格闘技 プロレス 中学1年生の女子プロレスラー誕生「リングでは“この野郎!”って気持ちが出ます」 新人・美蘭の闘いを同級生も応援中《特別グラビア》
史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で
ブラジル・サンパウロ入りした日本代表選手たちの練習風景。初戦の相手チリは、FIFAランク16位(日本は28位)。 コパ・アメリカ2019が開幕し、日本の初戦となるチリ戦がいよいよ今夜キックオフを迎える。 当連載コラム『ワインとシエスタとフットボールと』では、ロシア・ワールドカップ、UAEアジアカップに続き、コパ・アメリカでもイビチャ・オシム、フィリップ・トルシエの不定期連載を予定している。ただ、今回は、時差の関係でヨーロッパで試合が見にくいため、オシムについては実現できるかどうか、現段階でもハッキリしていないが……。 ディフェンディングチャンピオンであるチリとの対戦を前に、まずはトルシエがコパ・アメリカに参加する意義を語った。 「私の時は準備が難しかった」 ――日本が20年ぶりにコパ・アメリカに参加します。あなたが率いた1999年以来の出場をどう見ていますか? 「日本サッカーの進歩の過程に
アジアカップ決勝の日本対カタール戦は日本の完敗に終わった。言い訳の余地のない敗戦を、イビチャ・オシムはどう見たのか。オシムが語った。 順当な結果だったということ。 ――元気ですか? 「ああ、君は元気か?」 ――まあまあですが、凄くいいわけでもないです。 「そりゃそうだろう」 ――大変な試合でした。 「決勝はいつでも特別だ。どちらのチームも絶対に勝ちたいと願っている。しかも周囲は日本が有利という雰囲気を作り出していた。そんな中で敗れたのだから、当然失望は大きいだろう。 しかし言えるのは……順当な結果だったということだ。試合の入り方は、カタールの方が日本よりも圧倒的に決意に満ちていたのだから」 運は勇気を出した方に味方する。 ――その通りでした。 「カタールは、最初から全力を出し切って戦う気持ちに溢れていた。日本の入り方は典型的な強者の入り方だった。この試合がどういう展開になるかをじっくりと窺
日本対ウズベキスタン戦のおこなわれた日、イビチャ・オシムはオーストリアのグラーツにいた。数日前に雪のサラエボから同じく雪のグラーツに移動したのは、創立110周年を迎えるシュトルム・グラーツの記念式典に出席するため。シュトルムとしても、クラブ史上最大の功労者であるオシム抜きに式典をおこなうわけにはいかなかった。 ウズベキスタン戦のキックオフは、ヨーロッパ時間で午後3時半。自宅で見終えた後、式典に出て帰宅したのは深夜1時過ぎだった。同伴したアシマ夫人によれば、忘れられない素晴らしい夜であったという。 翌日、オシムに電話で話を聞いた。 「勝利がすでにルーティーンに」 ――元気ですか? 「君らも場所を移動したのか?」 ――今はドバイにいます。 「それはよかった。君自身もツーリストになれる。仕事と旅を両立できるのは素晴らしいことだ」 ――日本にとってもよかったです。 「それはまた話が別だ。日本にとっ
イビチャ・オシムは、サラエボの自宅で年末年始を過ごした。 冬の間は雪に埋もれるグラーツよりも、寒さが厳しいとはいえ積雪はそれほどでもないサラエボの方が、多少なりとも過ごしやすくはあるのだろう。 ただ、1月半ばには、シュトルム・グラーツのクラブ設立110周年記念式典がある。主賓のオシムを欠いては成り立たない行事であり、そのときにはまたグラーツに戻ることになるとのことである。 オシムからの新年のメッセージが届いた。 日本サッカーへ込める思いと期待を、オシムが受話器の向こうから語った。懐かしかった羽生直剛との再会も。ここにお届けするのは、そんなオシムの直近の声である。 なお、彼は、アジアカップ期間中の不定期インタビューの申し出にも快諾してくれた。フィリップ・トルシエも同様で、本欄ではふたりの分析と評論をロシアワールドカップ同様に掲載する。 「日本のサッカーは良くなっている」 ――元気ですか? 「
2018年1月5日、ジェフユナイテッド市原・千葉から1本のリリースが発表された。 「羽生直剛選手 現役引退のお知らせ」 市原時代を含めた千葉、FC東京、ヴァンフォーレ甲府の3クラブでJ1計344試合に出場したMFは、どのクラブでもレギュラーの地位を確立し、ファン・サポーターに愛された。 その羽生が年明けのタイミングで、なぜ引退を発表したのか――。 現在、FC東京の強化部に籍を置く羽生氏。16年間のキャリアを振り返ってもらった。 インステップも思い切り蹴れない。 ――16年間の現役生活、お疲れさまでした。いつもジャージでしたから、スーツ姿の羽生さんと向き合うのは、違和感がありますね。 「自分でも着ていて違和感があります(笑)」 ――右膝のケガのために引退を決断されたそうですが、いつから膝を傷めていたんですか? 少なくともFC東京時代は、問題なくやれているように見えましたが。 「詳しく言うと、
W杯予選で敗退したボスニア・ヘルツェゴビナ代表のスタンド風景。オシム自ら代表監督としてイタリアW杯でベスト8に導いているだけに、悲しみも深い。 夏の間、サラエボから自宅のあるグラーツに戻り、検査と保養を兼ねてバカンスを過ごしたイビチャ・オシムは、ワールドカップ予選の最終段階を迎えるにあたり再びサラエボに落ち着いたのだった。 残念ながらボスニア・ヘルツェゴビナはプレーオフにも進めず、メッシャ・バズダレビッチ監督は予選敗退後に辞任し、ボスニア協会は新監督の選出に苦心している。オシムの長男で、かつて彼の後を継いでジェフ千葉の監督を担ったアマルが有力候補であるという。 ボスニアに戻ってからカタールも含めアマルが重ねた実績への客観的な評価と、その客観的な評価を下す対象が実の息子であることの心理的な葛藤に彼は苛まれている。 秋も深まり、これから冬を迎えようとするサラエボで、オシムが近況を語った。 「鹿
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く