上げておきます。つまり、 「第二波は第一波より(いろいろな意味で)小さいものになる可能性が高い」 というもので

  • 慶応のPCR6%の意味

    慶応大学病院が無症状の患者67人に新型コロナウイルスSARS-CoV-2のPCRを行い、4名が陽性であったと発表した。6%である。 これだとnが少ないのでシンプルな二項検定を行うと、95%信頼区間は 1.7%-14.6%となる。東京都民の1395万人に当てはめると 237,150人-2,036,700人となる。今朝(4月23日)見た、PCRで陽性になった感染者の累計が3,439人だから、実際の感染者はPCRで把握されている患者の69-592倍いる、ということになる(追記。これは観察期間が違うので不適切な分数でした、すみません。実際はもっと大きな数になります。慶応の検査実施期間が報道では分からなかったので適切な計算は今できませんが、要するに「分かってるよりずっとずっとたくさん」ということだ)。 PCRの感度は30-70%くらいと考えられるから、楽観的シナリオだと真の感染者は4/0.7=約6人

    laislanopira
    laislanopira 2020/04/23
    東京人だけが集団免疫を獲得しても、もう当分、他府県や他国には往来できないな
  • 緊急事態宣言はロックダウンではない、は詭弁

    安倍首相が7自治体の緊急事態宣言を出したとき、「これはロックダウンではない」と述べている。 各メディアもその解釈を追随した。「改正新型インフルエンザ対策特別措置法の緊急事態宣言は政府が対象区域を示し、具体的な措置は都道府県知事が行う。知事は同法45条1項に基づき外出自粛が要請できるが、海外と異なり無許可の外出に罰則を科すような強制力はない。通勤や通院、料の買い出しといった暮らしに欠かせない目的であれば自粛を求められない」(日経済新聞4月6日)。 しかし、これは間違いだ。詭弁、といってもよい。 ロックダウンは「概念」である。具体的にはある地域の内外の移動を止め、その地域内での外出を止めるのが「ざっくりとした」ロックダウンの概念だ。なぜ、そんなことをするのか。前者は感染の他地域への拡大を防止するためであり、後者は地域内での感染者の増加を防ぐためだ。 感染症は感染経路を遮断すれば流行は抑え込

  • ロックダウンはするしないの二元論ではない。「する際の条件」こそが重要である。

    東京はロックダウンすべきだ、とすでに述べた。これに対して「ロックダウンすると経済的損失が大きすぎる」という意見がある。 それは事実で、ロックダウンには多大な副作用が存在する。経済活動の巨大な縮小であり、これは経済リスクのみならず、人々の健康リスクにもなりうる。シンプルに言えば、金がなくなればべるものがなくなるわけで、飯をわねば、人は生きていけない。 それでも。私は東京エリアのロックダウンを主張したい。政治家・官僚の方々にはぜひ「ロックダウンで人が飢え」たりしないよう、皆様の職能を最大限発揮していただきたい。感染対策的意思決定はプロに任せて。 繰り返すが、私はロックダウンという行政措置、政治的判断のプロではない。よって、どのようなロックダウンが現実的に可能で、かつ最適なのかは知らない。ロックダウンの原則は以前書いたように対象地域内外の人の出入りを止めることと、対象地域内で人が「家にいる」

  • なぜ日本ではコロナウイルス流行が(それほど)起きていないのか、そしてなぜ東京で増えているか。

    今から申し上げるのは完全に仮説です。科学的営為は仮説生成と仮説検証からなります。ぜひ検証したい、してほしいと思います。 Here what I state is just a hypothesis. Science consists of hypothesis generation and hypothesis evaluation. This hypothesis also needs evaluation. I would like to do it and somebody also should. I do not have time to write an English version in addition to this Japanese one, so please take advantage of one of translation service to read

  • 事実に誠意を

    これから書くことはほとんど、これまでも繰り返し申し上げてきたことと変わりない。が、同じ質問は繰り返し受けているので、再度申し上げる次第である。なお、海外からも同様の問い合わせが多いので来であれば英語でも同じ内容の文章を用意すべきだが、時間の関係で割愛させてください。Chromeかなにかでそれぞれ母国語に訳してお読みいただけると幸いです。なお、稿は特に感染症学の基礎知識やジャーゴンを知らなくても読めるように工夫はしているが、それなりに難解な内容だ。その点はご容赦いただきたい。 日COVID-19報告数が諸外国に比べて非常に少ないことに内外から注目が集まっている。あれは当なのか。検査数が少なすぎて、実際の感染者数を見誤っているのではないか、という指摘がある。 しかし、この指摘はいろいろなレイヤーにおいて間違っている。そもそも、日COVID-19の全数把握を目指していない。行政検査

    事実に誠意を
  • 「感染症は実在しない」あとがき

    昔書いた「感染症は実在しない」を集英社から仕立て直して出してもらうことになりました。「あとがき」を追記したので、どうぞ。 英国がCOVID-19対策で、他国と異なる対応を取ると表明したとき、世界は驚いた。国民の多くにあえて感染を許容させ、集団免疫をつけさせようというのだ。かなりの「奇手」と思った(英首相の「降伏」演説と集団免疫にたよる英国コロナウイルス政策(小野昌弘) - Yahoo!ニュース [Internet]. Yahoo!ニュース 個人. [cited 2020 Mar 19]. Available from: https://news.yahoo.co.jp/byline/onomasahiro/20200315-00167884/)。 ところが、事態は二転三転する。この感染許容策に多くの専門家が批判を寄せた。議論が繰り返され、結局、英国は他国同様、保守的で「普通の」感染対策を行

  • 2020年夏に東京オリンピックを開催すべきでない理由

    これまでオリンピックについては特にコメントしてきませんでしたが、観客ありで予定通り開催、が目指されているらしいので、個人的な見解を申し上げます。 2020年に東京オリンピックの開催は止めておいたほうがよいです。以下に根拠を述べます。 オリンピックを開催するべきか、否かは「どういう状況下であれば開催できるか」という条件を設定しなければなりません。賛成派であっても「ここのラインを超えたら開催できない」、反対派であっても「この閾値を下回れば開催してもよし」という基準を持つ必要があります。何が何でも開催賛成(あるいは反対)は、判断を放棄しており、単にイデオロギー的主張を述べているだけです。リスク管理的には、特にこのような地球規模での危機時には、そういう空想的な主張は述べるべきではありません。 では、何が是非を決める基準かというと、 1.日でマスギャザリング(オリンピック)を行える程度のCOVID

  • 結果を出すということ(COVID対策)

    昨日、風邪の人は自宅で安静に、という話をしました。その根拠も示しました。 このことは、COVIDの数を全数把握する意味はない、ということを意味しています。風邪の数を数えても得るものは小さいからです。もちろん、数の推計は技術的に可能かもしれませんし、風邪の経済的損失も無視できませんが、さしあたりその問題は相対的には大きくない。 さて、すべての感染対策は「うまくいった」「いかなかった」の基準が必要です。日のCOVID対策は、中国以外で世界で最初に地域内クラスターを多発させ、(おそらくは)クルーズ船内での二次感染を許容しました。現段階では「当初の予定通り」とはとても言えません。来ならば、世界各国に歩調を合わせて二次感染の発生を追跡可能な範囲に止め、クルーズ内2次感染は許容してはならなかったからです。 昨日も書きましたが、感染対策はうまくいったりいかなかったりします。100%完璧にやる、という

  • COVIDと対峙するために日本社会が変わるべきこと

    おはようございます。走ってきました。週5回は朝走るのですが、このときreflectionをします。昨日見たもの、書いたもの、語り合ったこと。Reflectionの時間は非常に大事でただただ実務だけやってるとすぐにアイデアが枯渇します。あと、休養、運動、栄養、そして笑いはとても大事です。 さて、日お伝えしたいことは結論だけ言えば以下のことです。多くの専門家も同じようなことを言っていますから特にオリジナリティはありません。 1.風邪をひいたり体調を崩したら家で休む。社会もそれを許容する。 2.しんどくなったらマスクを付けて速やかに病院を受診する。しんどくなければ必須ではない。しんどさの基準は個人差があるので個々の判断で。 3.自宅に家族がいれば、病気の人はマスクを付けて、神経質に何かに触るたびに手指消毒をする。何度でも。 4.仕事や学業を効率化する。人が集まらねばならない会議は最小化してメー

  • 「「新型肺炎」日本の対策は大間違い」、は大間違い

    上昌広氏が新型コロナウイルス対策に意見している(https://www.fsight.jp/articles/-/46472)が基的な間違いが多い。ここに指摘しておく。 1.クリニックに風邪で受診する人に対して、新型コロナウイルスを検査すればいい 上氏は国内のコロナウイルス流行状況を把握するために外来受診の風邪患者で新型コロナウイルスの検査を推奨する。これはまったく不合理な間違いだ。 まず、日では新型コロナウイルス感染者は20人程度しか見つかっていない(2020年2月5日項記載時)。しかも全員が武漢との疫学リンクがはっきりしている。こういうフェーズのときに極めてコモンで日中の外来にやってくる風邪患者にコロナウイルス検査を行うのはまったく不合理だ。金銭的にも労力的にも割に合わない。しかも検査が殺到してしまうと検査結果が出るのが遅くなる。ぼくは2001年の米国の炭疽菌騒動を経験したが、

  • 近藤誠氏との対峙の仕方

    以下、記憶を頼りに書いていて、裏を取っていないのでまちがってたら教えてください。 近藤誠氏と当時のがん治療のオピニオンリーダーたち(外科医)の論争を読んだのはぼくがアメリカで内科研修医をしていた1990年代後半だったように思う。 近藤氏はがんもどきの存在を主張し、なんでも切ったり化学療法をするのは間違っていると論じた。根拠となる臨床試験も参照していた。一方、当時の外科医たちは実験医学と経験主義ばかり。「切ってる俺達がちゃんと仕事してんだから文句言うな。くじ引き試験?患者で実験する気か。エビデンス?なんだそれ?」って感じで、全然議論が噛み合ってなかった。 近藤氏の意見は理路整然としていたが、当時の外科医たちはひどかった。アメリカにいたぼくはエビデンスエイスドメディシンをバリバリ学んでいたが、日の医療界は数周時代遅れに見えた。日のがん領域のトップってどうしてあんなに、、、、と大いに失望させ

  • 日本人は(案外)怠惰である

    人は怠惰である。勤勉ではない。 効率の悪い仕事だと分かっていても、意味のない書類だと分かっていても、意味のない会議だと分かっていても、怠惰だから改善しようという努力をしない。流れに任せて、ダラダラと仕事をし、ダラダラと書類を書き、会議でぼーっとしている。 日人は怠惰である。だから、「できるための条件」ではなく、「できない理由」ばかりを思いつく。現状維持への重力に弱いのである。 仕事を効率よく進めようという努力を怠り、夜遅くまでダラッと職場に残っていても意に介さない。仕事を早く終わらせて帰宅したら、パートナーの話を聞いたり家事や育児をしなければならない。だらっと職場にいたほうが楽に決まっている。 「勤勉な」例外的日人は、例えばサッカー選手でいえば田や遠藤である。彼らは常に努力している。自分が変わるための。でも、多くの人たちは指導者のいうままに、何百回も同じようなシュート練習を繰り返