2022年2月11日のブックマーク (5件)

  • 再び代表について - 研究生活の覚書

    代表するとはいかなることであるのか。以前、このブログでは、国会議員についての二つの代表観を検討したことがある。国会議員は、「地域代表」であるかのか、それとも「国民代表」であるのか。議員の選出が各地選挙区で行われる以上、その議員は、あくまで選出地域の代弁者であるというのが「地域代表」という考え方である。それに対して、選挙区が分割されているのは利便性と多様な国民の意見を吸収するための手段なのであり、国会議員として選出されたからには、議員は全体の利益を自らの裁量と責任によって独自に判断し、国民全体の奉仕者となるべきとするのが「国民代表」という考え方である。おおよそ大学で学ばれる法学(スコラ法学)は、後者の立場、すなわち「国民代表」を通説としている・・・ような印象がある。 民主制とは、議決が自分の見解と違ったものであっても、多数意見に従うこと、その「当は不同意」の多数意見がもたらす帰結を自己の責

    再び代表について - 研究生活の覚書
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    list1569 2022/02/11
  • 大学教育 - 研究生活の覚書

    勤務校に僕が心から尊敬している西洋史の先生がいらして、その先生は、西洋史の研究者養成は自分たちの仕事ではないと考えておられる。 それよりも、学部教育をしっかりやって、立派な中学・高校教員や社会人を育てるべきだと考えておられる。 それこそ何百枚のレポートを丹念に添削して、発生方まで指導しておられる。 しかもご自身のご研究の業績はとにかく凄い。 理由は、端的に語学力と基礎学力の問題なのですよね。 これがないと研究者になれないのです。 僕はそこまでリジットに考えていないけれど、この偉大なる大先輩と同じ結論かなあ。 僕の場合は、要するに人生をもう少し長いスパンで見ていて、大学卒業後、さらには学生が管理職になっった時まで見据えて人文社会科学を教えている。 だから、僕はこの偉大なる大先輩ほど丹念な学部教育はやらないけど、自分が長年かけて研鑽してきた偉大なる知恵と考え方を教えている。 要するに、一生、

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    list1569 2022/02/11
  • 北海道論(5)-移住にまつわる大きな文脈 - 研究生活の覚書

    シベリアのロシア人と北海道移民の根的な違いは、前者が徒刑囚や流刑囚であったのに対し、後者が徳川幕府時代末期の段階でまともな庶民だった人々であるということだ。嫌な言い方なのは承知している。ただ、こうでも言わなければ私の腹が収まらない。いや失言した。なぜ「まともな庶民」が北海道に入植したかの理由の一端を私は語りたいのだ。 1799年。帝政ロシアは、「東インド会社」にならって「露米会社」という国策会社に勅許状を与えた。その目的は、千島列島、樺太、アリューシャン列島、アラスカ、カリフォルニアに及ぶ北太平洋地域でのオットセイやラッコの毛皮である。当然関係地域の植民地化もその事業に含まれるので、社員の多くは海軍の軍人が兼務していた。総支配人は、日史の教科書でもおなじみのニコライ・レザノフである。レザノフは、1792年(寛政4年)にシベリア総督使節アダム・ラクスマンが連れてきた日人漂流民と引き換え

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    list1569 2022/02/11
  • 北海道論(3)-道民の見栄 - 研究生活の覚書

    州の人々に対して、北海道民は、さも豊かでゆとりがあるふりをしなければならない立場にある。もちろん、北海道が経済的に豊かではないことはさすがに隠しようがない。しかしそれなら、大自然の恵みが素晴らしく、都会の人々には得がたい人間的な世界が北の大地には広がっているとアピールしなければならない。「試される大地」の呪縛だ。 確かに「北海道べ物が美味しい」というのはまったくのデマだとは言い切れない 観光客が美味しいものをべている可能性は高いからだ。ただ六花亭の菓子が、基的には「お土産」だという程度の見識はすべての人がもっていると期待したい。もってまわった言い方は申し訳なく思うが、たとえば仮に毛蟹を名産物としている土地があったとして、その毛蟹が、まずどこに行くかということは、経済学の基中の基なのではないかと思うのだ。料基地の住民にまわる材は、一番後回しになる。 材は、大きなマーケット

    北海道論(3)-道民の見栄 - 研究生活の覚書
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    list1569 2022/02/11
  • 北海道論(3)-道民の見栄 - 研究生活の覚書

    州の人々に対して、北海道民は、さも豊かでゆとりがあるふりをしなければならない立場にある。もちろん、北海道が経済的に豊かではないことはさすがに隠しようがない。しかしそれなら、大自然の恵みが素晴らしく、都会の人々には得がたい人間的な世界が北の大地には広がっているとアピールしなければならない。「試される大地」の呪縛だ。 確かに「北海道べ物が美味しい」というのはまったくのデマだとは言い切れない 観光客が美味しいものをべている可能性は高いからだ。ただ六花亭の菓子が、基的には「お土産」だという程度の見識はすべての人がもっていると期待したい。もってまわった言い方は申し訳なく思うが、たとえば仮に毛蟹を名産物としている土地があったとして、その毛蟹が、まずどこに行くかということは、経済学の基中の基なのではないかと思うのだ。料基地の住民にまわる材は、一番後回しになる。 材は、大きなマーケット

    北海道論(3)-道民の見栄 - 研究生活の覚書
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    list1569 2022/02/11