『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ
「ゼビウス」「マッピー」「ドルアーガの塔」 ...ファミコンソフトにナムコが参戦した時の喜び|中川淳一郎 2017年、任天堂「ファミリーコンピュータ」の30タイトルを一つのハードにまとめた「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」がヒットしたが、昭和といえばファミコン。当然私も「ミニ」は購入済。「思い出補正」があったのは否めないが、『マリオブラザーズ』『ダウンタウン熱血物語』は相変わらず楽しかった。 ファミコンが当時の小学生にとっていかに画期的だったかといえば、「ゲームセンターや駄菓子屋に行く時間を減らした」ということにある。親のカネをくすねてゲームセンターに入り浸っていた我々は、ファミコンが出て以来、「〇〇君の家に行ってくる!」と行動様式が変わったのだ。 だが当時、小学4~5年生だった我々は、任天堂のゲームだけしかなかった時代に若干不満はあった。なんとなく家庭用ゲーム機の域を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く